第22話 白豚の体質とひよこの性質と
頭に虹色の蝶を止まらせた幼児に、いきなり抱きつかれて大泣きされるとか、ちょっとない経験らしい。
宇都宮さんにまんまと逃げられた後、部屋に様子を見に来てくれたロマノフ先生が微苦笑しながら教えてくれた。
虹色の蝶は百華公主のお使いで、レグルスくんに「大人を探せ」とか「屋敷の方に走れ」とか指示をだしていたらしい。ロマノフ先生を連れて来たレグルスくんを「中々見所のあるひよこじゃ」と誉めてくれたそうだ。
それは兎も角、姫君の仰るには、私は件の流行り病の後遺症で、倒れやすくなっているらしい。
自分は医神ではないから断言できないがと前置きしつつ、事故や病気で彼の岸と此の岸を行き来したものは、極々希に魂と肉体の繋がりが細くなると聞いたことがあって、私の症状はそれではないかと仰ったそうな。
「『詳しく調べるゆえ、七日間休みをやる。英気を養うがよい』だそうですよ」
「七日間!?そんなにお歌唄いに行っちゃ駄目なんですか!?」
「ダメと言うか、留守にするから来ても鍛練にならないそうで。代わりにレグルス君に子守唄を聞かせて、後は魔素神経が鈍らないように魔術の修練をしていなさい……と言う?」
普段、魔素神経を利用して音程の安定やら、声帯の保護とかしてるから、魔術の修練をしておけと言うのは解る。
けれど何故、レグルスくんに子守唄を聞かせておけって名指しなんだろう。
「……私、レグルスくんに子守唄なんか歌ったことないですよ」
「これも姫君が仰せだったんですが、『ひよこに棒振をさせておけ』と」
「棒振……ですか?」
なんのこっちゃ?
眉間に刻まれたしわに、ロマノフ先生が指を入れて撫でさする。擽ったさに身を捩れば、今度は頬をもちもちされた。エステなのか。
「棒振ってのは多分剣術ですね。姫君の見立てでは、才能がある部類らしいですよ。姫君の剥き出しの神気にも怯まなかったらしいですし」
「神気ってなんですか?」
「簡単に言えば神様の圧力ですね。姫君は思わず跪いてしまう雰囲気をお持ちでしょ?神様は皆、あのような雰囲気をお持ちなのです。でも、あれ、普段かなり抑えてらっしゃるんですよ。ひとの魂を潰してしまわないように」
「それが剥き出しって……?」
「レグルス君を導くのと、倒れた鳳蝶君を守るのに、姫君は魂を二つに分かたれました。分霊を作ると神気のコントロールが増えた分だけ複雑になって甘くなるのだそうです。だから一瞬とは言え、レグルス君は姫君の剥き出しの神気を浴びたのだとか。しかし、彼は怯えるどころか、姫君の指示を過たず聞いて、姫君の望むところをなした。『肝が太い、英雄の気風を感じた』と仰ってましたよ」
「やだー……レグルスくん天才ですか!?やだー……うちの子すごぉい!」
「うちの子って……」
若干ロマノフ先生の視線が生暖かいけれど、もう私、開き直りました。
レグルスくんを立派な領主に育てます。えぇ、レグルスくんの亡きお母様に変わって!
そんな私に苦笑を向けつつ、先生が続ける。
「子守唄でも聞かせておけって言うのは、よく遊びよく寝かせろってことじゃないですかね。寝る子は育つと言いますし。レグルス君は君の歌を聞き慣れてるから、下手な子守唄では寝られなくなってるんじゃないですか?」
「まさかー」
そんな大袈裟な。
今度は私が苦笑する番だ。しかし、ロマノフ先生は真面目に首を横に振る。
「鳳蝶君、君は毎日のように姫君にお会いしているから感覚が麻痺しているんです。普通、神様は人間の前に姿を現さない」
「それは……私が異世界の歌を歌えるから……」
「それにしたって、他の歌手に教えて歌わせても良いのです。それがそうせずに、かえって君をご指導なさっている。それはつまり、君に才能があるからです」
「いや、そんな……」
「確かに神様が直々に人間になにかをご指導されたり伝授なさることもありますが、それだって伝授される側の人間は百年、二百年に一度の才人。きっと君は百年か二百年に一度の歌い手なのです。」
物凄い真顔で断言されたけど、本当に違うってば。
姫君が毎日いらしてるのは、珍しい前世の歌を聞きに来られてるだけなんだってば。
こんなことならあの時本当のことを言えば良かった。
自分の前世の記憶と言えど、他人からの借り物を自分の物のように扱ったツケが来ている。
ばつが悪い。
それが表情に出ていたのだろう、ロマノフ先生が肩を竦めた。
「疑り深いですねぇ。君くらいの歳の子は、誉められたら調子に乗るくらいで丁度良いのに」
「あー……だって、私、自分以外の歌聞いたことがないので。上手いって言われてもなぁみたいな?」
本当のことが言えない以上、嘘を重ねるしかない。いや、比較対象がないから上手下手の区別がつかないのも本当のことなんだけど。
しかし、その言い訳は、私が思うよりロマノフ先生に深く刺さったようで。
「そうか……ロッテンマイヤーさんから聞いてはいましたが、君はこの屋敷から出たことがないんでしたね。それじゃあ自分の力量が解らないのも致し方ない」
「……先生、私が歌うまいの前提なんですね」
「姫君の御前に伺った時に少しだけ耳にしましたが、綺麗だと思いましたよ?」
「はあ……」
「兎も角、比較対象がない限り、自分の力量は量れませんね。解りました、帝都にいきましょう」
「んんん?」
なんでやねん。
思い切り不思議な物を見る目をしていたのか、再び頬っぺたをもちもちされる。頬肉が削げないかな。
「帝都には音楽家がいます。それでなくても旅芸人の一座が公演してたりしますしね」
「そうなんですか……?」
「菊乃井領はよく言えば長閑ですが、悪く言えばドがつく田舎。中々旅芸人の一座も来たがらないので、待つより行く方が早いですからね」
なるほど、菊乃井って芸術系のひとにとってはそんなド田舎なのか。
これは菊乃井で『菫の園』とか夢のまた夢なんだろうな。
でも、そうか。帝都にはお芝居もあるし音楽家もいるのか。レグルス君も連れていってあげたいな。
しかし菊乃井から帝都までは確か馬車で十日。往復二十日。
どれだけの費用がかかるんだろう。
「先生……」
「はい?」
「旅費はいかほどですかね?」
おずおずと聞けば、先生は一瞬目を丸くして、ニヤリと唇を上げた。
「そうですねぇ、安くはないですね」
「レグルスくんや宇都宮さん、ロッテンマイヤーさんも行くとしたら、護衛の人も要りますもんね。えぇっと、そのひとたちの食料とかも……」
指折り数えれば切りがない。そしてこの額は増えこそすれ、減りはしないんだろう。
だんだんと眉が下がってくるのを見かねたのか、ロマノフ先生の手が私の頭を撫でた。
「劇場は小さなこどもは入れないところもありますし、今回は私と鳳蝶君だけにしておきましょう。それから、私と君の旅費は気にしなくて結構ですよ」
「ぅえ!?良いんですか!?」
「はい、でもお土産を買うお小遣いは自分で用意しましょうか」
そう言ったロマノフ先生は、いたずらっ子が悪戯を思い付いたみたいな表情だった。
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