第11話 針のむしろの座り心地
衝撃の事実から一夜開けて、両親の帰宅当日になった。
私はやはり感覚がおかしくて、どうもふわふわしている。
日課の散歩にでかけても、何だか浮わついて身が入らない。
そんな状態で姫君の所へいっても中々歌えず、訝しんだ姫君に事情を全て吐かされた。
「なんと言うか……芝居になりそうな話よのう」
「そう、なんですが、イマイチ実感が湧かなくて。私、一応当事者なのに」
いじいじとブラウスの裾の、自分で刺繍した花に触れて弄ぶ。
私はそもそも両親に好かれていない。それはロッテンマイヤーさんたちに教えて貰った。
なのに私の中で『俺』が、『家族なんだし』とか『一年くらい顔をみてないんだから』とか、何だか期待を抱いていて。
期待しちゃダメだと思う反面、もしかしたら……なんて思ってもいるのだ。
ふうっと大きなため息が出る。それに姫君の眉間に皺が寄った。
「もうよい、今日は下がれ」
「え……でも……」
「そんな調子では魔素神経を意識して歌うなど無理であろうよ。そんな時に歌を歌ったとて喉を痛めるだけじゃ。今日は早々に帰って喉を休めよ」
そう言うと、姫君のお姿が花のなかに消えた。
私はため息を吐きながら、重い足を引き摺って屋敷に戻る。
途中でいくつも気遣わしげな視線を感じたけれど、それに挨拶する余裕もない。
勝手口で履き物に着いた土埃を落とす。するとざわざわと屋敷の表口が騒がしいことに気がついた。
どうやら母が着いたらしい。
ざわめきが人伝に伝播するのを逆に辿ると、玄関の広間でロッテンマイヤーさんが恭しくお辞儀をして人を迎えていた。
黒髪に紫の瞳、透けるような白い肌の、私にそっくりの────ふくよかすぎるほどふくよかな女性が、燕尾服を過不足なく着こなした男にエスコートされて。
その何かしら淀んだものを抱える目が、私をとらえた途端嫌悪と憎悪を孕ませ、細く整えられた眉が跳ね上がり、指輪が盛り上がるほど脂に包まれた指が私を指差した。
「ロッテンマイヤー!ソレを何処かにやって!不愉快よ!」
「奥様……!?」
金切声が玄関ホールに響く。耳が痛いほどのそれは、ざくりと私の胸に突き刺さる。
私が呆気にとられていると、母の手を引く男がロッテンマイヤーさんに蔑むような目で告げた。
「早く何処かにやってください」
「……無礼なことを!若様は菊乃井のご嫡男であらせられます、従僕ごときがなんと言う口の聞き方をするのです!」
「これは失礼しました。しかし、奥様はご不快に思われておられます。主の意にそうのが従僕の役目ですゆえ」
しっしっと犬でも追い払うような手つきをする男の腕に、母は己の腕を巻き付ける。その視線には媚びるような、それでいて何かドロリとした熱量があって、思わず眼を逸らすと、ロッテンマイヤーさんが私と母たちの間にすっと身体を割り込ませた。
「お部屋の用意はお申し付け通り出来ております、そちらでお休みくださいませ」
「わかったわ、連れていってセバスチャン」
「御意」
気持ちが悪いと思うのは、いけないことなんだろうか。
母にも母の人生がある。父を見限って他の男性を好きになったって致し方ない。
でも、私の母だ。
他所の男にすり寄る姿なんて見たくなかった。
きゅっと唇を噛んでいると、少しだけ目の奥の熱さが和らいだ。
今日から暫くは、皆忙しい。
手を煩わせないように自室に引き取ろう。
そう思っていると、ふわりと肩に大きな手が。
「お勉強、しましょうか」
「はい、先生」
ロマノフ先生に伴われて自室に戻るために、二階の階段を上がっていると、再び玄関先が騒がしくなった。
ぎっと重い扉を開けて入ってきたのは、褐色の肌に金色の髪、青い瞳が冴え渡る、カイゼル髭も雄々しい長身の男性で、腕には同じく金髪、褐色の肌の幼児がいて。
その後ろから亜麻色の髪が肩まで伸びたメイド服の女の子もいた。
私と父は、少しも似ていない。
私はあの人の憎む女性にばかり似ていて、あの人が遠ざけたがるのもよく解る。
穏やかな、慈しみ深い目で幼児を見て何事かを話しかけていたのが、ふっと二階にいる私を見た途端温度を無くした。
けれど少し眉を顰めただけで、直ぐに視線を隣のロマノフ先生に移す。
「貴殿が、高名な『アレクセイ・ロマノフ』卿か……」
「左様です、閣下。高い所から失礼致します」
「謝罪には及ばぬ。早速だが、我が子・レグルスについて……」
「申し訳ありませんが、これから鳳蝶君の授業がありますので」
再び慈しむ眼を腕の幼児───レグルス君に向ける。しかし、先生が父の言葉を遮って、私の手を握って歩き出す。
その背中に大きなため息が降った。振り返れば、忌々しげに私を見る目にぶつかる。
「ロマノフ卿。貴殿の尽力は有り難いが、私はソレには何の期待も抱いていない。私が期待するのはレグルスだけだ。どうせ箸にも棒にも掛からぬような子供にかまけるなど、時間の無駄と言うもの。私はレグルスの話がしたい」
つくづく、どうでも良さそうな声音だった。
私は、父にとって心底どうでも良い子供で、翻ってあの腕の中の子は。
レグルス君は有名らしいロマノフ先生の教え子に相応しいのだと、親の口から言えるような、そんな子で。
先生の手を握っていた手から力を抜く。
「先生、私、自習してますから、先にお話なさってください……」
いたたまれない。
呼び止めるロマノフ先生の声に気付かない振りをして、私はその場を逃げ出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます