第93話 ああ、姫君様……!

 固く閉じた蕾が一斉に花開く様は、壮観の一語に尽きる。

 氷輪様に事前に忠告されたように、屋敷に勤めるひとたちには驚くことがあっても口外しないようには伝えておいたけど、これは本当にびっくりだ。


 「姫君様の厄除けのお陰をもちまして、こちらは恙無つつがなく過ごせておりました。ありがとうございます」

 「うむ」

 「姫君様におかれましても、お変わり御座いませんか?」

 「まあ、妾は神ゆえのう。そうそう……」


 ふふんっとお笑いになるのが途中で止まって、僅かに眉間にしわがよる。

 綺麗なひとは眉をしかめようと、顔を歪めようと綺麗だ。

 「ひそみにならう」という言葉が前世にあったけど、これは美人が歯痛だか持病の発作だかで顔をひそめたのを見たそうでもないひとが、自分も美しく見えるかもと顔をひそめてみたことが語源なんだけど、やってみたくなる気持ちも解る。

 やったとこで、フツメンはフツメンなんだけどね。

 じゃなくて、姫君がむすりと黙り込む。

 首を傾げると、ひらりと薄絹の団扇を翻し「気にするでない」とお笑いになった。


 「息災でなによりじゃ」

 「はい。誕生日のプレゼントも頂戴して、ありがとう存じます。弟共々お礼申し上げます」

 「ありがとー、ございました!」

 「こちらも心尽くしの品、しかと受け取ったぞ」


 頷くと、またひらりと団扇を翻す。

 また、姫君との毎日が始まるのだ。

 感慨深げにしていると、姫君が団扇を私に差し向ける。

 その仕草にはっとすると、私は懐からお預かりした短刀を取り出した。


 「お預かりしていたお刀をお返しいたしますね」

 「うむ。抜かずに過ごせてなによりじゃの。上から時折は覗いておったが、亀の歩みより遅いとはいえ色々と進めていること、先ずは誉めおこう」

 「は、ありがたき幸せ」


 団扇の上に懐刀を乗せるとキランと光って消える。どうやら姫君の懐に戻ったらしい。

 お誉めの言葉を頂いて、恭しくお辞儀すると、レグルスくんがモジモジとひよこのポシェットから、なにやら巻いた紙を取り出した。


 「ひめさまー、わたし、ひめさまのおかおかきました!」

 「そうか、どれ……」


 レグルスくんが持っていた紙が、ふわふわと姫君のもとに飛んでいく。丸めてあったそれを広げて、姫君はくすっと笑われた。


 「まあ、ひよこの歳なればよう描けた方じゃな。誉めてつかわそう。が、字の方は練習の余地があるのう。ひよこや、そなたの兄は達筆じゃ。習うがよい」

 「はい! がんばりましゅっ!」


 「す」で噛まなかったら完璧なご挨拶だったんだけどな、惜しい。

 ほこほこしていると、姫君のお顔がこちらに向く。と、姫君の目がちょっとだけジト目になったような。


 「ひよこは妾の言い付け通り、剣術にも勉学にも励んでいたようじゃが……」


 その言葉に私は姫君から目を逸らす。

 いや、サボったりしてない。してないけど、何でか剣術も弓術もさっぱり上達しないんだよねー……。

 ラーラさんなんか「剣術も弓術も出来なくったって死なない死なない」って言い出したし、ロマノフ先生なんて「いざとなったら魔術がありますから。防御系の魔術も極めましょうね」って目を思い切りそらしてくれたんだから!

 唯一ヴィクトルさんだけは「ダンスは凄く上手くなったと思うよ」って誉めてくれたけど「ダンスは」ってことは、他はダメってことだよね。

 もう剣術も弓術も、兄の威厳なんてありゃしない。

 何せついこの間弓を習いだした奏くんにまで「他のことは、おれなんか手も足もでないくらいできるんだから気にすんな!」って凄く爽やかな笑顔で言われたし。

 黄昏る私の内面が伝わったのか、姫君が微妙な顔で溜め息を吐かれた。


 「この屋敷の大将はそなた故、そなたが刃を振るって戦う必要はなかろうが……だからと言って出来ぬともよい訳でもなかろう。何より妾の臣下がモンスターの一匹も自力で倒せぬなど有り得ぬぞ。臣下なれば主を守るのも責務なのじゃから」

 「ぐ……確かに仰せの通りです、申し訳ございません」


 うー……、それを言われると私も辛いんだよねー……。

 いや、魔術なら多分なんとかなるんだけど、私はどうにも攻撃魔術を使うのが怖い。

 針の穴を通す精度を身に付けても、命のやり取りをするときに、そのコントロールが効くのかどうか解らないからだ。

 付与は問題なく発動できるんだけど、私小心者だからコントロールが上手くいかなくてモンスターならともかく、人間を丸焦げにしたらどうしようかと。

 いや、人間と戦わなきゃいいんだろうけど、問題は一緒に戦ってるひとに飛び火しないかってこと。フレンドリーファイアって洒落にならない。

 そんなことを考えていると、姫君がひらひらと団扇をはためかせて、それから肩に掛けていたショール──漢服と同じ造りなら領巾ひれっていうんだけど──を外して。


 「確かにそなたは魔術に秀でておるゆえ、大概のことはそれで片付けられるじゃろうが、魔術が効かぬ輩もおらぬではない」

 「はい」


 頷く私に、レグルスくんがひよこの羽毛のような髪の毛を揺らして、首を横に振る。


 「にぃ……あにうえはぁ、わたしがまもりますー!」

 「そなたがおらぬ時に何かあったらどうするのじゃ。風呂やら手洗いにまで付いて行くのかえ?」


 そう言われて唇をタコのようにするレグルスくんは可愛いけど、兄は複雑ですよ。守るって言われちゃった、これはいかん。

 こういうときはアレだ、相談したら良いんだよね。

 ってな訳で、姫君に聞いてみよう。


 「魔術が効かない相手に、魔術師が対抗する手段はあるのでしょうか?」

 「簡単なことじゃ。魔術で物理を補強してぶつければ良い。見本を見せてやろう」


 言うやいなや、姫君は手に持った領巾をひらりと動かす。その柔らかな動きとは裏腹に、領巾が鞭のようにしなって地面を打つと、轟音と共に大地にクレーターが出来た。

 「ひぇ!?」と思わずひよこちゃんを抱き締めると、レグルスくんもしがみついてくる。


 「こんな感じじゃな」

 「こんな感じって……?」

 「領巾に神威しんいを込めて、物理的に強化して地面を打ったのじゃ。それだけではないぞ、ひよこ。落ちている石を妾に投げてみよ。不敬は許す」

 「はい!」

 「ちょ!? レグルスくん!?」


 止める間もなく、私の手をすり抜けたレグルスくんが、その辺に落ちてる石を拾って姫君に投げつける。

 同年代の子供より腕力があるレグルスくんの投げた石は、まるで豪速球のように姫君へと飛んでいって。

 姫君の花の顔に当たる寸前、領巾がその身体をふわりと覆う。すると石が布に当たって、砕けて四散したのは石の方。

 するりと布が外れると、姫君が麗しく微笑んでおられた。


 「こうして身を守ることも出来るのじゃ」

 「はー……すっごい」

 「ひめさま、すごぉい!」


 いやー、凄い。

 布で攻防自在とか本当に凄い。あれなら寸鉄を帯びちゃいけない場所でも、護身手段を手放さなくてすむし、そもそも武器として警戒されないよね。

 ほえほえと感心していると、姫君が呆れたようなお顔で此方を見る。


 「何を感心しておるのじゃ。妾直々にこの術をそなたに伝授してやるゆえ、早々に覚えるのじゃぞ?」

 「ふぁ!?」


 ヤバい、エルフィンブートキャンプより生き残れる気がしないんだけど。

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