第7話 長いものには遠慮なく巻かれるべし

 快晴、実に庭いじり日和の朝だった。


 季節は初夏、気の早い朝顔が一輪咲いたお陰で、菜園で一仕事終えてから、朝の散歩に勤しんでいた。


 いつものように散歩に相応しいあの曲を歌いながら歩いていると、小鳥が寄ってきたり、庭にどこから迷い込んだのか狐や狸も顔を出す。


 菊乃井領って実は結構な田舎で、帝都から十日くらい馬車を走らせて漸くたどり着くらしい。


 領民の主な産業は農業で、ほぼ地産地消。次いで多いのは冒険者だそうな。


 産業が冒険者って言い方は少し変かもしれないけど、実際農業以外の生計は森でモンスターを倒すか、山にあるダンジョンでモンスターを倒すかしかないらしい。世知辛い。


 でも、菊乃井領のダンジョンはレアメタル『ヒヒイロカネ』を産出するモンスターがごく稀に、そうでなくても生活必需品の魔石やモンスターの皮・肉・骨、他にも貴重な素材が取れるのだとか。


 ものによれば一攫千金も夢じゃない。


 だから菊乃井には冒険者を志すものが多いそうだ。


 じゃあ、その冒険者で街が潤っているかと言うと、これまた違う。


 菊乃井にはこれと言った面白味がないくせに税は他所の田舎より重いらしく、ダンジョンである程度稼いだら冒険者は他所の街へと移るのだそうで。


 よって閑古鳥が鳴くほどではないけど、冒険者ギルドや宿場も儲かってるとは言い難い。なんてこった。


 つらつらそんなことを考えているうちに、庭の最奥、姫君のご座所に到着する。


 と、野ばらは消えていて、典雅な牡丹が一輪風に揺れて、その香りを風に漂わせていた。




 「漸く来たか、妾を待たせるとは不敬な小童め」


 「申し訳ございません」


 「ふん、今年一番最初に咲いた朝顔を眺めに行っておったのじゃろ?あれは朝顔の精霊が、妾に咲き初めの挨拶に来たのよ」




 姫君は意気揚々と言うか、『俺』の言い回しで言うところのどや顔で。


 はぁだとか、ほぉだとか冴えない返事を返す私に、ぴしりと薄絹の団扇を突きつけた。




 「さあ、歌え。先ずは神を讃える歌じゃ」


 「えぇっと……はい」




 急かされる様にして歌いだしたのは、十字架をシンボルにしてる神様の使徒たちのもので、酒場の歌い手だった女性が悪いやつらに追われて、神様の使徒たる女性たちの住まう場所に逃げ込んで、一宿一飯の恩義か、そこの女性たちに歌いかたを教える物語に登場する、『聖なる女王を讃える』歌だ。


 本当は合唱曲だから一人で歌っても迫力がないけど、この曲の流れは素敵だと思う。


 ふぅっと最後の一音を歌い終えると、ふっと姫君が口角をあげた。




 「ふむ、中々。しかし、小童めの音程が甘いの」


 「う、申し訳ありません……」


 「まあ、正しき音楽の師もついておらぬようだし、その辺りは許すが……」




 何だろう、なにか不敬を働いただろうか。ドキドキしていると、姫君が眼を細めて団扇を振る。




 「魔素神経は確り定着しておるの。なればそれを意識して歌ってみよ。ある程度音程の補正ができるぞ」


 「は、はい!」


 「ではもう一度、今の曲を歌ってみよ」




 言われて歌ったら、今度は「魔素神経の認識が甘い!」と注意されて、歌い直すこと五度目のこと。


 最後の一音を止めると、姫君の眦がつり上がる。


 余りの不出来に不興を買ってしまったのかと身を縮めていると、姫君が団扇を降った。




 「そなたではないから安心せよ」


 「は、は、はい…!?って、え?」




 この場には私と姫君しかいない筈。きょろきょろ辺りを見回していると、雲一つない快晴だったのが俄に暗雲が垂れ込めた。しかも、この奥まった庭の一画だけ。


 何が起こってるんだろう。


 不安に思っていると、姫君が私を手招く。




 「来よ、小童。そなた、天界には興味があるかえ?そなたが望むなら、連れていくのも吝かではないが……」




 にたりと口の端をあげる姫君は、けれど全く目が笑ってなかった。


 どうしよう、怖い。


 でも「来い」と言われたのに行かないのは不敬なんじゃ……。


 何が何だか分からなくなって眼を回していると、庭の植え込みがガサガサと音を立てて動いた。


 そして木々の枝の間から見えたのは、尖ったお耳と金の髪の─────




 「ロマノフ先生!?」




 翠の眼にはいつもなら飄々とした雰囲気が宿るのに、今は何か追い詰められているかのように険しい。


 何かあったんだろうか。って言うか、ロマノフ先生はいつから植え込みにいたんだろう。疑問符が浮かんでは消える。


 そんな私を他所に、ロマノフ先生は片膝を地面について、姫君に頭を垂れた。


 美形がカッコいいことをすると様になり過ぎていて、怖い。




 「ご無礼の段、平にご容赦を。私わたくしはそちらの小さき方の家庭教師を勤める者に御座います」


 「……ほう?」




 ぴくりと姫君の片眉が跳ねた。そして私の方に顔を向けると、視線だけで真実を問う。


 思い切り首を縦に振ると、姫君が「ふぅん」と上げた眉を戻した。




 「その家庭教師ごときが何しにきやった?」


 「先ほど、我が小さき方を、姫君様が天上にお召しになろうとなさいましたゆえ、一大事と思い不敬ながら御前にまかりこしました」


 「その前からこそこそと隠れておったであろうに。妾を謀る気かえ」


 「誓ってそのようなことはございません。昨夜、我が小さき方から、貴方様から恩寵を頂いたことをお聞きしました。ただその時に、我が小さき方は少し不安そうなお顔をなさったのです。私にはそれが気掛かりで……」


 「ふぅん、不安そうな顔のう」




 ひらりひらりと団扇が閃いて、凄く良い香りが辺りに漂う。


 姫君の視線がざっくりと刺さるけど、私は目線を逸らす事しか出来なくて。


 だって、前世の記憶の歌とか言えないんだもん!


 そう開き直れたらどんなに良いだろう。だけど私には出来ない。先生に奇妙な物を見るような眼で見られたら、きっと立ち直れない。


 ブラウスの裾を摘まんでいじいじとしていたら、ふさりと団扇が閃いた。




 「なるほどのう。それは要らぬ気遣いをさせたな、小童」


 「ふぇ……?」


 「こやつが不安そうにしたのは、妾がこやつに歌わせていた曲のせいよ」


 「歌わせていた曲、ですか?」


 「そう。妾はこやつに異世界の歌を歌わせていたのじゃ」


 「異世界、ですか?」




 そう言ったロマノフ先生の顔に衝撃が走る。


 神様がいるのは兎も角、異世界はそりゃあ驚くよねー……。


 成り行きを見守っていると、ビシッと団扇が突き付けられる。




 「妾は歌舞音曲を好む。それゆえ異世界の神ともそれが縁で交流があるのじゃ。だから教わった歌をこやつに教えて歌わせておったのよ。こやつ、姿かたちは無しよりの無しじゃが、声は佳い。音楽の師にも正式についておらぬにこれほど歌えるなら、妾が仕込めばどれほどになるかと思ってのう」


 「左様でございますか……」


 「しかしの、こやつ不敬にも最初は妾を知らぬとぬかしおった」




 くふりと悪戯に笑った姫君とは対照的に、ロマノフ先生が青褪める。


 いや、本当にアホの子でごめんなさい。




 「それは……我々大人の不徳と致すところで、我が小さき方にはなんの罪科なきこと!」


 「小童は、自分が愚かにも周りの大人の教えに耳を傾けなんだせいじゃと申しておったわ。それはまあ良い。つまり、それだけ気の回る子どもゆえ、先んじて『異世界の歌』なぞ歌ったと妾の許しもなく言えぬと思うたのじゃろ」


 「……確かに我が小さき方はその様なお方ではありますが……なるほど、そんな事情が……」




 視線を姫君とロマノフ先生の間でさ迷わせているうちに、何だか話が私の都合の良いように転がっていく。ラッキー!……とか、喜ぶ気にならないのは、私が先生を騙しているからだし、姫君に嘘の片棒を担いで頂いているからだろう。罪悪感で死にそうだ。


 そんな私をちらりと見た姫君が、ぱしりと団扇で私の額を叩く。




 「小童が余計な気を回すでないわ。妾は気にせぬに、勝手にあれこれ考えおって」


 「も、申し訳ありません」


 「詫びずとも良い。妾はそれなりに楽しんでおる。それはそれとして、妾はそこなエルフに不敬の詫びを所望するぞ」




 ツンと上がった細い顎に、有無を言わせぬ威厳を感じる。


 それはロマノフ先生も感じているようで、静かにその場に額付いた。


 私はと言えばアワアワと二人の間で目線をいったり来たりさせるだけで。


 すると姫君が私にウィンクを投げた。




 「エルフよ、こやつに妾が教えた異世界の歌を、そなたが教えたことにするのじゃ」


 「は……それは、何故に?」


 「妾が教えたとなれば大騒ぎになるし、そなたらエルフならば神代の曲を継いでいても不思議ではあるまい。歌の修行をするならば、人目を忍ぶのも限度がある。エルフがついているなら人間が聴いたことのない曲を歌っていても訝しくは思われまいよ」


 「つまり……我が小さき方に、歌の才を磨かせよ、との思し召しでございますか」


 「うむ」


 「承知致しました」




 重々しくロマノフ先生が頷くと、立ち込めていた暗雲が晴れる。


 キラキラと初夏の日差しが庭に戻ると同時に、百華ひゃっか公主こうしゅの姿はもうそこにはなかった。


 ありがとうございます!


 心の中で姫君にお礼を叫ぶと、きゅっと手を握られて身体がびくりと跳ねる。


 ロマノフ先生が、私の手を握って眼を細めていた。




 「……屋敷に戻りましょうか」


 「はい」




 暖かで大きな手の感触は、私には余り覚えのないもので、包み込まれる感覚がくすぐったい。


 もしも父と手を繋ぐことがあったら、こんな感じなんだろうか。


 そう思うと口許がふにゃふにゃになるのを止められなくて。


 ロマノフ先生と手を繋いだまま屋敷に入ると、ロッテンマイヤーさんが血相を変えてやって来た。手には紙切れが二枚握られている。




 「大変です、旦那様と奥様がお戻りになります!」




 わお!?タイムリー!!

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