第8話 異世界における某四○元ポケットの作り方

 父と母は五日後に屋敷に着くそうだ。ロッテンマイヤーさんが持っていたのは、先触れの手紙だったらしい。


 私は五歳の誕生日前後は寝込んでいたし、それ以前の記憶は曖昧で、一年くらいどちらの顔も見ていない。


 二人とも、どんな顔だったっけ?


 どんなに記憶の底を浚っても両親の顔が出てこない。どんな声だったのかすらも。


 えー……私、ちょっとアホの子過ぎるだろ。


 自分のアホの子加減に驚いていると、ロッテンマイヤーさんがなにやらロマノフ先生に耳打ちする。


 少しだけ「旦那様」やら「奥様」やら言う言葉が聞こえたから耳を澄ませていると、ロマノフ先生の顔色が変わった。




 「それは……!?待って下さい、菊乃井伯爵は婿養子で……」


 「ロマノフ先生!お声が高う御座います!」


 「あ……」




 ちらりと私の方をロマノフ先生が見る。つられてロッテンマイヤーさんも此方にちらりと視線を向けるけれど、直ぐに目線をロマノフ先生に戻した。えー、ちょっと、気になることしないでぇ!?


 いや、それより、今、婿養子とか言わなかった?




 「父は……他家から婿養子に来た人で、そもそも母が伯爵令嬢だったんですか……!?」




 全然知らんかった!


 いや、親の顔が思い出せないアホの子だし、言われても解んなかったかもだけど。


 ビックリしていたら、ロマノフ先生が肩を竦めた。




 「矢張り鳳蝶君に話した方が良いと思います」


 「ですが、若様はまだ五歳ですよ!?こんなことをお教えしても……」


 「普通の五歳児であれば私も黙っていて、時が解決するのを待つのが上策だと思います。しかし、鳳蝶君はこちらが思うより、遥かに聡明なお子です。いずれ口さがない者たちの口から、尾ヒレはひれついた話を聞かされるよりは……」


 「ですが……」




 珍しく、ロッテンマイヤーさんが眉を八の字にして私をみると、大きくて長いため息を吐く。それから右手で眼鏡の弦を押し上げると、少し逡巡してから口を開いた。




 「少しだけお時間を下さいませ」


 「ロッテンマイヤーさん……」


 「お話するにしても、私にもどうやってお話したものか……」




 いつもの様に優雅にスカートの裾をつまみ、「失礼いたします」とお辞儀してから、一寸の隙もなく回れ右で屋敷の廊下を去っていく。


 残されたのは私とロマノフ先生の二人。




 「今日はこれからどうなさるんです?」


 「今日、ですか?今日はエリーゼと着なくなった服を利用して、腰に着ける鞄を作ろうかと」




 ベルト通しを布の鞄に着けて、ベルトで腰に固定するタイプの鞄で、前の世ではウエストポーチとか呼んでたやつの再現だ。


 あれがあると、両手は空くし、荷物がぶらぶら揺れることもないし、直ぐに必要物品を取り出せる。


 園芸や日用大工の道具を入れておいて、使うときに腰から下げようと思って。


 百聞は一見にしかず。


 見てもらえば判るだろう。


 そう思ってロマノフ先生の手を引いて部屋に行くと、作りかけのウエストポーチの試作品を出してみた。


 リネンの大きな、蓋付きの長四角の袋に、ポケットを二つ。二つともボタンで開閉できるようになっている。




 「ほう……中々使いやすそうですね」


 「菜園に使う鋏や手袋、万が一の時の消毒液や包帯を入れて持ち歩こうと思って」


 「ああ、なるほど」




 ふむふむとウエストポーチ(仮)を眺めると、ロマノフ先生がにっこり笑う。




 「少しお勉強をしましょうか」


 「お勉強?」


 「はい。魔術の話です」




 はっとしてノートを取りに行こうとすると、ゆるゆると首を横に振られる。




 「そこまで本格的なお勉強じゃありませんし、魔術を習ううちに頭に自然と入ることですから」


 「わ、解りました」




 私、生活に密接に関わる神様の名前も聞き流してたら覚えてないようなアホの子ですが、大丈夫でしょうか?


 そんな私の自分不信を他所に、ロマノフ先生の講義が始まった。




 「この世界には魔術の体系がいくつかあります。まず、怪我を治したり、受けた毒や麻痺を回復する治癒魔術。他者を攻撃する攻撃魔術。自分及び他者の能力に干渉する補助魔術、空間に干渉する空間魔術、それから秘蹟、聖霊術。この五つが代表格です」


 「代表格っていうと、他にもあるってことですか?」


 「はい。太古に喪われたものや、使う人が少なくて廃れそうなものとか、ですね」




 ロマノフ先生の話によれば、そもそも魔術は魔素を体内に取り込んで、魔力に変換して体内に作用させたり、体外で作用させたりして使う。魔素の取り込み量が多ければ、それだけ魔力への変換量も多くなる。魔力への変換量が多いと、その分だけ威力も精度も作用する人数も多くなるのだ。


 治癒や攻撃・補助は、魔素から変換した魔力を、世界にあまねく四大元素の精霊に譲渡することで、その属性の持つ様々な効果を引き起こして貰うそうな。




 「あれ、じゃあ空間魔術は空間の精霊に魔力を譲渡するんです?」


 「そこ、なんですけどね。空間魔術は一つの精霊に働きかけるのでなく、四大元素全ての精霊に手伝ってもらわなければ出来ません。何故なら空間と言うのは、今私たちが存在する世界そのものでもあるからです」


 「ははぁ……」


 「この世界は神様が四大元素と光・闇を併せてお造りになったもの。それに少しの干渉を四大元素の精霊全てに手伝って貰って行うのが空間魔術です。しかし四大元素全てに力を借りると言うのは、言葉で言うほど容易くはありません。使う魔力量も尋常ではありませんし」


 「つまり、使える人はとても少ない……?」


 「正解です。ですが、使えると非常に便利です。一度使えば固定してその状態に出来るものもありますし、何度も使えるものもあります」




 例えばと、腰に着けたままのウエストポーチ(仮)に触れると、ロマノフ先生がなにやらぶつぶつと呟く。上手く聞き取れないのは、普段私とロマノフ先生が話している麒凰帝国公用語でなさそうだからか。


 ポーチに触れてるロマノフ先生の指先が微かに光って、それがポーチ全体に行き渡る。その間瞬きするほどの時間だったけれど、それでもうっすらと先生の額は汗に濡れていた。


 持っていたまだ使っていないハンカチで、先生の汗を拭おうと近づく。しかし残念、背が足りなかった。


 それでも差し出したハンカチの意図は伝わったようで、先生はそれで汗を拭うと、四角いそれの角に施してある蝶々の刺繍に顔を綻ばせて。




 「見事なものですね、これとポーチを交換しましょう」


 「ふぇ?」




 いや、ポーチもハンカチも私のなんだけど?


 顔に疑問符を張り付けた私に、ロマノフ先生がウエストポーチ(仮)を外してよこす。




 「今、そのポーチに空間魔術をかけました」


 「え!?空間魔術って!?」


 「何を隠そう、私はレアな空間魔術の使い手なのです。そして鳳蝶君のポーチに、今、『アイテムボックス』の魔術をかけました。半永久的に使用可能なやつですよ」


 「はーい、質問!『アイテムボックス』ってなんですか?」


 「『アイテムボックス』とはですね……」




 早い話が、前世の水色の狸じゃなくて猫型絡繰り人形の持つ、何でもどれだけでも収納可能な異空間に繋がったポケットのようなもの、らしい。


 ただし、あちらとは違って許容量は私の部屋の箪笥くらいが限度。それでもそこに入れている限り、時間が止まったようになるらしく、食べ物を入れても腐らないどころか、出来立てほやほやで入れたら、出した時も出来立てほやほやなんだとか。




 「うぇ!?そ、な!そんな、凄いの!貰えないです!」


 「いいえ、私にとっては等価交換ですよ」


 「だ、だっ、たって!それ、私が刺繍しただけで!?」


 「鳳蝶君、私は君にあえて教えませんでしたが、『緑の手』や『青の手』を持つひとの手になる植物や作品を、精霊はとても好むのです」


 「へ……そうなんですか」


 「はい。でね、そう言うものを一つでも身に付けていると、精霊が勝手に魔術の補強をしてくれるのです。私のマントには鳳蝶君に刺繍してもらったエルフ紋様のコンドルが十羽。割合で言うと、私が何も無しで魔力を使う時の、軽く五割増しくらいの補助が見込めるのです」


 「ふぁー!?ご、五割増し!?」


 「それも軽く見積もって、ですからね?そしてこのハンカチで更に補強が見込めるんです、立派な等価交換ですよ」




 えぇえ!?マジか!?


 私が興味本位でちくちくしてたナスカの地上絵に、そんな効果があったとは。


 その驚きに、正直父が養子だった件は、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。

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