第13話 知ってる天井

 ぼんやりとした夢と現の境目が、瞼に朝陽が入ると同時に、一気に現に傾く。

 浮上する意識が命ずるままに眼を開くと、色彩豊かに飾られた天井。

 これは。


 「知ってる天井だ……」


 だって毎日見てるもの。

 さて、じゃあ、身支度をしようかと、起き上がろうとした途端、身体に物凄い痛みと重さがやってきた。

 なんじゃこりゃぁっ!?

 と、叫ぼうにも、特に腹に異様な重みがあって力が入らない。

 ギシギシと痛みを訴える身体を少しだけ起こして、私は自分の腹部をみる。

 そこには布団がかけられた、山のような膨らみがあった。

 なんじゃこりゃぁっ!?

 早朝より二度目です。

 いや、これ、絶対何かヤバい気がする。

 少し動くだけでも軋む身体を叱咤して、何故か包帯まみれの腕を動かして布団を捲る。すると、金色の人の頭髪のようなものが。

 え、朝から怪談とかちょっと嫌なんですけど。

 震えながら腹の上の金髪を見ていると、ひょっこりと小さな手が生える。更にその手が私の腹をもちもちしてきて。


 「ぴぎゃぁっ!?もちもちしないでぇぇぇっ!?」


 怖い!超怖い!!

 金髪から手が生えただけでも怖いのに、それが脂肪がぷにぷにした腹をもちもちしてくるとか、本当に怖い!

 ジタバタと痛む身体を動かして、なんとか金髪脂肪もちもちを退かせようとしていると、バタンっと派手な音を響かせて、部屋の扉が開いた。


 「鳳蝶君!?」

 「若様!?」


 ロマノフ先生とロッテンマイヤーさんが血相を変えて飛び込んできて、ジタバタとひっくり返された亀のような私の姿を目にして、一瞬身体が固まる。

 それから私の膨らんだ腹部を見て、ロッテンマイヤーさんが眉を吊り上げた。


 「宇都宮さんは何をやっているの!?」


 宇都宮さん?誰だ、それ?

 いや、それよりも。


 「た、たしゅけてぇぇぇ!金髪脂肪もちもちがもちもちしてくるぅ!」


 あ、そんな!?いや!やめて!?

 ぶにぶにした脂肪を凄い勢いでもちもちされて、私の何だか乳を搾られる牛の気持ちが解った気がした。




 「貴方はまた、昨夜に引き続いて……!」

 「申し訳御座いませんでした!!」


 ロッテンマイヤーさんの珍しく張り上げた声に、細い身体を震わせて亜麻色の髪の女の子が腰を深々と折り曲げた。足元には金髪脂肪もちもちの正体であるレグルス君がぴったりと引っ付いている。

 その光景にどうしてか覚えがある気がして、じっと見ていると、何を思ったのかレグルス君が女の子の足から離れて、私が寝ているベッドへと上がってきた。


 「昨夜、貴方がレグルス様から少し眼を離したせいで、若様が怪我を負われたのですよ!?レグルス様も若様がいなければ、どれ程のお怪我をなさっていたか……!解っているのですか、宇都宮さん!?」

 「はい!本当に申し訳御座いませんでした!」


 ロッテンマイヤーさんの言葉に、難しい顔をしてロマノフ先生も頷く。

 状況が全く飲み込めない。

 首を大きく捻っていると、膝近くに座ったレグルスくんの小さな手が、くいくいと私のパジャマを引っ張った。


 「おなかすいた」

 「oh……」


 きゅるりと小さな腹の虫が、レグルスくんの中で不服を訴えている様子。

 でも大人は怖い顔だし、女の子───宇都宮さんは泣きそうな顔。

 ちょっと割って入る勇気が湧かない。

 何かなかったろうか。

 部屋の中を見回すと、私のコート掛けに『ウェストポーチ』がかけてあるのが見えて。

 確か、姫君から頂いた桃を、時間経過が無いからって仕舞いっぱなしにしてたような気がする。

 包帯だらけの軋む腕を動かして。


 「レグルスくん、コート掛けに掛かってる鞄持ってこれますか?」

 「ん」


 とことこと小さな足がコート掛けに向かって、ウェストポーチに触れる。これか?と視線で問うのに頷くと、小さな手がそれを上手くコート掛けから外して、私の膝の上に置く。

 一番大きな入り口に手を入れて桃を探していると、いきなりステータスウィンドウに似た物が空に浮かんだ。


 「なんじゃこりゃ」

 「う?」


 ウィンドウにはウエストポーチに入っている物が書かれていて、「園芸用ハサミ」・「ハンカチ」・「懐紙」、それから「仙桃」なるものが表示されていて。

 「仙桃」と言うからには桃だろう。

 指で表示に触れると、ぽふんとウエストポーチの中から姫君に貰った桃が現れた。


 「これが『アイテムボックス』かぁ」


 まあ、便利。

 こんなに便利なら一家に一つくらいアイテムボックス欲しいよね。

 使われてる魔術はかなり高度な物らしく、そう簡単には手に入れられないそうだけど、これは欲しくなる。

 それはさておき。

 きゅるきゅるお腹を鳴かせるレグルスくんの視線が、じっと桃に突き刺さっている。

 でも、出したは良いんだけど、桃は剥かなきゃ食べられない。しかしそんな物はベッドにはないわけで。

 どうしたもんだろうと思って桃に触れると、ぱかんといきなり二つどころか、食べやすい大きさに細かく分かれてくれた。

 なんと言う空気の読める桃なんだろう。慌てて懐紙を取り出して乗せても、溢れそうな果汁が紙を汚したりもせず。

 流石、姫君の桃。

 おそらく姫君がお召し上がりになる時、手を汚す事のないようにと言う仕様なんだろう。素晴らしい!

 とりあえず一つ摘まんでかぱりと口を開けるレグルスくんに食べさせる。

 むしゃっと一口咀嚼した瞬間、ぱあっとその表情に喜びが溢れた。

 やだー!?やめてー!?美幼児が喜ぶとおめめがちかちかするよぉー!?

 美形怖い!?

 間近からの美による視覚への暴力で、気が遠くなりそうだ。

 くらりと目眩がして、私はベッドに倒れる。もう、気絶したい。

 美幼児の顔面偏差値高すぎて、おめめは痛いし身体は痛いし踏んだり蹴ったりだ。

 しかし、美幼児は私が意識を失うのを許さず、あーんと親を前にした燕の雛のように口を開いてくるではないか。

 あぁあ!もぉおおおお!これだから美形はぁぁぁっ!?

 私が阿鼻叫喚してるなんてのは気にもとめず、桃を食べてはごっくんし、食べてはごっくんしを繰り返すこと数度、桃も漸く最後の一切れに。

 これで解放される。

 幾分かぐったりした私が最後の一切れを、雛鳥美形に捧げようとしたときだった。

 何を思ったのか、レグルスくんがはしっと桃を掴む。

 そうだよ、君。そうやって最初から自分で食べてくれたら、私、こんなに疲れなかったのに。

 ため息を吐いて手を懐紙で拭う私の唇に、ぷちゅりと桃の柔らかい果肉が押し付けられた。


 「んえ!?」

 「ん!」


 ぐいぐいと唇が桃で抉じ開けられて、とうとう舌先に果肉の甘味が到達する。

 えもいわれぬ果実の香りに酔う暇もなく、細い指先が果肉を押し潰しながら私の舌に戯れかかって来て。


 「ふぁ…んん……んぅ……!」

 「おいし?」

 「んー……!」


 指を口のなかに限界まで突っ込むのは止めれ。

 酸欠で遠くなる意識でそう思った。

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