第14話 当事者が蚊帳の中とは限らない

 「つまり、父とロマノフ先生がお話し合いをしているうちに白熱して、雲行きが凄く怪しくなって、それを止めるためにロッテンマイヤーさんを宇都宮さんが探しに行って、その間にレグルスくんが暇をもて余して屋敷内の探検に出て、見事に私と階段から落ちた……ってことで良いですか?」


 改めまして、こんにちわ。怒濤の1日とちょっとを過ごして、とっても精神的に疲れた菊乃井鳳蝶(五歳)です。皆さん如何お過ごしでしょう。

 私は今、何故私が包帯でぐるぐる巻きなのか、何故金髪脂肪もちもちことレグルスくんが私の膝で、やっぱりそこにある脂肪をもちもち揉みながら寝転がっているのか、意識を失う寸前に救出されて事情聴取のまっ最中です。

 ぺこりとメイド服の女の子が、私に頭を下げた。


 「はい、私がレグルス様から眼を離したばっかりに。若君様におかれましては……」

 「ああ、いや、謝らなくて良いですよ。それに……」


 チョロチョロ動く子供から眼を離したのは確かに良くない。良くないが、私の見間違いでなければ、もっと良くない真似をした輩がいる。

 母の従僕・セバスチャン。

 見間違いでなかったら、あの男はレグルスくんの背中を押したのだ。眼を離した宇都宮さんより余程、私の怪我に直接的な原因がある。

 ただ、階段にいる幼児の背を抱き止めるならともかく、突き飛ばすような男を、真正面から「犯人は貴方です!」なんて人差し指で指差したところで、認めたりはしないだろう。

 苦々しく思う私に、ロマノフ先生が頷く。


 「宇都宮さんも、弟君が自分から落ちた訳ではないと仰っていまして……」

 「どうせ、『私は落ちそうだと思ったから手を伸ばしたのですが間に合わず……、それより弟君の監督不行き届きを棚にあげ~』とか、そんな感じなんでしょう?」

 「ご明察ですね」


 テンプレートだな。

 さて、どうしてくれよう。

 ロマノフ先生とロッテンマイヤーさんと三人で頷いていると、宇都宮さんが小さく「……とは違うんだけど」と呟いた。


 「何が違うんです?」

 「へ……え、あ!?いや、その……私が向こうのお屋敷で聞いていた若様のお話と違うなって……。し、失礼しました!」


 がばっと大きく頭を下げると宇都宮さんの亜麻色の髪がさらさら揺れる。

 年のころは十二、三歳くらい、榛色の眼の、控えめで穏やかな感じの、これまた美少女。

 美形の周りには美形がたかるのか。

 妙に感心していると、ロッテンマイヤーさんの眉がつり上がる。これはいけない。ロッテンマイヤーさんが口を開く前に、宇都宮さんへと話を向けた。


 「あちらはレグルスくんのお母様のご実家でらっしゃる?」

 「は、はい。その……旦那様が屋敷にお入りになる直前に、奥様のご両親が相次いでお亡くなりになって……奥様の乳母を勤められたメイド長とその夫が家令を勤めております。私は口べらしに売られたのを、奥様とレグルス様の身の回りのお世話のために引き取って頂きました……」

 「そうですか……。先ずはレグルスくんのお母様にはさぞやご無念でしょう。お悔やみ申し上げます」

 「ありがとうございます、レグルス様に成り代わりお礼申し上げます」

 「はい、これからこちらで暮らすのであれば、何かあったときには力になりますので、遠慮なく」


 レグルスくん付きのメイドとして過不足なく、スカートの裾を持ち上げて一礼する宇都宮さんに、ロッテンマイヤーさんの眉が下がる。

 そしてため息を吐くように声を出した。


 「あちらのお屋敷は当然こちらを良くは思っておられないでしょう。どのような話を聞いていたかは想像出来ますが……」

 「あの……こちらではレグルス様は疎まれているから、確りお守りするように……と」

 「ああ、なるほど」


 さもあらん。

 向こうは当然こちらを知ってるし、まして大事な自分たちのお嬢様から恋人を奪い、あまつさえ家さえも苦境に立たせる女の家と、その血を継ぐ息子なんてろくなもんじゃないだろう。

 実際半年前まで、いや、今でもそうかもしれないけど、私は箸にも棒にもだったわけだし。


 「疎むもなにも……私はつい先日までレグルスくんの存在を知らなかったので……」

 「え?……そう、なんですか?」

 「はい、実は当家の事情も知らなかったくらいで。なので、疎みようもないと言うのが実情ですが」


 苦く笑うと、膝にあるレグルスくんの金髪を撫で付ける。ふわふわとした手触りは小さな動物の毛並みを思わせた。

 すると、宇都宮さんが至極真面目な顔で「失礼ながら」と切り出す。


 「レグルス様をお知りになった今は……?」

 「うーん、まあ、複雑ではありますが、私と両親の事情はこの小さい人には関係のないことですから」


 こう言うとき、「俺」の経験や思考力は役に立つ。

 そもそも前提として私は両親に疎まれているのだ。レグルスくんがいるから疎まれるのであれば、レグルスくんを恨むのは筋が通っているだろう。しかし、そもそもから疎まれているなら、レグルスくんが居ようと居まいと関係がない。

 そんなような事を説明すると、へにょりと宇都宮さんの眉が八の字に曲がる。そりゃ、こんな鬱々とした話を聞かされても困るよね


 「少し、羨ましくはあるかもしれません。レグルスくんを見る父の眼は、とても優しかった。私をあんな風には見ないでしょう。抱き上げられてもいましたね。私は両親の顔と声もまともには知らなかった……」

 「若様……」

 「でも、それは無いものねだりです。レグルスくんにぶつける類いのものではありません。安心……は出来ないかもしれませんが、不安なら私からはレグルスくんに近付かないようにしましょう。父もそれを望むでしょうし」


 第一美形の側にいるとコンプレックスが刺激されるんだよね。

 お互いに近寄らない方がいいなら、当たり障りなくそうして過ごすより他ないだろう。

 ……と、思うんだけど。

 もちもち、もちもち、もちもちもちもち。


 「……ところで、レグルスくんはなんでさっきから私の脂肪をもちもちしてるんですか」

 「えーっと、解りかねます!」


 宇都宮さんたら笑顔で言い切りましたよ。

 膝やら太ももやらのセルライトを潰すように、もちもちもちもちエンドレス。

 これはもしかして、あれか。


 「レグルスくんのお母様はもしかして、私ぐらいふとまし……ふくよかだったとか?」

 「いいえ、全く!細身で色白で、まるで雪の妖精のように儚げな、それはそれはお美しいお方でした!」


 おうふ、いらんダメージを自分で受けてしまった。

 はふぅと大きなため息を吐いた私の肩を、ふわりと大きな手が包む。

 見上げればロマノフ先生が穏やかに微笑んでいた。


 「鳳蝶君、弟君は二、三日こちらに滞在して、帝都にお帰りになるそうですよ」

 「ああ、そうなんですか」

 「はい、ですから今後のことはさほど難しくはありませんよ。何せ、滅多にお会いしない距離なんですから」


 そうなのか、それはそれは。

 なら、レグルスくんに関しては二、三日、あのセバスチャンとやらの動向に眼を光らせておけば何とかなりそうだ。

 いや、でも、そんな短期の滞在で帰るなら、なんのために来たんだって話なんじゃ?

 首を傾げる前に、宇都宮さんがきっとロマノフ先生を睨む。ロッテンマイヤーさんが止めるのも聞かず、宇都宮さんが口火を切る。


 「勝手にお決めにならないでください!」

 「勝手もなにも、依頼された私がお断りしたのに、それ以上何があると言うのです」

 「お断りになる理由に納得致しかねます!」

 「おかしなことを……、何故貴方に納得していただかなければならないのです?」


 ぐっと宇都宮さんが言葉につまり、ロマノフ先生が珍しく不機嫌そうに眼を眇る。

 何がなんだか判らないか言い争いが繰り広げられている間に、レグルスくんはもそもそと本格的に寝る体勢に入ってしまった。私の腹の上で。重い。


 「わ、私だけじゃなく、旦那様もご納得されていませんわ!」

 「ですから、どうして納得して頂く必要があるんです?」

 「それは……!それは、若様の家庭教師であるなら、ロマノフ様の仕える主は旦那様です。旦那様に私たち同様、雇われておられるのですから!」


 言い争いは尚も続く。と言うか、宇都宮さんが引かないだけで、ロマノフ先生は意にも介していない。

 どや!と宇都宮さんが社会人にとっての泣き所を突いたように見えて、ロマノフ先生は全く動じていないのだから。

 それどこれか「フッ」と鼻で嗤う。

 いつもにこにこ人当たりの良い先生が、凄く感じ悪く振る舞っているのに驚いて、つい寝愚図り始めたレグルスくんのお腹をポンポンする手を止めてしまった。

 そして、感じ悪いロマノフ先生に、宇都宮さんではなく、ロッテンマイヤーさんが青ざめた。なんでさ。


 「ロマノフ先生、菊乃井の使用人がご無礼致しました。どうか、お許しを」

 「ああ、ロッテンマイヤーさん。貴方から謝罪していただかなくても結構ですよ、彼女はまだ正式には菊乃井の使用人ではないのでしょう?それに菊乃井の使用人であるなら尚更、この場合は貴方ではなく、伯爵か伯爵夫人が謝罪するものです。使用人の責はその主が負うものですから」


 あ、これは何か地雷を踏んだのかしらん。

 普段の暖かみのあるのと違って、翠の目が全く笑っていない、凄みしか感じない笑顔と不穏な威圧感に、愚図っていたレグルスくんさえ起き出す。


 「たかだか伯爵家の婿養子当主風情が私の主?冗談も大概になさい」


 ロッテンマイヤーさんがスカートの裾を持って、退出の挨拶をして部屋の外へと歩き出す。その顔は何か怖いものに触れたかのように、青を通り越して白くなっていた。


 「……ロマノフ先生ってもしかして」

 「もしかして?」

 「とっても偉いひとだったりするんですか?」


 私の問いにロマノフ先生はいつもの優しい、でも悪戯な笑みを浮かべて人差し指を口の前で立てる。


 「内緒です。今はまだ、ね」


 バチコーン!とウィンクが飛んできた。

 最近は白豚を美しさで殺すのが流行っているようだ。

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