第16話 史上最も苛烈な戦いは、家庭内にこそ勃発する

 『あきらめたらそこで試合終了ですよ』と言うフレーズは、『俺』と同世代の人間なら、一度は聞いたことがあるだろう有名な台詞だ。

 自分と言う実例があるせいか、こんな些細な言葉一つに敏感になるのも何だかなぁではあるけれど、もしかしてもしかして。

 しかし、宇都宮さんからはそれ以上、あちらに関する言葉は出てこなくて。

 思い過ごしかもしれない。

 退屈そうに絨毯に座り込んだレグルスくんに構いつつ、口パクで「頑張って!」と伝えてくる彼女を見ると、とりあえずレグルスくんを虐げるかもしれない疑惑は宇都宮さんからは消えたようだ。

 うーん、もうちょい頑張るか。

 でもロマノフ先生は柔和に見えて、実は神様相手にもはっきり意見が言えるひとだ。百華公主にも丁重ではあったけど、怯んではなかったもの。そのひとの翻意を促すって、ちょっと難しい。

 現行、ロマノフ先生はレグルスくんには興味が湧かないそうな。しかし、私のやることなすことは興味深く思ってくれている。

 突破口はそこだろう。

 今だって私がロマノフ先生の攻略法を考えているのを、楽しそうに見守っていて。


 「……家庭教師が実はご好意だと言うのは、よく解りました。その無償のご好意に甘えて、レグルスくんまで……と言うのも確かに厚かましい」

 「おや、諦めますか……?」

 「そうですね、これ以上お願いするのは私としても気が引けます」

 「若様、そんな……!?」


 宇都宮さんが落胆の悲鳴をあげる。ロッテンマイヤーさんも、申し訳なさげにこちらを見ているけれど、これで終わると思うなよ、だ。


 「なので、私がロマノフ先生に教わったことを、レグルスくんに教えます」

 「おや、まあ」

 「私が、レグルスくんに授業をします。人に自分が知ってることを教えるのは、真にその物事を理解しているかの確認になりますから。でもですね、私はやっぱり五歳なのでレグルスくんに間違ったことを教えるかもしれません。だから私がレグルスくんに授業をするときは、先生に着いていてもらって、間違ったことをいったら私に指導してくださったら……と」

 「考えましたねぇ。というか、君はやっぱり面白いことを言い出しますね」

 「だめ、ですか?」


 白豚が上目遣いなんかしても可愛くないだろう。でも膝に座ってる辺りでロマノフ先生を見上げるしかないので、ご勘弁ください。

 見上げられたロマノフ先生は、またも私の頬を両手で包んでもちもちしてくる。エステか。


 「そうですねぇ……。鳳蝶君、剣術とか弓術苦手でしょう。そちらはどうするんです?」

 「そちらは……私がレグルスくんに負けたら仇を打って、こてんぱんにレグルスくんを負かしてやってください」

 「そう来ましたか。まあ、いいでしょう」

 「じゃあ……!」

 「あくまで教えるのは鳳蝶君ですからね。私がするのは鳳蝶君の指導だけです」


 よっしゃ!言質とったどー!

 ぐっとガッツポーズを決める。交渉は成立、これでレグルスくんは曲がりなりにロマノフ先生の授業を受けられる。

 何が起こったか解らないのか宇都宮さんはぽかんとしていたが、ロッテンマイヤーさんが拍手してくれた。思わぬ方向からも拍手が。

 母の従僕、セバスチャンだ。


 「いやはや、若様はお優しい。このセバスチャン、感服いたしました」

 「ありがとうございます」


 全く感服なんかしてない、寧ろ皮肉るような声音と、嘲りを含んだ目が言葉を裏切る。ついでに彼を背後に置く母は、不機嫌そうにギリギリと扇を握りしめていた。


 「しかし、果たしてそれが若様のおためになりますでしょうか……?」

 「意味が解りかねます」

 「憚りながら、レグルス様は奥様のご心痛の象徴。その方をこの屋敷に留め置くのは、奥様のご心痛を深めるのでは、と。ご子息である鳳蝶様は、当然奥様のご心痛をお察しくださるものと……」


 なんだ、コイツ。私にレグルスくんを追い出す手伝いをさせたいのか。

 ふんっと鼻を鳴らす。

 母が不愉快なのは解るが、それは両親が話し合って解決すること。私が口を出すことではない。

 だいたい疎まれてる息子が、何で疎んじる母親の味方をするのさ。いや、父親の味方もしないけど。


  「そうかもしれませんね。でも、それは両親が話し合って決めることですし、私が口を出すことではありません。それに私は母の味方もしませんが、父の味方もしませんよ」

 「では、レグルス様に授業をすると仰るのは?」

 「お母様を亡くされて、知ってる人が誰もいない場所に連れてこられた三つのお子さんに、私が同情して何が悪いのです」


 そう、両親と私のことと、レグルスくんと私のことは、切り離して考えるべきもの。両親のことには極力関わらない。

 私が初日と同じ失敗を二度としないように決めたことだ。

 言い切った私に、セバスチャンが更に笑みを深める。嫌みな笑いだ。


 「左様で御座いますか。なるほど流石は奥様のご子息、立派なお心構えかと。しかし……矢張り、レグルス様を受け入れるのは早計ではありませんか。僭越ながら恩を仇で返される可能性もありますし」

 「乗っ取りの心配ならいりませんよ」

 「国法では確かにそのようになっておりますが、物事には何事も例外がありますゆえ」

 「貴様、どういう意味だ!?」


 吼えたのは、成り行きを見守っていた父だった。

 顔が端正だけに、怒りを滲ませると、つり上がった目に半端無く力があって怖い。

 対するセバスチャンは飄々として肩を竦めるだけだ。


 「国法では確かに乗っ取りを禁じていますが、嫡子が廃嫡されたり亡くなった場合は、この限りではありません」

 「……ああ、なるほど。確かにそんな例外がなかったら家門が滅びますね。ああ、そう言う……」


 これで恩を仇で返されるってことは、私が廃嫡に追い込まれるか死ぬ。つまり殺される可能性を考えろってことなんだろう。

 私の言葉にぎりっと父が唇を噛み締め、セバスチャンがにやりと笑った。

 しかし。


 「だから、何だと言うんです?そんなこと、こっちは百も承知ですが」


 何故か解らないけど、階段から落ちるときに見た私に剣を振り下ろすレグルスくんの光景が確定された未来なんだと、私には確信がある。

 私はレグルスくんに殺されるのだ。

 あっさりとした私の言葉に、セバスチャンは兎も角、父も母も目を見開く。


 「実際私は半年前に病で死にかけた身ですしね。人間なにが起こるか解らない。そう言う意味でも、言い方は悪いが代わりは必要です」

 「そこまで、お考えでしたか……」


 ぐっと言葉を詰まらせて、セバスチャンが一歩下がる。両親もなにやら気まずそうに目を逸らし、ロッテンマイヤーさんは痛ましげな顔をしていた。

 傷ついてはないから、大丈夫。

 そう言えば、母はセバスチャンに熱い視線を向けていた。更に彼はレグルスくんを階段から突き飛ばしている。牽制は必要か。


 「別にね、代わりは何もレグルスくんじゃなくても構わないんですよ。仮に歳の離れた弟や妹が出来たとしても、私は今のレグルスくんと同じ対応を約束します。ただ……」

 「ただ?」

 「セバスチャン、貴方がレグルスくんを階段から突き飛ばしたのを、私はこの目で確り見ています。誰かの差し金とは別に思っていませんが、貴方がそう言うひとだと言うのは記録に残します。然るべき形───遺言書にしてロマノフ先生にお渡ししますから、そのおつもりで。父上も母上もご承知くださいね」

 「それは見間違いだと申し上げておりますのに」

 「関係ありません。私が見たものが私の全てで、貴方は母の従僕。それが何を意味するか、母上もお考えくださいね?」


 ギリギリと握りしめていた扇が手の中でミシミシと軋む。

 疎まれるだけなら良いけれど、恨まれるのはちょっと嫌だな。レグルスくんみたいに直接的に危害を加えられるのも。

 バランスをとって痛み分けにするのなら、父にも痛い目にあってもらわなければ。


 「……レグルスくんは父上とあちらの方のこども。母上が養育費を出す謂れはありませんよね。とりあえず、父上は母上にレグルスくんの養育費を払って差し上げてください。それも父上個人の収入から」

 「は……!?」

 「だって菊乃井の財産は元々母上のものです。それを運用して出た利益は、母上に帰属するものでしょう。夫婦の財産は共有されると言っても、母上の財産で生さぬ仲のこどもを養育するのはちょっと図々しいかと」

 「そ、そうよ!鳳蝶、もっと言って差し上げなさい!」

 「なので、菊乃井の領地をちゃんと経営して、出来たお金をきちんと借用書を書いて借り受け、それを元手に父上個人の事業を起こされたらどうでしょう。事業が成功したらレグルス君が大人になった時に、それを譲られて、然るべき家として独立させるのも可能かと思いますし」


 後は大人たちで話し合ってほしい。

 前世の思考をフルに回転させたせいか、頭がとても痛い。頭がぐらぐらしてきて、少し横になりたくなってきた。

 ロマノフ先生の膝から降りると、ロッテンマイヤーさんを近くに呼び寄せる。そして二人の手を握った。


 「ロマノフ先生、ロッテンマイヤーさん、父上と母上の話し合いの証人をお願いします。二人が話し合って出た結論は、文章に認めて二人からそれぞれサインをとること。それを公的に威力を持つような形にして、お手数ですがロマノフ先生にお預かり頂きたいです」

 「それはお願いですか、鳳蝶君」

 「私には頼れる大人がロマノフ先生とロッテンマイヤーさんより他にいないのです。御厄介とは思いますが、重ねてお願い致します」


 割れるように頭が痛む。

 くらくらと眩む視界に、ロッテンマイヤーさんの顔が歪んで見えて。

 あ、倒れる。

 幼児は頭が重いから、上が傾くとそちらに身体も傾ぐもの。

 天井が見えた瞬間、ロッテンマイヤーさんが悲鳴のように私の名を呼ぶ。

 頭に差し入れられた手は大きいから、きっとロマノフ先生の手だ。

 暖かい。

 そう感じた瞬間に、私の意識はぷつりと切れた。

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