第61話 冬来たりなば
そもそも、私をイゴール様に教えたのは姫君で、姫君はイゴール様のご友人。更に商売に関連する加護も頂いたから、何か問題があって、それを解決する札が私の手元にあるのなら、当然協力するもんじゃないんだろうか。
「全く、妾を通さずにアヤツは何様のつもりなのじゃ。そなたは妾の臣なのじゃぞ!」
「はぁ……」
「そなたもそなたじゃ! もっと高く売り付けてやれば良いものを、材料だけで手を打ちおってから」
「あー……いやぁ……」
だって、ねぇ?
言えば、立法に関わる面倒ごとを全て、つまみ細工一つで請け負ってくれるんだから、お釣りはくるんじゃないかなって思ったんだよ。
お言葉通り、資金も何とかなりそうだし、材料だって良いのが手に入るっぽいし。趣味と実益って言うなら、渡りに船かなって。
まあ、何か焦臭いことになるかも……って言うのもあるにはあるけど、領内に引きこもりな私にどう手を出せるって言うんだろう。
それに、私の未来は決まっている。
「まあ、良いわ。そなたが必要だと思うたなら、そうなのじゃろう。早う領内を富ませて、妾にミュージカルを見せるのじゃ」
「心得ております、これはそのための一手。職人たちが豊かになれば、他のところにも富が回りましょう。懐に余裕が出来れば教育や娯楽にお金を払う余裕もできますから」
「うむ、これからも励むように」
「はい」
小さなことからコツコツ積み上げて、やがて目標に至る。今は階段に足をかけたところ、一段昇ればまた次の一段が待っているのだ。
上を見上げると同時に足元も固めなければ。
そう思って足元を見ると、視界に赤が過る。
何を見たのか確かめるために、植え込みの方を見れば真っ赤な野ばらが咲いていた。
時期じゃないのに珍しい。
私が植え込みを見たのを気にしたレグルスくんも、同じ方向を見て、それから花を指差した。
「ひめさま、おはなさいてる!」
「む……、これはいかんな」
見事な野ばらを目にして、いつもなら優しく花を愛でるお顔が急に険しくなる。
怒りではなく、苦悩の様相に「何か?」と問えば、姫君は何もない空間から一反の白とも銀とも言える、不思議な色合いと光沢の布を取り出した。
「イゴールより請われた故、これをそなたに授ける。
「餞とは……?」
「今日より妾は春までの間、天上に帰り地上には現れぬ」
急なお言葉に口が開いて閉じない。
焦る言葉が喉から飛び出した。
「何故ですか!? 私が何か致しましたか!?」
「ひめさま、もうあえないの!?」
「落ち着け。春になれば帰ってくる」
静かに「見やれ」と姫君が指差したのは、真っ赤な季節外れの野ばらで。
「妾が地上におると、ああして妾の目を楽しませようと、季節でもないのに花を咲かせるのじゃ。しかしそれは花の命を削る。それは妾の本意ではない。故に妾は冬は地上にはおらぬようにしておるのよ。冬に咲く花は天上に招いて愛でておる」
なるほど、花が気を使わないように姫君の方が気遣ってるわけね。上司として、そう言うところは見習わないと。
でも春まで寂しくなっちゃう。
レグルスくんも同じように感じてるのか、ぎゅっと手を握ってきた。
「その様な途方に暮れた顔をするでないわ。春になれば戻ると言うておろうに」
「でも……寂しくなります」
しつこく食い下がる私に、少しばかり姫君の眉があがる。
駄々をこねるこどもの相手なんて面倒に決まってるのに、ぐずぐずとしているからご不快だったろうか。
俯くと「顔をあげよ」と、柔らかい声がかかる。
「そなたも年相応に駄々を捏ねるのじゃな。珍しい物を見た。まあ、そこまで慕われれば悪い気はせぬのう」
コロコロ笑うお姿に、矢張り帰ってしまわれるのだなと改めて思う。
眉を八の字にしていると、何やら姫君に手招きされた。
レグルスくんと姫君の御前に行くと、姫君のお手には紅と筆が。
「妾がおらぬ間に、汝らに災難が訪れぬよう、厄除けしてしんぜる。額を出せ」
「はい……」
「あい!」
言われるがままに前髪を上げると、姫君は筆に僅かに紅を取って、それで額に小さな絵を描くように触れる。
レグルスくんの額にも同じようにすると、そこには小さな花の模様が。
「
「魔王なんているんですか!?」
「おるとも。おるが……まあ、害はない」
害はないんだ。それなら良い……のかな。
いや、聞いたことないからいないんだと思ってたけど、そう言う存在がいることだけは覚えておこう。
「……魔王なんぞより、そなたが気を付けねばならぬのは、同じ人間であるがのう」
「う……」
「神の加護があるゆえ、大抵のことはなんとでもなる。しかし、それはそなただけのことよ。周りの人間は、そなたが気を配り目を配りして守ってやらねばならぬ。いかにエルフの三人が強かろうとも、そなたの食事や衣服、必要なものを整える立場にある従者たちにまで手は及ぶまいよ」
「あ……」
「そなたの従者たちを守ってやれるのは、そなたしかおらぬ。これからそなたが相手にせねばならぬ古狸どもは、弱いところに、そうと解っていて手を伸ばすぞ。
確かにそうだ。
こども相手にそこまでやるとは思いたくないし、矢面に立たされるとは思わないけれど、軋轢が生じれば知らないところで大きな恨みを買うこともあるだろう。
私やレグルスくんの安全は、ロマノフ先生やロッテンマイヤーさんたちが気にかけてくれる。だけど屋敷には料理長を始め、多くの人がいるのだ。そのうちの誰かが脅されたり、直接的に危害を加えられないとも限らない。
今、姫君は上に立つものの覚悟を、私に説いて下さっている。
これこそが本当の餞なんじゃなかろうか。
ぐっと手を握れば、柔らかなひよこちゃんの手がそっと握り返してくる。
この子も、屋敷のひとたちも、守るのは私なのだ。
「手を差し出せ」
「はい」
「そして覚悟を持て」
「はいっ!」
ずしりと手のひらに落とされたものは、一目で地上で作られたものではないと解る錦の袋で、房紐で括られたそれを開けると、見事な黒鞘の懐剣が。
「妾の守り刀じゃ。貸しおくゆえ、春には返せ。しかし、抜くな」
「はい」
「この屋の大将はそなたぞ。そなたが自ら刀を振るわねばならないような状況は、既にそなたの敗けを意味しておる。そこに至るまでに手を打て。必要なら潰せ」
「……承知致しました」
手のなかにある重みは、刀だけの重みではない。
この方が春にお戻りになるまでに、私は何か少しでも成長出来ているのだろうか。
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