第30話 地頭には勝てても泣くひよこには勝てない

 眉毛なしのお兄さんはフィオレさんと言うそうで。

 あれから豚のしょうが焼きとか、チキンカツとか、キュウリを塩こぶと胡麻油で和えた無限キュウリとかを教えると、即座に自分で作って見せた辺り、彼はとっても真面目なのだろう。


 「トンカツは験担ぎに良いんでこれかな?って思っただけなんで、まあ、色々試せた方がいいかと」

 「験担ぎっスか?」

 「はい。『トンカツ食べて勝負に勝つ!』的な」

 「ああ、カツと勝つをかけてるンスね」

 「そんな感じです」


 エプロンを外してフィオレさんに返すと、私のお仕事はお仕舞い。

 レシピは聞かれたら開示しても良いと言うことで、商店街で共有してもらうようにする。菊乃井のお屋敷でも食べたいしね。


 「ポン酢はみりんを煮きって、醤油と柑橘類の果汁とを合わせてだし昆布を一緒に入れて、二、三日寝かせたらもっと美味しくなりますよ」

 「解りました!」

 「トンカツにあうソースも本当はあるんだけど、それはスパイスが手に入り次第ですね」


 ウスターソースもケチャップも、スパイスがあれば作れなくはない。けれどその肝心なスパイスがあるかどうか。

 それは帝都に行けばわかるかも知れない。

 この料理が何かしら良い効果をこの商店街にもたらしてくれることを祈りつつ、ローランさんからハンカチの報酬の金貨二枚を受け取りに冒険者ギルドへ。

 しかし、ロマノフ先生が受けとる前に、こんなことを言った。


 「金貨二枚でなくて、金貨一枚と銀貨九十九枚と銅貨九十九枚、鉄貨百枚で下さい」

 「うちは両替商じゃねぇぞ」

 「帝都でお土産買うのに金貨なんて使えないでしょう?」

 「あ?鳳蝶様、帝都に行くのか?」

 「ああ、はい。実は今日は帝都でお土産を買うお小遣い稼ぎに来たんです」


 斯斯然然で帝都に行く理由を話せば、ローランさんは顎を擦って、それから執務机から小さな皮袋を取り出す。


 「餞別だ」

 「え?や、そんな!?」

 「レシピを提供してくれた礼もある。そんなに入っちゃいねぇから、受け取ってくんな。なんならそれでスパイスってやつを買ってきてくれてもいい」


 放物線を描いて皮袋が私の手に落ちる。その重さは結構なものだった。




 そんなちょっとした社会見学を終えて屋敷に戻ると、宇都宮さんが疲れきった顔で迎えてくれた。

 いや、宇都宮さんだけでなく、心なしロッテンマイヤーさんも。


 「お、お帰りなさいませ……」

 「どうしました、随分窶れて」

 「それが……」


 ヘナヘナと宇都宮さんの膝が崩れる。

 ロッテンマイヤーさんがそれを咎めようとした瞬間、バビュンっと何かが飛んできて、ロマノフ先生にひょいっと脇に手を入れられて持ち上げられた。

 後ろからゴスッと凄い音がして。


 「にぃに~、いたいよぉっ」

 「ふぁー!?弾丸がレグルスくんだった!?」


 おでこを押さえぴぃぴぃ泣きながら、レグルスくんがふらふらとやってくる。

 ぽすりとお腹に顔を埋めるのを受け止めると、泣きかたが更に激しくなった。


 「もー、凄かったんですよぉ。若様がお出掛けになってから玄関から何度も脱走なさろうとして」

 「捕まえようとすれば、更に激しくお泣きあそばして。脱走を止めれば屋敷中走り回られまして」

 「わぁ、元気ですね……」


 実際は元気どころの騒ぎじゃなかったんだろう。

 褐色の肌で目立たないけれど、僅かに赤くなったおでこを擦ると、少しだけ涙が収まった。


 「ただいま戻りました」

 「おかえりなしゃい」


 垂れている洟をちーんとして拭き取る。

 朝から昼過ぎまで出掛けただけだけれど、普段ほとんどの時間を一緒に過ごしている相手がいなくて寂しかったのだろうか。

 ふわふわの金髪を手櫛で整えていると、落ち着いたのか、完全に涙は止まったようだ。


 「やー、もー、本当に大変でした!『にぃに、いないの~』ってぐずってぐずって。泣き止んでたのは源三さんの剣術のお稽古の時だけで」

 「おや、早速稽古をつけて貰ったんですか」

 「完全ななり行きですけど、『泣き虫だと兄上様にずっと置いてけぼりにされるかもしれませんのう』って源三さんに言われて、頑張ってました」

 「あらまあ」


 ふんす!と胸を張ったレグルスくんに、ついつい頬が緩む。もともと緩いのに更に緩む。

 頭を撫でると擦り付けて来るような仕草が更に可愛くて撫でていると、くすりとロマノフ先生に笑われた。

 いいじゃん、兄バカ万歳。

 そう言えば、レグルスくんのためにこっそり働いていた人がいたな。

 あの人の味方もしないけれど、目的が同じなら協力するのは吝かじゃない。


 「ロッテンマイヤーさん、料理長に手透きの時に私の部屋に来てもらうよう伝えて貰えますか?」

 「承知いたしました。……何か御座いましたか?」

 「実はですね」


 街で知ったことをロッテンマイヤーさんと宇都宮さんに話す。すると二人とも何とも言えない顔をした。


 「丸投げいくないですよ」

 「差し出口ですが、帝都のお屋敷で不正を暴けていたなら、産業もついでに誘致なさっておけば宜しかったのでは」


 ですよねー。

 宇都宮さんやロッテンマイヤーさんの言葉に頷く。するとロマノフ先生がため息混じりに首を横に振った。


 「仮にも鳳蝶君のお父上ですから悪くは言いたくありませんが、『不正を暴いてやったんだ、ちょっとは領地の経済状況を良くしてやったのだから、レグルスを黙って育てろ』的な要求をする気だったんじゃないですかね。それを鳳蝶君に先手を打たれて防がれちゃったわけですけど」

 「うーん、そこまでアレなひとだとは思いたくないですが……」


 父の人となりを知らない以上何とも言えないのがなぁ。

 レグルスくんの父上だし、悪くは言いたくないけど。


 「どんな理由にせよ菊乃井が潤うのは良いことです。それを優先しましょう。黒かろうが白かろうがネズミを捕る猫は良い猫です」

 「では、料理長に冒険者ギルドのマスターにレシピを届けて貰うように手配致しますね」

 「理由は私の方から説明します。料理人にとってレシピは命、それを開示してもらうのですから相応の誠意が必要でしょう」

 「承知いたしました」


 ペコリと頭を下げると、ロッテンマイヤーさんが厨房の方向に消えた。

 大人の難しい話に飽きたのか、その間レグルスくんは私のお腹に顔をぐりぐりしていたけど、この子も脂肪フェチなんだろうか。


 「それにしても、鳳蝶君がちょっとお出掛けしたくらいでこの騒ぎだと、丸一日留守にしたらどうなっちゃうんでしょうね?」

 「へ?若様またお出掛けですか?」

 「にぃに、また、おでかけするの?」


 何気ないロマノフ先生の言葉に、レグルスくんはショックを受けたのか、泣き止んだ筈の目に、見る間に涙の膜を作る。

 あ、ヤバい。

 そう思った時にはもう遅くて。


 「いやぁぁぁぁぁ!?れーもいくぅぅぅぅぅ!?」


 鼓膜が破れるかと思うほどのギャン泣きを至近距離で食らうとか、死ぬかと思った。

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