第21話 それも復讐と呼ぶのなら
あたまがいたい。
暗転した意識が心地好い振動によって、柔らかな覚醒を促され、それを受け入れた瞬間に凄まじい痛みが襲ってきた。
ギリギリと頭を締め付ける感覚に、ひゅっと息を吸い込んで目を開ける。
すると、ふわふわした金髪と涙で溶けそうな青い目、褐色の肌。
「にぃに?」
「……レグルスくん?」
にぃにってなんだろう。
ポロポロとお腹の上で涙を溢す美幼児に驚きながら、そっとひよこのような髪を撫で付ける。
ぺふぺふと小さな手が私の胸をあやすように叩く。心地好いと感じた振動は多分これ。
背中が柔らかくて、頭上は見慣れたシャンデリア。
と言うことは、私は姫君の前で気絶して、自室に運ばれた……のか?
解らん。
ぼんやりしながらひたすらレグルスくんの髪を撫でていると、控えめなノックが聞こえて、私が寝ていると思ってだろうけど、応える前にドアノブが回る音が。
「失礼します……。レグルス様?レグルス様ー?……どこ行っちゃったのかなぁ……レグルス様ー?」
声で察するに宇都宮さんだ。
もそもそと名前を呼ばれたレグルスくんが、私の上から身体を起こす。
ぴょこんと布団から出たひよこの髪に、宇都宮さんが近付いてくる気配がした。
「あー……ダメじゃないですか、レグルス様。お兄様はおやすみ中です。お腹に乗っちゃ、め!ですよ」
「う?……め?」
「め!ですよ」
「めーなの?」
真下にいる私に、そんなの聞かれても。
まあ、ぶっちゃけ軽くはないので、降りて欲しいけど。
「降りてくれると助かる、かな?」
「にぃに、起きる?」
「うん、起きるよ」
頷けば、ひよこちゃんはひょこひょことお腹から降りて、ベッドの端に座る。私も身体を起こすと、宇都宮さんが走りよってきた。
「若様!?お気がつかれましたか!?」
「はい……。ちょっと頭が痛いので、声を小さめに」
「あ、あ、すいません!」
ぺこんと最敬礼した宇都宮さんの真似をして、レグルスくんも頭を下げる。ふわふわの髪に指を差し込むと、きゃっきゃ笑うのが可愛い。
それとは対象的に、宇都宮さんは凄く深刻そうな表情だ。
「若様、あの……お倒れになったの、覚えてらっしゃいますか?」
「ああ、はい。奥庭で散歩中……でしたかね」
「はい。ロマノフ先生が若様とレグルス様を連れて帰ってきて下さったんですが……」
「ロマノフ先生が?」
「はい。何でもレグルス様が泣きながら庭から出てきたのをロマノフ先生が見つけて下さって。レグルス様は若様が庭でお倒れになったのに吃驚して、誰かに助けを求めに来たんだろう……と」
「そうですか……レグルスくんが……」
何て賢いんだろう。
私、三歳の時そんなこと出来なかった気がするけど。
ありがとうの意味を込めて金髪をくしゃくしゃと混ぜ返せば、レグルスくんは擽ったそうに身を捩りながらはしゃぐ。
可愛い盛りのレグルスくんの仕草に、しかし宇都宮さんはにこりともしない。それどころか若干泣きそうなのが気になる。
何でか聞いてみようか?と口を開きかけた時、先に宇都宮さんが話し出した。
「あの……若様、お倒れになったのって、レグルス様の絵本を作るのに夜更かしを繰り返してたからって本当ですか?」
「は……?」
「最近夜遅くまで、若様の部屋の灯りが消えない、そしたら翌朝にはレグルス様の絵本が増えてるって……」
「ああ……」
楽しいんだ、お裁縫。
ちくちくしてると、ついつい時間を忘れちゃうんだよねー……。でも健康に支障が出るほどの夜更かしなんて、五歳児には無理です。眠くなったら即ばたんきゅう!です。
うるうる潤む大きな眼から、ポロッと一粒。涙が薔薇色の頬に落ちる。
今思い出したけど、宇都宮さんも充分に美少女で、美少女の涙は大抵凡人には大量破壊兵器もいいとこだ。
「え!?なに!?どうしたの!?私、何かしましたー!?」
「レ゛グル゛ズざま゛の゛だめ゛に゛よ゛ぶがじぃぃぃ!」
「違っ!?してない!してないよぉ!?」
ぎゃあっ!?美少女ギャン泣き、私阿鼻叫喚!
レグルスくんがきょとんとして私を見ている。見ないで、私なんにもしてないから。
ひぐひぐと嗚咽をあげて泣くのを、ベッドサイドから刺繍入りハンカチをレグルスくんに渡す。そして宇都宮さんの方に背中を押すと、自分の使命が解ったのか、彼女にハンカチを差し出した。
「めーよ!にぃに、こまってる」
「あ゛い゛……ぐすっ、失礼しました……」
「レグルスくん、普通に話せる時とそうじゃない時があるんですね」
「はい、たまに何だか大人みたいな話し方なさるんです……じゃなくて!」
ちっ、折角話が逸らせると思ったのに。上手くいかないもんだ。
受け取ったハンカチで泪を拭くと、宇都宮さんが戸惑いがちに唇を開く。
「……若様、若様はどうしてレグルス様にそこまでしてくださるんですか?」
「んぁ?布絵本作りは私の趣味の一環ですよ。別にレグルスくんのためだけって訳じゃ……」
「それだけじゃありません。こちらのお屋敷でレグルス様がきちんとお勉強出来るようにして下さったり、奥様からあんまり疎まれないようにしてくださったり……」
「兄が弟の面倒を見るって普通じゃないんですか?」
「……ついこの間までレグルス様の存在すら知らなかったのに、ですか?」
うーむ、そうなのかな?
前世は人付き合いをそれなりにしていて、兄と弟の軋轢があるとこもないとこも解ってるけど、現世ではほぼ人付き合いなんかない。更に言えば両親との触れ合いすらなく、ほぼ他人に等しい状態で「今日から兄弟です」って言われたようなものだから、正直こう言う時はどういう反応をしたら良いのか解らないのだ。
「自分より小さい子をいじめないのは常識かなって。あと、守ってあげるのも」
「でも……その……レグルス様は若様のお父上様が他所に作ったこどもで……」
「それは父の都合でレグルスくんのせいじゃないですし。前も話しましたけど、私はそもそも疎まれてる身の上、レグルスくんのせいでこうなってるわけでもないので」
これはアレか。疎まれる、虐められると構えていた緊張の糸が張り詰めて、ストレスが限界を超えたのか。
そりゃ、虐められるだろうと思ってた相手からなにもされない、かといって真意が読めないとか、凄く疲れるだろう。もっと早くに宇都宮さんとはじっくり話すべきだった。
失敗したなと思いつつ、宇都宮さんにベッドの端で申し訳ないけど座るように促す。
最初は渋っていた宇都宮さんも、話をしましょうと言えば、戸惑いながら座ってくれた。レグルスくんは何故か私の膝の上だけど。
「宇都宮さん、私は事実は多面体だと思うのです。見るひとと角度が変われば違う面が出てくる。確かにレグルスくんは菊乃井からすれば父の裏切りの証ですが、レグルスくんのお母様のご実家では私こそが菊乃井の非道の証でしょう。だからレグルスくんは、彼方ではこちらにくれば虐められると思われていた」
「それは……」
こくりと宇都宮さんが頷く。
まあ、そうだよな。母親を裏切って他所の女に産ませたこどもなんて!って受け入れないって予想されてるのは、解る。これは前世の経験則。あっちの母は昼メロが大好きだったからな。
しかし、だ。
それは母親に可愛がられてる子供が、母親が憎む相手を同じように憎んで愛と共感を得るミラーリングって奴で、私にそんなものがある筈もない。
それに。
宇都宮さんはレグルスくんの守役、少しだけ伝えて置いた方が良いかもしれない。
「宇都宮さん、私ね、ここだけの話ですが、あんまり長生きしない気がするんですよね」
階段落ちで見た映像のレグルスくんは、青年とは言えまだあどけなさを残していた。
私とレグルスくんは二つ違い。
レグルスくんが若いってことは、私も若いことで。
告げれば、宇都宮さんが蒼白になった。
「な、な、なに、何を仰ってるんですか!?」
「何って……レグルスくんを迎え入れる時も言ったでしょ?人間何が起こるか解らない、代わりは必要だって」
えらい挙動不審になった宇都宮さんに、ちょっと首を捻る。オーバーリアクション過ぎじゃない?
「……私、つい半年前に流行り病で死にかけたんですよね。それで何となく、私は長生きしないんじゃないかと思うようになりまして。それでね、私が死んでも大丈夫なようにレグルスくんになっておいて貰おうかと思って」
これは嘘だ。だって私はレグルスくんに殺されるのを、もう知ってるんだもの。だから、そこに至るまでにレグルスくんに立派な伯爵家当主になれるよう成長して貰いたいだけだ。
「私が死んでも、両親は何の感慨も抱かないでしょう。何せ、生きてることも期待されてない」
「そんな!?そんなこと……!」
「あるんですよ。だって半年前に私が医者に匙を投げられる寸前に、枕元に居てくれたのはロッテンマイヤーさんやら屋敷にお勤めのひとだけです」
「…………っ」
「でも、レグルスくんは違う。お母様を亡くされたけれど、父はレグルス君に最高の教師を得るために、わざわざ来たくもない場所に乗り込んできたし、今だってレグルスくんを害されないために母に頭を下げて莫大なお金を稼ごうと仕事に精を出している。生きてることも期待されてない私より、きっとレグルスくんが菊乃井の当主になった時に、喜ぶひとが多いと思います。最大多数の最大幸福。政の理念ですね。どうせ長くは生きないなら、弟を最高の領主にするくらいは……ねぇ」
「な、長生きなさるかも知れないじゃないですか!?その時は……!?」
「その時はレグルスくんに家督を譲って、私は……歌やら手芸やらして生きていければ良いですよ」
そんな未来はきっと来ない。
頭の隅で、剣を振り下ろすレグルスくんが、そう叫んでいる。
いつか来るその日のために、私にはしなければいけないことが沢山あるのだ。
喋り過ぎて少し疲れて、そっとため息を吐く。
「宇都宮さんにもね、やって欲しい事があるんです。
「若様!?何を仰ってるんですか!?」
「レグルスくんが私を殺したなんて疑われたら、母やセバスチャンの思うツボです!父にも母にも私は味方しないし敵対もしない。でも幼児を階段から落とすようなヤツを利するのは嫌だ!それを母が命じたなら、同じ人種と思われるのはもっと嫌なんです!」
ぜいぜいと肩で息をする私に、宇都宮さんがそっと触れる。
その手を握ると、宇都宮さんは真剣な眼で、私の手を握り返した。
「セバスチャンは私にレグルスくんを追い出す手伝いをさせようとした。あの野郎は、そうすれば母が眼をかけるかもと、ちらつかせて!自分より弱い者を虐めなければ、私は愛される価値もないと!?……侮るなよ、私にだって意地くらいはあるんだ!」
そう、突き詰めれば私にも怒りがあった。
セバスチャンにも父にも母にも、言ったところでどうにもならない怒りが。
私はレグルスくんを立派な大人にすることで、両親に復讐したいのかもしれない。
声を荒らげた私を、驚いたのか、レグルスくんが見上げる。
私の弟。
可愛いか可愛くないかで言えば、きっと可愛い。じゃなかったら階段から一緒に落ちたりするもんか。
複雑なのは私がやっぱり五歳児で、色々と整合性の取れない存在だからだろう。
喋りすぎた。
見上げるレグルスくんの髪を梳いていると、すっくと宇都宮さんが立ち上がって、そのメイド用のスカートの裾を両手でつまみ上げる。
カーテシーという様式の礼を取って、宇都宮さんは胸に手を当てた。
「……解りました。不肖、宇都宮アリス。これより若様とレグルス様をお守りすべく、全力で尽くさせて頂きます!」
「え?や?宇都宮さんはレグルスくんのために働いてくれたら良いんですよ」
「いいえ、若様のお望みを叶えることはレグルス様のお為でもあります。若様の手足として、宇都宮、がんばります!」
よく解らないけど、宇都宮さんはやる気になったようだ。つか、宇都宮さん、下の名前『アリス』って言うのね。初耳だ。
宇都宮さんの気合いに気圧されて頷けば、彼女の顔がふっと真顔に変わる。
「若様、どうかレグルス様と仲良くなさって下さいね。レグルス様と若様が仲良くしてくだされば、宇都宮、必ず若様とレグルス様を守って見せますから!」
「えー……何か気合い入りすぎじゃないです?」
「え!?そ、そんなことありませんよぉ!って言うか、若様も意外に激しいんですね!『あの野郎』だなんて!」
キャハッと明るく笑うと、宇都宮さんは素早く「若様がお気がつかれたことお知らせしてきますー!」と、歌うように扉から廊下に消えていった。
なーんか、怪しいなぁ。
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