第12話 それは約束されたいつかの瞬間

 息が上がる、目の奥が熱くて堪らない。


 ドタバタと優雅さに欠ける足音に、自分の身体の重さと醜さを改めて思い知らされる。


 白豚は、やっぱり白豚なのだ。


 前世の記憶が生えようが、魔術がスキルに生えようが、豚は豚でしかない。


 私が死にかけようが、生きていようが両親には疎ましい以外なにもなかった。


 廊下の角を曲がると、終点にあるのが私の部屋。早く逃げ込みたくて一心不乱に走っていたら、どんっと決して軽くはない衝撃が。


 ころんと廊下に転がった私に聞こえたのは、女性の悲鳴で、はっとして起き上がるとロッテンマイヤーさんが私と同じく廊下に尻餅をついていた。




 「若様……?」




 ロッテンマイヤーさんの姿が、ぼんやりと滲んで、それから目の奥の熱さが、だんだんと頬に移っていく。


 ぐぅっと喉から獣のうなり声のようなものが出ると同時に、ぼろりと涙が零れた。


 父の私を見る目は忌ま忌ましい不実の証を見る目だし、母は嫌悪感を露に憎々しげな目を私に向ける。憎悪と敵意。つまり私は明確に彼らの敵だったのだ。


 両親の顔も声も、覚えていなかったのは、私がアホの子だからじゃなくて、そもそも両親の顔をまともに見たこともなければ、声を聴いたことも無かったから。


 私の周りの大人たちは、私が両親から愛されないどころか憎まれてさえいることを知っていて、それとなく私を二人から遠ざけていてくれたのだろう。


 今回だって、事前に傷つかないように、決して好かれていない、ない希望を持ってはいけないと、事情をロッテンマイヤーさんは話してくれたのに。


 それなのに私ときたら……。


 魔術が使えるようになった、少しだけ前の私より出来ることが増えた。だからちょっとだけでも、好きになって貰えるんじゃないかとか。


 無駄だってちゃんと忠告して貰ってたのに、やっぱり駄目だったことに勝手に傷ついて泣くだなんて、なんて浅ましいのか。


 自分が恥ずかしい。


 ぐっと次から次に目から落ちる水を拭う。


 忠告を不意にしたことを、謝らなければ。




 「ご、ごめ゛ん゛な゛ざい゛……ちゃんと…ぅぐ、じじょ、ひぐ…お゛じえ゛で…れ゛だ……に……ぐす……」


 「若様……!」




 泣き止め、泣き止め!


 ごしごしと拳で眼を擦って、無理やり出てくる涙を止める。言葉もしゃくりあげて上手く話せないのが、みっともない。




 「…ひぅ…ないたりして……ごめんなさい……」


 「若様……」




 ぐっと唇を噛み締めていないと、まだ涙が落ちてきそうで、握りしめた手のひらに爪を立てて、痛みで色んなものを振り払う。


 もう、大丈夫。次からは失敗しない。




 「顔を洗って来ますね」




 本当ならロッテンマイヤーさんを助け起こすべきなんだろう。でも今ロッテンマイヤーさんに触れたら、甘えてまた泣いてしまいそうだ。


 来た道をまた逆に早足で戻って、一階の洗面所に向かう。


 前世の水道のように、こちらでも蛇口を捻れば水が出るようになっているが、水を出したり止めたりする魔術をかけられた魔石が何処かに置いてあって、蛇口の開閉で魔術操作を行う仕組みになっているらしい。


 哀しくても、うすぼんやり違うことを考えていれば、涙はすっこむ物らしい。


 『俺』はそうやってダメージを和らげる癖の持ち主なんだそうで、しきりに世界に対する疑問を頭に投げ掛けてくる。


 ごしごしと少し強めに目元を擦って、持っていたハンカチで拭う。


 そう言えば石鹸に小刀で彫刻するとかも、一度やってみたいかもしれない。


 つらつらと取り留めないことを思いつつ、今日だけで何回うろうろしたか解らない自室に向かう階段に差し掛かる。


 すると踊り場にぽつんと小さな影が見えた。


 レグルスくん。


 所在なさげに階段の手摺りをぺちぺち叩いたり、しゃがみこんで赤い絨緞を捲ろうとしたり。


 あの子は一体どんな子なんだろう。


 私の、弟。


 自室に帰るにはあの子の横を通らないと帰れない。


 別に遠慮する必要はないのだろうけれど、ついつい気が引けてなるべくあの子の視界を避けるように階段に近づく。すると、レグルス君の後ろから、ぬっと母の従僕のセバスチャンとか言う男が姿を現した。


 あの男には私が丁度階段に設置されたオブジェの影になって見えないらしい。


 何やらほの暗い眼をして辺りを見回すと、階段の縁に立って遊んでいるレグルスくんの背中に手を伸ばす。


 落ちたら危ないから止めさせるのか、と。


 ぼんやり見ていた私の思考とは逆に、男の手袋に包まれた手がトンと幼児の背中を押した。


 「えっ!?」と驚く間もなく、ぐらりと傾いだ身体が階段から前のめりに落ちるのが早いか、私の足が勝手にレグルスくんに向かって駆け出す。




 「きゃーっ!?レグルス様!?」




 女の子の悲鳴が聞こえる。けれど、それに構ってはいられない。


 ドタバタと優雅さに欠ける走りでは間に合わないかも知れない。それでも「間に合え!」と願ったせいか、身体がとても軽くなった気がして。


 レグルスくんの身体が階段に叩きつけられる前に、特に頭を守るように、その身体を抱き込む。


 けれど階段から落ちるのはやっぱり防げなかったようで、反転する視界に忌々しげに舌打ちして、逃げるセバスチャンの燕尾が見えた。


 かと思うと、尻に背中、最後に頭に打ち付けられる衝撃と痛みが襲う。


 ゴロゴロとレグルスくんを抱えたまま階段を落ちていく。


 ばしばしと身体を打ち付けるのもだが、落ちるときに壁や階段の角に皮膚が擦れるのもかなり痛い。


 それでもドスッと一際激しく身体を打ち付けると、床に着いたのかそれ以上落ちることはなかった。


 激しく身体が揺れたせいか、頭がくらくらする。


 と、腕の中でモゾモゾとレグルスくんが動いて、私の腹肉に伏せていた頭が動いて、その顔を直視することに。


 金髪に、涼しげな青い瞳、褐色の肌。つくづく父に似た、将来の雄姿を想像させる甘い顔立ち。


 それにため息を着いた刹那、不意に頭が真っ白になる。


 そして──────




 『兄……と呼ぶのも汚らわしい豚め。覚悟して貰おう』




 威厳に満ちた青年の声に、私は顔を上げる。すると屋敷が炎に包まれていて、父によく似た金の髪、青い瞳を華麗な軍服に包んだ青年が、剣を私に向かって振り下ろすのが見えて……。




 ─────ああ、私はいつか、このレグルスに殺されるんだ。


 気を失う寸前、脳裏に浮かんだ映像に、私は何故か確信と納得があった。

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