第15話 『この紋所が~』は、されるとダメージが大きい
飛んできたウィンクは、見事白豚をオーバーキルしたけれど、普段から美幼児のレグルスくんや、美少女な自身の容姿に馴れているのか、宇都宮さんには効かなかったらしい。
むすっとロマノフ先生を睨んでいたけれど、それよりまたうとうとしだしたレグルスくんをどけてほしいんだけど。
それにお話が終わったなら、私は朝ごはん食べて日課に出掛けたい。そのためには着替えたいんだけど。
「あのぉ、お話が終わったならちょっと皆さん退出して頂きたいんですけど。着替えたいし」
そう言うと睨みあってたロマノフ先生と宇都宮さんがぎょっとした。
「何いってるんですか、君は今一人で着替えが出来るような身体じゃありませんよ」
「そ、そうですよ。レグルス様を庇って落ちられたから、お一人で落ちられるよりもっと負担が身体にかかっておられるんですから!」
「え!?そうなんですか?そんなに痛くないんだけどな……」
確かに起きた瞬間は地獄かと思うぐらい身体が痛かったけれど、今はなんともない。
それどころか腕や脹ら脛に巻かれた包帯が関節を固定して、かえって動きにくいくらいだ。
えぇい、面倒だ。とってしまえ。
腕に巻かれた包帯の端っこを持って剥いていくのが、前世で見た魚肉ソーセージのビニールを剥くのに似ていてシュールだ。
「いけません、鳳蝶君!?傷に障り……え?」
「あ、あれ?傷がありませんよ」
「傷があったんですか?」
包帯の下にはいつもと変わらないぷにぷにのお肉が揺れている。
他のところもそうなのかと包帯を外してみると、痣も無ければ傷もない。
宇都宮さんとロマノフ先生が愕然とし、私はきょとんとする。
すると、ロマノフ先生が「あ!」と声をあげた。
「もしかしてさっき弟君と食べていた桃は、姫君様からの頂きものですか!?」
「ああ、はい。そうですけど……私、先生に話しましたっけ?」
「いえ、今朝、鳳蝶君が怪我で姫君の御前にお伺い出来なくなった旨をお伝えに行きまして」
私が階段落ちしたことを聞いた姫君は、その柳眉を顰めて「養生に努め、はよ妾のために歌いにこい」と仰ったそうな。その際、私が姫君から頂いた仙桃を、まだ食べずにウエストポーチに直していたのを見抜いておられて。
「『あれを速やかに食させよ。直ぐに傷なぞ消えようぞ。勿体無いと後生大事に食さぬならば、またくれてやるゆえと伝えよ』とも仰ってましたよ」
「あの桃、そんな効果があったんですか……。それで一切れ食べただけで身体の痛みがなくなったんですね」
「ん?一切れ、ですか?」
「ああ、はい。レグルスくんがお腹すいたらしいので、ほとんど食べさせたんですが……ダメでしたか?」
自分の名前が呼ばれたのが解るのか、寝落ちしそうなレグルスくんがうっすら眼を開ける。
しかし、レグルス君にロマノフ先生は視線も向けずに、首を横に降った。
「問題はないと思いますが……、鳳蝶君は本当にもう大丈夫なんですね?」
「はい、桃を食べる前は地獄かと思うくらいでしたけど、食べた後はすっかり忘れてました」
レグルス君の頭をどけて、ベッドから下りると、足に巻いてあった包帯もとってしまう。見事にむちっとしたお肉が現れるけど、やっぱり傷や痣はない。
「なるほど、噂には聞いたことはありましたが『仙桃』とは凄いものですね」
私の全身をくまなく観察したロマノフ先生は感心しきりで、ぶつぶつと呟く。姫君の桃はどうやら噂になるほど凄いものだったらしい。貰っちゃって良かったのかな?
宇都宮さんは宇都宮さんで挙動がおかしく、レグルスくんを揺すったり、腕を持ち上げたりしながら、こちらも何やら「仙桃って……」とか「こんなのあり?」とか呟いていた。
なんか、彼女も引っ掛かるひとだなぁ。
兎も角何もないのを納得してもらえたようで、着替えのために宇都宮さんにもロマノフ先生にも退出して貰う。
普段のようにタンスからブラウスとズボンを出して着替えると、控えめなノックがしてロッテンマイヤーさんが入室の許可を求めてきた。
それに応じてドアをあけると、ちょんとスカートの裾を摘まんだロッテンマイヤーさんが、緊張した面持ちで頭を下げる。
「若様、レグルス様、旦那様と奥様が応接室にてお待ちです。ロマノフ先生と宇都宮さんとご一緒にいらっしゃるように……と」
「えー……はい、解りました」
お話することが、私とあの二人の間にあるとは思えないけど、呼ばれているならいかなければいけない。ロマノフ先生と宇都宮さんと一緒にと言うことは、先ほどの「婿養子当主風情が~」に繋がることだろうか。
気は進まないが、寝ているレグルスくんを起こす。
つか、怪我した子供を呼びつけるのはどうかと思うけど、私の存在の軽さから言えば妥当な扱いか。
兎も角、来いと言われたなら行かねばなるまい。
ロッテンマイヤーさんに先導されて、四人揃って応接室に行くと、張ってある革の光沢も美しいソファに、向かい合うように父と母が座っていた。母の背後には、セバスチャンも控えている。
「お連れしました」
「ああ……」
ロッテンマイヤーさんの声に応じて動いたのは父で、ロマノフ先生に席を進める。すると何を思ったのか、進められた席にかけると、私をその膝に乗せた。
「鳳蝶君は怪我をしてるんです。無理しちゃダメですよ」
「いやいや、そんな!重いですから!?」
「羽のように軽いとは言いませんが、別段気にはなりませんよ」
うっそだぁ、絶対重いって。
でも、どんなにじたばたしてもロマノフ先生にがっちり押さえ込まれているので、お膝からはおりられない。
触ってみて解ったけど、ロマノフ先生は着やせするタイプなようで、触れる太ももや腕は存外に逞しい。細マッチョとかうらやましい。
比べれば自分のお腹にあるぷよぷよの贅肉が恨めしい。
「……話はロッテンマイヤーから聞いた。当家の宇都宮の無礼を謝罪する」
「まあ!?当家だなんて!ロマノフ卿、その娘は当家とは何の縁もゆかりもない娘。煮るなり焼くなりお好きになさればよろしいわ!」
苦り切った顔で父が謝罪したかと思うと、金切声で母が否定する。
「まったく、これだから下賎な家の使用人は困るのよ。無知で恥知らずで!まさか帝国認定英雄であるアレクセイ・ロマノフ卿の主が、たかだか婿養子当主風情だなんて!」
「たかだかだと!?その男を手に入れるために、形振り構わなかった醜女が言うにことかいて!」
「なんですって!?」
こう言うのを家庭教師とは言えお客さんに見せるってどうなんだろう。
辺りを見てみると、まずロッテンマイヤーさんがいたたまれなさげにし、レグルスくんの手を繋いだままの宇都宮さんはうつ向いて泣きそうだ。翻って母の背後で、腕を背中に回して立っているセバスチャンはニヤニヤと面白そうに笑っている。
こんな痴話喧嘩を他人に見せるのは、母の立場的にも良くないだろうに。この男は母に忠実とか言うより、ひとの不幸が蜜の味に思える類いの人種かもしれない。
そしてロマノフ先生はと言うと、私の視線に気が付いて悪戯げに口角をあげる。
そっとため息を吐くと、私は「はーい、質問」と手をあげてみた。
「はい、鳳蝶君。なんでしょう?」
「帝国認定英雄ってなんですか?」
この言葉にぎょっとした様子で、父と母の言葉が止まる。
「帝国認定英雄とはですね、皇帝陛下が英雄とお認めになった証である免状を持つ人物のことで、国家に対して甚大な寄与があったり、多大な功績があったりすると免状を頂けるのです」
「そうなんですか。先生、凄いエルフさんなんですねぇ」
「ええ、まあ。因みに私は国が二個師団を差し向けても倒せなかったドラゴンを一人で倒したりしました」
「…………どのくらい強いか解りません!」
「んー、私もよく解りません。何せ百年くらい前の話ですし、その頃より今の方がレベルも上がってますし。因みに免状には『余に刃を向ける以外のことを赦し、意にそぐわぬものには頭を垂れずとも良いことを明言す。汝の主は汝が求むる以外は皇帝のみ、何人も汝に臣従を迫るを許さず』とあります。つまり、私が望まない限り、私の上位者は皇帝陛下のみってことですね」
凄い処じゃなかった。
これは宇都宮さんの分が悪い。私みたいに知らなかった……で押し通せるだろうけど、貴族社会的に『菊乃井家』としてはどうなんだろう。
「五歳児の鳳蝶君が、私を知らないは致し方ないと思うんですよ。私もあえて教えませんでしたし、ロッテンマイヤーさんに口止めしてましたから。しかしねぇ、仮にも自分の主の家庭教師に選ばれたものの来歴を聞かない・調べないと言うのは守役としてどうなんでしょう」
やっぱり無しらしい。
しかしそれなら、守役をきちんと教育しなかったあちらの家の問題で、菊乃井には無関係……じゃすまないな。あちらも菊乃井伯爵の『別邸』になるわけだから。
さて、どう収拾を図るのか。貴族としての腕の見せ所とか言うより、恥をこれ以上上塗りしないために、どうすべきだろう。父や母はどうするんだろう。
そっと伺い見るけれど、二人は痴話喧嘩を再開させるだけで、一向に話が進まない。
とりあえずなんでこうなったか、整理してみよう。
まず父の狙いはロマノフ先生をレグルスくんの家庭教師に据えることで、ロマノフ先生はそれを断った。けれどその断る理由が宇都宮さんには納得出来なくて、ロマノフ先生に噛みついたために今こんなに揉めている。
じゃあ、ロマノフ先生がレグルスくんの家庭教師を断った理由は?
「ロマノフ先生が凄いエルフさんなんだとは解りましたが、それで有名だから父はロマノフ先生にレグルスくんの先生になって欲しいと望んだんですよね?」
「そのようですね、お断りしましたけど」
「何故かお聞きしても?」
「単に興味が湧かなかっただけですよ」
「興味が湧かなかった、ですか」
「はい。だってねぇ……、身近にちょっと眼を離したらスキルが生える、君みたいな面白い子がいるのに余所見してる余裕はないかなって」
なんてこった、私のせいか。それは何か申し訳ない気がする。
「いや、でも、ほら、レグルスくんも突然スキルが生える子かも知れないじゃないですか。半分は血が繋がってる訳ですし」
「そうかもしれませんが、五歳で『緑の手』と『青の手』を持ってる子を見てしまうと、やっぱりそれだけじゃ面白味にかけると言うか」
「レグルスくんもここで過ごせば『青の手』やら『緑の手』が生えるかもですよ」
「それじゃあ、鳳蝶君の二番煎じじゃないですか。益々面白味にかけますね。なのでその線からの説得は無理ですよ」
「あーん、だめですかー……」
ぷうっと膨れると、空気の入った頬をロマノフ先生の両手がもちもち押し潰す。
宇都宮さんが驚いた顔をしていたけれど、レグルスくんはじっとこっちをみるばかり。
さて、これでダメなら違うところから攻めてみようか。
「じゃあ、先生の雇用契約方面から攻めてみます」
「雇用契約ときましたか。正攻法ですね」
「はい、宇都宮さんが攻め損なったほうですね。ようは宇都宮さんは菊乃井家の録を食んでいるなら、何故父の話を聞いてくださらないのか……と言いたかったのかと」
「そうでしょうね、あの場合言い方が悪かったですね」
「だと思います。それに関しては大変失礼致しました」
「謝罪は受けとりましたので、重ねては結構ですよ」
「ありがとうございます。で、本題ですが、先生と菊乃井はどんな契約を結んでいるんですか?」
「あー……それなんですけど、それについてはロッテンマイヤーさんにお願いしましょうか」
ロッテンマイヤーさんに話を振るロマノフ先生は、授業の時と同じ雰囲気で穏やかだ。
両親も喧喧諤諤していたのが嘘のように静まる。
「その件で御座いますが、菊乃井はアレクセイ・ロマノフ卿とは一切雇用関係には御座いません」
「ふぁー!?」
なんじゃそりゃ!?家庭教師じゃなかったの!?
驚きに眼を見開くと、ロマノフ先生は悪戯が成功した子供のように、ニマニマしていて。
「帝国では帝国認定英雄に宿と食事の提供を求められた貴族は、これを拒否することを赦されません。我が菊乃井はロマノフ卿から宿と食事の提供を求められ、その見返りとしてご好意で若様の家庭教師をして頂いているに過ぎないのです」
「やだー!?正攻法が一番正攻法じゃなかったー!?」
「残念でしたね、鳳蝶君」
うぇぇぇ、つまり家庭教師はボランティア。ボランティアに強制を課すことは出来ない。
菊乃井はロマノフ先生になんの強制権も持たないのだ。詰んだ。
「ごめんね、レグルスくん。説得は無理だったよ……」
「そんな!?若様、諦めたらそこで試合終了ですよ!?」
握り拳を握ってこちらを応援してくれてる宇都宮さんから、何か凄く懐かしい台詞が出てきたことに、私はひそかに驚くのだった。
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