第18話 食いしん坊、万歳!

 さて、日課の散歩を終えたら、次は屋敷の仕事を学ぶ。

 今日のお勉強は理科の実験とは名ばかりの、料理長さんと新メニュー開発だ。

 この世界、本当に変わってて、トマトやアボカドとか、前世と変わらないくらい野菜も果物も豊富なのに、料理がやたら少ない。

 切る・煮る・焼く・揚げる・蒸すは確立されてるんだけど、それだけ。

 例えばオムレツはあるのに、スフレオムレツはない。クレープはあるのに、ミルクレープがないとか。

 発展型がないというのだろうか。

 そんなわけで、私は前世の知識を掘り起こして、なるだけあちらに近しい料理を不自然にならないように開発しているのだ。

 だって美味しいもの、食べたいじゃない。

 手を石鹸で洗って、レグルスくんとエプロンを着けて厨房に入ると、口の周りに髭を蓄えたコックコートの熊のようなおじさんがたっていた。


 「お世話になります、料理長」

 「あいよ。いらっしゃい、若様方」

 「おせわに……なります、れぐるすです」

 「はい、ご挨拶できましたね。弟です、よろしく」

 「ああ……お話は予々」


 ぺこりと頭を下げたレグルスくんに、料理長がほろ苦く笑う。

 勿論、ロッテンマイヤーさんの薫陶くんとうが行き届いているから、この何日間かで起こったことに対して、あれこれ言うような口さがない人はいない。

 さて、今日は茶碗蒸しの開発に挑もうかと。

 なんかねーこの世界、プリンはあるんだよねー。

 プリンがあるなら卵を蒸したらぷるぷるで美味しいのは解るじゃん?

 なのになんで茶碗蒸し無いのさ。

 これは由々しき問題だよ。茶碗蒸しうめえ!って『俺』も言ってるし。

 だから、今日は茶碗蒸し。

 あらかじめ材料として必要な卵とかは、前の厨房学習会の時に「甘くないプリンどうだろう」とか伝えておくと、次の時には用意してもらえるのだ。


 「しかし、若様もまた変わったことを……」

 「んー、プリンは好きなんですよねー。でも、卵って茹でて塩かけて食べても美味しいし」

 「まあ、確かに。んでも、プリンに塩はないでしょ」

 「無い……のは甘いからじゃないです?」

 「甘くないプリンはプリンじゃないですよね」


 うむ、甘くないプリンはプリンじゃない。

 さて、どう自然に茶碗蒸しに持っていこう。


 「とりあえず、卵の料理法を確認しましょうか」

 「そうですなぁ。オーソドックスなのは茹でる・焼くでしょうな」

 「玉子焼き、目玉焼き、オムレツ、ゆで卵ですね」

 「はい、ポーチドエッグなんかもありますよ」


 ゆで卵と言えばこの世界は主流は固茹で。しかし、ポーチドエッグを作るのだから半熟の概念がないではない。そういや、温泉卵もなかったな。


 「私、ポーチドエッグの半分生みたいなの好きです」

 「そうですか、なら明日の朝はポーチドエッグをお出ししましょうかね」

 「ありがとうございます!」


 わーい!言ってみるもんだ……じゃなくて。

 横道にそれそうな意識を戻して、茶碗蒸しを作る方法を考える。

 ポーチドエッグを食べるときは、だいたい何かの上に乗っけて胡椒をぱらりするんだけど、ゆで卵には塩。その辺りからお出汁に着けて食べる温泉卵までたどり着こうか。


 「料理長さん、普段ポーチドエッグを食べるときはベーコンにつけたり、サラダにつけたりで、ゆで卵は塩で食べてますよね?」

 「はい、そうですね」

 「塩以外は合いそうにないからですか?」

 「いやいや、そんなことはないと。現にプリンは砂糖使ってますよね」

 「そうか……じゃあ、他にどんなのが合いますかね?」

 「他……ですか」


 うーんと豊かな髭を蓄えた顎を擦りながら、料理長が頭を捻る。

 こう言うのは下手に素人があれこれ言うより、味の組み合わせの相性を知るプロに任せた方が良い。

 そのうち、料理長がなにかを思い付いたらしく、お湯を沸かす。

 それから私に卵を一つと、小さなボウルを一つ渡して来た。


 「ポーチドエッグを作ってみましょうか。先ず若様は卵をボウルに割って下さい。黄身を傷つけないように」

 「はい!」


 渡された卵を調理台の平たい部分にぶつけてヒビをいれ、そこに指を食い込ませてじわじわと殻を開くと、かぱんと綺麗に割れて中から黄身が白身と一緒にぷるんと飛び出す。

 着地に成功したそれは、空に浮かぶ太陽のように丸いまま。


 「お、一回で成功しましたね。じゃあそれをポーチドエッグにしますよ」

 「はーい!」


 ぐらぐらと煮え立つお湯に、お玉に半量くらいのお酢を入れると、料理長はすかさず魔石コンロの前に踏み台を置いてくれる。

 それにレグルス君の手を引いて乗ると、ボウルを持たせて、その手の上に自分の手を重ねた。


 「割れないように、そっとお湯に入れて」

 「ん!」


 沸騰して渦をまくお湯の中に、ゆっくりとボウルからレグルスくんが卵を滑らせる。

 僅かな水音を立てて入ったそれはあっというまに、透明な白身が固まって白色に変わっていくのを、料理長が菜箸とお玉で丸く整形すると、掬い上げられて氷水のなかへ。

 見事半熟ポーチドエッグの出来上がりに、レグルスくんと二人で歓声をあげた。

 陶器の小鉢に水を切ったポーチドエッグを入れると、料理長がスプーンを手渡して来て。


 「塩もいいけど、醤油もありなんじゃないかと思うんですよ」

 「醤油!」


 薄い白身の膜をスプーンでふつりと断って、卵を割り広げれば、黄身がトロリと溢れ出す。そこに紫と呼ばれるほど濃い色の醤油が合わさって、色を変える。

 一匙、醤油がしみた黄身を掬って先に味見をして、改めてレグルスくんの口に運べば、ぱぁっと綺麗な顔が輝いた。


 「おいち!」

 「料理長、美味しいです!」

 「おお、やっぱりですか!」


 黄身に醤油はかなり合う。これは良い。しかし、ここで満足は出来ない。

 ここは素人の突飛な発想を発揮してみる。


 「……料理長、私、思うんですけど、醤油があうなら、醤油味のお出汁とか合うんじゃないです?」

 「出汁?出汁ですか……うん、ちょっとやってみますか」


 そう言うと料理長はちゃっちゃかお出汁をつくって、ポーチドエッグの残りに少しだけ注ぐ。

 それを黄身とぐるりと混ぜ合わせると、口の中に運ぶ。すると少し出汁の味が濃いけれど、記憶にある温泉卵の味に近いものが。

 じっとこちらを見て、燕の雛のように口を開くレグルスくんの口に温泉卵(仮)を入れると、再びキラキラと美幼児の顔が輝いた。


 「おいちい!」

 「美味しいねぇ」

 「本当ですかい?」


 料理長の問いに二人でこくこくと首を縦に振れば、料理長は自分もスプーンで出汁をかけたポーチドエッグを掬って口に入れる。

 それから暫く考えていると、顎髭を撫でさすった。


 「若様、甘くないプリン、出来るかもしれませんぜ」

 「本当ですか!?どうやって……?」

 「プリンは砂糖やら牛乳で卵を伸ばして作るんですがね。出汁で卵を伸ばしてみたらどうでしょう。甘くないプリンになるかも」

 「ふぉ!それは凄い!」


 流石プロの料理人。素人の突飛な発想から見事に茶碗蒸しの原型に辿り着いてくれた。

 よかった、これで念願の茶碗蒸しが食べられる。

 嬉しくてレグルスくんのひよこのような髪をわしゃわしゃ撫でていると、何故か料理長が切なそうな顔をしていた。


 「若様……大丈夫ですか?」

 「ん?卵美味しいですよ」

 「いや、そうじゃなくて……」


 瞬きを繰り返すと、料理長が首を振る。

 「なんでもありません」と、返す顔はほろ苦い笑みだった。

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