第20話 学問のすすめ?

 「君はちょっと眼を離すと、色んな物を作りますねぇ」


 夕食後のお勉強の時間、ロマノフ先生がにやにやと顎を擦りながらそんな事を言った。

 視線はどうやらお昼寝のしすぎで眠気が吹っ飛んだレグルスくんと、彼の持つ私が作った布絵本(仮)に向いている。

 夕食には料理長が頑張ってくれたお陰で、甘くないプリンこと『出汁蒸し卵』が登場して、その話の流れで布絵本の話に。


 「教科書がなければ作れば良いじゃない!ですか。流石『青の手』の持ち主ですねぇ」

 「教科書って程じゃないんですよ。三歳児に何を教えたら良いか迷った挙げ句のことですから」

 「いやいや、ご謙遜を。ロッテンマイヤーさんが仰ってましたよ、鳳蝶君はレグルス君の教育を通じて領民に学を着けようと考えている、と。領民の生活にまで考えを致しているなんて、なんて立派なんだろうって感動されてました」


 うーん、それはちょっと違う。

 単に菊乃井の廃れぶりが、人的資源の枯渇なら良いなぁなんて希望的観測をしてみただけで、いわば逃避だ。

 ひとは育てれば育つから、人的資源の枯渇は教育に力を入れれば長いスパン持ちこたえる余裕があるなら何とでも出来る。しかし、土地や文化そのものに問題があった場合は正直お手上げ。

 だけど、それも病巣にメスを入れられる人間を育てられれば、巻き返しの目はあるだろう。

 米百俵ってこんな話だった筈だ。多分。

 そんな話をすると、ロマノフ先生が至極真面目な顔をする。


 「つまり、自分が領主になったタイミングで使える人材を育てておきたい……と言う。レグルス君を右腕に据えるおつもりなんですね」

 「まさか!そこまで立派なことは考えてませんよ。領民に何か出来るほど、私に力はありませんし、するにしても色々足りない。でも家の中、レグルスくんには少しだけ出来ることがあるからする。それだけですよ」


 だって菊乃井の跡継ぎはレグルスくんだもの。私は彼に殺されるんだから。

 別に死にたい訳じゃないけれど、私が階段落ちで見た映像は、未来に起こることなんだと、何故だか断言できる。

 ならそこに行き着くまでに、出来ることはしておかないと。

 死んだらそれまで、後は知りませんなんて、無責任だもの。


 「でも、上手くいったら叩き台にして幼児教育体制を整えたいのでしょう?」

 「できれば。でも元手とかないですし、それは父上に頑張って貰わないと」

 「元手は確かに……しかし、お父上が領民にそんな教育制度を敷いてくれますかね?」

 「それは……あー……でも、今から教育の大事さをレグルスくんに刷り込んでおけば……!」

 「それこそ希望的観測ですねぇ」


 うぐ、確かに。

 部屋の中央に敷かれたモフモフの敷布の上、フェルトで出来たきつねやたぬきの小さな縫いぐるみを、小さな手でレグルスくんは上手にボタンで止めている。

 こどもが一人、健やかに育つって本当に難しい。




 そんなこんなで、日々は過ぎ……って言っても、姫君が『待て』と仰った三日目のこと。

 レグルス君は私が作った肩掛けができるトートバッグに、これまた私が作った布絵本を突っ込み、私はいつものようにウエストポーチをつけて、日課のお歌の時間に参上していた。

 毎日同じことを繰り返すのは、忍耐を培うのに良いらしい。継続は力なり。

 そよそよと爽やかな夏の風に吹かれて揺れる牡丹は、毎日見ても飽きるどころか、都度新鮮な感動を呼び起こす。

 枯れること無く咲いているようで、いつも趣を異にして、清雅だった昨日とは違い、今日は優艶に匂い立つのだ。


 「おはようございます」

 「おはよーございます!」

 「うむ、大義」


 ゆるりと薄絹の団扇をふると、姫君か手を招く。

 「ちこう」と呼ばれてレグルスくんの手を引いて姫君の膝元までよれば、手を出すように言われたので従う。

 すると手のひらにぱさりと、色鮮やかな幾何学模様や、花びら、蝶々の舞う紙が落ちてきた。これって。


 「折り紙!?や、千代紙…かな!?」

 「ふふん、どうじゃ。美しかろう」

 「はい!凄く!」


 私の手のなかにある鮮やかな紙に、レグルスくんが「きれー!」ときゃっきゃしてる。こどもはこう言うときに本当に素直だ。私もこういうの本当に好き。


 「うわぁ、これ、凄い……!」

 「そうじゃろう、そうじゃろう。何せ、イゴールに作らせたのじゃから」


 なんか飛んでもない名前が出てきた。

 イゴールと言えばロマノフ先生に教わった技術と医薬、風と商業を司る神様の名前じゃなかったっけ?


 「ふぁー!?神様お手製!?」

 「なんじゃ、そなた。妾のことは知らぬと言いおった癖に、奴の名を知っておるとは」

 「あ、あのあと、めっちゃ勉強しましたので!」

 「ふん。まあ、よいわ」


 姫君は少しだけ不愉快そうに眉を上げたけれど、それだけ。それより重要な案件があるらしい。

 ひらひらと団扇を閃かせると、「早う」と一言。


 「ぅえ?」

 「なにを間抜けた声で鳴いておるのじゃ。とく、妾に何か作れ。美しい紙があれば、何かを妾に捧げると言うたではないか」


 言ってないし。

 いや、私が作った白い折り紙より、千代紙で作った折り紙のが姫君のお手には似合うと思ったから、「綺麗な紙が~」とは言ったけど。

 でも折角頂いたことだしね。

 ウエストポーチから敷物を取り出すと、すかさずレグルスくんが座る。この子も何やら期待していたようで、貰った千代紙の束から一枚、美しい幾何学模様の紙を取り出すと、目を爛々とさせて。

 先ず、正方形に整えられた紙を二つ折りにして長方形に。戻して上下の縁を、先ほど作った折り目に合わせて、もう一度折る。

 紙を開いたとき正方形が十六面できるように折り目を付けられたら、今度は三角になるよう対角線で折り曲げて、左右どちらにも折り線を走らせて。

 曲げて折って、三角に開いて四角に閉じてを、繰り返して四つほど羽根のような膨らみをつくると、左右どちらの下側の羽の端を細く細く折り曲げる。

 上の残った羽を整えて出来たのは─────


 「ちょうちょ!」

 「おお、器用な……!」


 ころんと手のひらに立体の蝶々を乗せると、姫君はため息を吐き、レグルスくんが歓声をあげる。

 姫君は満足されたのか、私の手のひらから蝶々をつまみ上げると、薄絹の団扇にそれを乗せた。


 「うむ、見事じゃ。これは貰っておく。代わりに残りの紙はそなたにやる故、ひよこにも何か作ってやるがよい」

 「ありがとうございます」

 「ありがとーございます!」


 どうやらお気に召したらしい。

 貰った千代紙をウエストポーチに直そうとして、もう一度じっくりとその美しい模様を眺める。こどもに与えるには、過ぎるほど美しい紋様にほうっと息を吐き出せば、姫君が鈴を転がしたように笑う。


 「然程に惹かれるかえ?」

 「はい……!凄く、凄く綺麗で!」

 「ふふ、なればイゴールに感想を伝えてやろう」

 「はい。こんな綺麗な紙をありがとうございますと、お伝え下さいませ」

 「うむ」


 ほくほくとしながら、紙をウエストポーチに収納する。

 ふと、気になることが。


 「そう言えば、この紙はどうやってお作りに?」

 「うん?それはイゴールの領分ゆえ、妾は知らぬ。知らぬが……あやつ、自分の得意分野となると聞いてもないのにべらべらとよく喋りおってのう。確か、『ハンギ』がどうとか……」

 「ハンギ……『版木』か!?」

 「なんじゃ、知っておるのか」

 「いえ、知ってると言うか……」


 前世の記憶の中に、版画と言うものが確かにある。そしてそれを利用した木版印刷、更にそれを発展させた活版印刷と言うのも。

 説明すると、すっと姫君の目が細められた。


 「なるほどのう、確か『木版印刷』なる技術はこちらにもあったが……異世界には他の方法もあるのか」

 「仕組みや絡繰りは私には解りませんが……。でも本が簡単に出回るようになれば、それなりにメリットはあるかと」

 「例えば?」


 例えば、と聞かれて最初に浮かぶのは、やはり知恵と知識の共有が簡単に出来るようになることだろうか。

 そう伝えると、姫君はふんと詰まらなさげに鼻を鳴らす。


 「得するのは人間だけで、妾には何の利益もないのう」

 「……それは……」


 姫君の見定めるような視線が私に突き刺さる。

 ここで姫君が納得なさる答えをだせなければ、この技術の話は恐らくこれで終わりだ。それはいけない。私の直感が訴える。

 何か手は無いものか。

 考えあぐねていると、私と姫君のやり取りに飽きたのか、レグルスくんが絵本を引っ張り出して縫いぐるみのたぬきときつねで、独り遊びを始めていた。

 まるでお芝居のようなそれが、稲妻のような閃きを与えてくれて。


 「姫君、本が簡単に出回るような世の中になれば、『菫の園』のお芝居がみられるようになるかも知れません」

 「なんじゃと!?」

 「あそこまで見事とは言えないかも知れませんが、ミュージカルは出来るかもしれない」

 「どういうことじゃ!?詳しく……!」


 食いついて来た姫君に、こほんと咳払いを一つ。


 「お芝居は台本があって、その筋にそって役者が演じるものです。この世界のお芝居がどんな感じなのか私には解りませんが、少なくとも前世の役者さんは皆その台本にそってお芝居をされてました。台本とは、話の細かな流れ、役者が場面場面で言う台詞を網羅した本のことです」

 「ふむ、続けよ」

 「口伝だと伝えるひとがお亡くなりになったら失伝する可能性もあるし、ひとの記憶には錯誤があったりします。しかし台本があれば同じ芝居、同じ台詞を演じるひとを変えて何度も楽しめるんですよ。つまり、私が覚えているお芝居を、台詞から何から書き起こして、それを台本にすれば、私がいなくても、私が見たお芝居をある程度再現できるんです!」

 「記録として残しておけば……確かに」

 「しかし、問題がもう一つ」

 「うむ、なんじゃ?」

 「識字率が低いこと。折角記録として残しても、それを読めなければ意味がない。平民に学問は不要!?否!学問は誰にも必要です!何故なら字が読めなければ台本が読めない!楽譜が読めなければ歌を正しく歌えない!台詞や歌詞の意味を聴衆が理解できねば劇は評価されない!評価されなければ如何に芸術と言えど廃れます!評価はそのまま価値になり、価値はお金に代わりますから!役者も食べなきゃ死んじゃいます!」

 「お、おお……そうじゃの」

 「よい役者を育てるには、先ず芝居にお金を落とせる状況を作らなければいけません。それには無学ではいけないんです。騙されて不当に安い賃金で働かされたり、搾取されたりしますから。そうではなく、きちんと働いた対価を過不足無く受け取り、日々の暮らしがちゃんとたち行くようになり、尚且つ生活に余裕が出来れば、人間は娯楽を求めるようになる。その娯楽にお芝居を当て込む!」

 「なるほどのう……。そうして人間が芝居に金を落とせば、そこに商売が成り立つ。だから競争が生まれて、切磋琢磨する環境になる……と言うのじゃな」

 「簡単には運ばないでしょうが……」


 これは机上の空論で暴論に近い。

 でも娯楽の発展にはどうしても生活の安定は欠かせない。生活の安定にはやっぱり学問が必要だし、本は必要だと思う。

 てか、五歳児の脳ミソじゃ、これ以上の説得はちょっと無理だ。

 オーバーヒートしそう。

 ちょっと荒くなってきた息をどうにか整えていると、姫君の姿が歪に歪む。

 おかしいなと思う間もなく、案の定ポンコツ五歳児の脳ミソがオーバーヒートを起こしたらしく、視界が暗転した。

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