第58話 商談はアフタヌーンティーの後で(前)
あえて空気を読まないのか、そもそも読む必要性を感じないのか。
神様はところ構わずお出でになるらしい。
こぽこぽといい香りの紅茶が、我が家にある最高級の茶器セットの白磁に可憐な鈴蘭を描いたポットから、これまた同じ絵柄のカップに注がれ、対のお皿に乗せられて、イゴール様に差し出される。
とっておきの白い角砂糖に、菊乃井領のダンジョンの奥にしか棲息しないモンスターすずめ
「ありがとう。悪いね、突然訪ねてきて」
「いえ……」
うん、まあ、タイミングは最悪だったよ。なんでカボチャパンツ一丁の時に、わざわざ。
ちょっと恨みがましく思っていると、蜂蜜をたっぷり垂らした紅茶を飲み下して、イゴール様が苦く笑う。
「狙ったわけじゃなく、偶然なんだけどな。ちょっと君に用があったから、顔を出しただけだし」
「はあ……」
頷く。
背後の離れたソファから「神さまってこうちゃ飲むんだな」って奏君が言うのに、誰かが
私があげた悲鳴は存外大きかったらしく、聞き付けて一番先に走ってきたのはロマノフ先生と奏くんの手を強制的に引いてきたレグルスくん。二番手が宇都宮さんとロッテンマイヤーさんで、三番手にヴィクトルさんで。
「身体強化かけたのに、れーたんやかなたんに抜かれた!?」とか、ヴィクトルさんは滅茶苦茶悲壮な顔だった。
因みにそんなヴィクトルさんを見て、ラーラさんが「鍛え直さなきゃね」と呟いていたけど、私はなんにも知らないんだからね。
兎に角、駆け付けてきた面々に、「やあ!」と気さくにイゴール様は挨拶されたんだけど、そりゃあ凄かった。
神様に初めてあったラーラさんは私を抱っこして跪き、二度目ましてなエルフ二人も静かに跪き、ロッテンマイヤーさんは宇都宮さんの手を引っ張って額付かせ。
だけどレグルスくんと奏くんだけは違って。
「ひとの家に、てんじょうからいきなり来るのはよくないぞ。げんかんで呼びりんならさないと」
「だめなんだからねー! めー!」
うん、正論。
これにはイゴール様もきょとんとして「ああ、ごめんね?」って謝ってた。こども、つおい。
そんな訳で、イゴール様には応接室までご足労願って、歓待申し上げていたりする。
イゴール様の向かい合うソファに座っているのは、私とレグルスくんの二人。
ロッテンマイヤーさんは流石、直ぐに動揺を納めて紅茶のサーブに撤し、宇都宮さんもメイドの本業に戻っている。
背後で奏くんがお茶を飲んでるのは、神様に尻込みしたエルフ三人の完全なとばっちりだろう。
閑話休題。
私に御用って何かしら。
料理長が全身全霊かけて作ったクッキーを咥えたレグルスくんが、私の膝に乗ろうとするのを視つつ、イゴール様が口を開く。
「君にも悪い話じゃないはずだけどね」
「どう言ったご用件でしょうか?」
にこやかに切り出したのは、実に私に都合の良い話で、何でもイゴール様が加護をお与えになっているこの国の大貴族が、私がラーラさんと話していたような法律を皇帝陛下に上奏しようとしているらしい。
伯爵より上なら公爵・侯爵レベルだろうか。
「皇帝の信頼の厚い人物ルートで上奏したんだよ。だけど、保護すべき技術というか、職人と言うか、そう言う具体例に欠けるんだそうだ。それでね、何とか言う歌姫が着けていた髪飾りが、見たことない技術で作られてるって話を聞き付けてさ」
こっそり天界からその某歌姫を覗き見たところ、確かに彼女の髪飾りに見たことがない技術が使われていた。しかし、神様の目には色々筒抜けらしく、その髪飾りに使われているのは、同じ神である友人の持ち物だった布だし、制作者はなんと自分が加護を与えたこどもだったのだ。
「いやぁ、凄い偶然だよね」
「そう、ですね」
本当に偶然なのかな。余りにも出来すぎてる。
出来すぎついでに考えれば、このタイミングで皇妃殿下がつまみ細工を欲しがっているってのも焦臭い。
「……陛下が信用できる方を通じてと仰いましたが、それは皇妃殿下でいらっしゃる?」
「なんでそう思うの」
「こちらも、とある筋から皇妃殿下が私の細工物を欲しがっておられるとの情報がありましたので」
只で利用なんかされるもんか。
取るに足らない細工物だとしても、前世では素晴らしく歴史のある技術だし、これを領民の職として使って貰うのだから、大貴族に接収されるのも困る。
神様だろうと、押さえつけてくるなら、くそ食らえだ。
私が一種の不信と不穏を抱いた事で、室内に緊張が走る。
表情だけは和やかに、けれど腹を探り合うような視線のぶつかり合い。
それを終わらせたのは、イゴール様だった。
ぽりぽりと頬を掻いて、目を反らす。
「そんなに警戒しないでよ。君があんまり警戒心を高めると、アイツが来ちゃうから」
「アイツ……?」
「百華だよ。君には百華の強い加護があるから、何か異変があったら直ぐに百華に知れる。悔しいけど、僕と百華じゃ、百華のが強い」
肩を竦めて笑って、それから眉を八の字に曲げる。
それから「悪かったよ」と、手をヒラヒラさせた。
「駆け引きは出来るけど、それが好きってひとばかりじゃない。商人はだいたいそれが好きだったりして探りあうような会話をするもんだけど、君は商人と言うより職人気質だもんね。最初から素直に事情を話して、誠実さをもって君に協力を頼めば良かったんだ。僕は話し方を間違えた」
「はぁ……。では、やっぱり偶然じゃないんですね」
「まぁ、ちょっとばっかりね」
「長くなるけど」と切り出されて始まった話によれば、この国の大貴族が上奏したとは言っても、実際は大貴族───公爵家の次男坊が、頭の固い典型的選民思想の持ち主である父親や兄貴を出し抜いて、独自のルートで皇妃殿下を通じて上奏したのだとか。
これには元々臣民を思いやる皇帝陛下は乗り気であらせられたけれど、具体例に欠けると思案されておられるそうな。
「そもそも、その次男坊は冒険者志望でね。修行の一貫って言い訳で、お忍びで街を歩き回ってたりするような奴なんだけど、そんなことしてたら領民の窮状やらなんやらがやたらと目についたんだって。そこに来て、父親が愛人に産ませた妹を引き取ったは良いんだけど、愛人だった母親は庶民。血筋が良くないって、実母と実兄が異母妹を苛めるもんだから、なにくれと庇ってたらしいんだけど、もういっそのこと妹を連れて家を出てやろうかと思ったらしい。だけど先立つ物がないから商売をしようと思った矢先に、僕と出会ったんだよね」
「はあ」
「で、色々話をしてたら、やっぱり君と同じで『人に優しい世界でなきゃ、妹にも優しい世界じゃない』って目覚めてさ。より良く世界が変われば良いって言う布石として、先ず職人の権利や技術の保護に着手したわけ。実際、アイツの協力者に、ドワーフとかがいてね。彼らの技術が父親や、似たような思想の貴族に買い叩かれてるのが忍びないって言って」
なんとまあ。
つまり、皇妃殿下が髪飾りを欲しがったのは、具体例に使えると思ったからなのか。
次男坊さんは父上や兄上と血が繋がっていても、全然思想が違うんだな。
それはそれとして。
貴族が平民を搾取するばかりで還元しないなら、強制的に還元させるより他ない。
この法律はその初手になるそうだ。
それで、この法律に最初に登録される技術として、マリアさんが着けている髪飾りの技術はどうかと、次男坊からイゴール様に相談があったそうで。
「君が何とかって女の子に髪飾りをあげたくせに、慕わしいって言っても友人止まりで云々かんぬんって百華がグチグチ言っててね。もしかしたらと思って話題の歌姫を見に行ったら、髪についてる見たことない髪飾りから、百華と君の気配がしたんだ。だからアレならいけるって太鼓判おしたんだよね」
「ははぁ……」
「皇妃が髪飾りを欲しがってるって言う話が作り手に伝われば、上手くすれば献上してもらえる。その献上の返礼に、法の適応技術とする……って狙いでね。わざと君の作った髪飾りを皇妃が欲しがってるって噂を流したんだけど……」
それには一つ問題があると言う。
それは私の気質。
「だって君、百華に『みあう材料がなければ作れない』って啖呵切ったんでしょ? 百華が髪飾りと一緒に自慢してた。『一流の作り手はこうでなければ』って」
「ちょっと、大分違いますけど!?」
「えー……? また百華の思い込みなの……。まあ、でも、今回ばかりは正しいよ。ただの歌姫にあれだけの布を使っちゃったんだもの、皇妃に献上となれば当然材料のグレードは上がる。簡単には作れないよね」
「それなんですよねぇ」
そこだよ。
妃殿下がつまみ細工を愛用してくれたら、社交界で流行ると思うんだよね。そしたら職人を養成して、小さな産業に出来るんじゃないかと思ったんだよ。
だけど二の足踏んだのは、献上出来るだけの物を作る材料がないってとこ。こればかりはいかんともし難い。
そんな話をすると、イゴール様がきょとんと不思議そうな顔をされる。
「えー? あー……、なんだ、君もそんなこと考えてたんだねぇ」
「えー……、私は商売する前提でお話してたんですが?」
「ああ、なるほど。何か噛み合わないと思ってたんだよね。そうかそうか」
うんうんと頷くイゴール様。
お互いの認識に齟齬がありそうだ。
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