第5話 何か生えた!?

 その日の午後、おやつを食べ終わっていつも通りロマノフ先生とのお勉強。


 先生のマントに十羽めのコンドルを刺繍し終えると、針箱を片付けて。




 「今日の自主勉は何をしていたんですか?」


 「今日は馬や牛や鶏の世話をヨーゼフとして、昼からは料理長と新しい料理の開発してました」


 「新しい料理、ですか?」


 「はい、えーっと、スフレオムレツっていう……」




 スフレオムレツとは卵の白身を泡立てて、黄身とざっくり混ぜて焼くオムレツで、焼き上がりがとってもふわふわしたオムレツなのだ。


 この世界にもメレンゲを作ることがあるわけで、そこから発想を飛ばしてみたことにしたけれど、料理長には「若様の頭のなかはどうなってるんです?」って、笑われた。解せぬ。


 しかしこの料理、食べる前にオムレツを焼くようにしなければ、すぐにふわふわが萎んでしまうという弱点があって。




 「なるほど、ではお夕飯の楽しみですね」


 「はい。今日はテーブルマナー講習も兼ねて、先生やロッテンマイヤーさんとお夕飯だから……楽しみです」




 私がこうなってから週に二回、テーブルマナー講習という名目でロッテンマイヤーさんと夕食を共にする機会が設けられた。


 二人だけであの長い食卓に着くのは寂しいけど、独りより全然ましだし、1ヶ月前からロマノフ先生も加わって、少しだけ賑やかさがました。


 その時に合わせて料理長さんに、私の知ってる前の世界の料理を作って貰うことにしたのは、誰かと食べる食事のイメージがどうしてもあちらに寄ってしまって、そうするとどうしてもあちらの料理を食べてみたくなったから。


 勿論、ない調味料もあるから再現は難しいけれど、料理長が腕を奮ってくれるから、大抵は美味しく頂けている。




 「空腹は最高のスパイスと言いますしね、それではお夕飯までお勉強に勤しみましょうか」


 「はい」




 そんな訳でいつものように「オープン」と言葉に出してステータスを開示する。




 名前/菊乃井きくのい 鳳蝶あげは


 種族/人間


 年齢/五歳


 LV/1


 職業/貴族


 スキル/調理A 裁縫A 栽培A 工芸A 剣術E 弓術E 馬術D 魔術E


 特殊スキル/緑の手 青の手 


 備考/百華ひゃっか公主こうしゅのお気に入り




 すると、そこには昨日まで無かったスキルと備考がが生えていた。


 瞬きを三回、ステータスを三度見して、唖然としてるロマノフ先生と眼を合わす。




 「……魔術、生えてますね」


 「……はい、生えてますね」


 「…………百華ひゃっか公主こうしゅのお気に入りって」


 「…………なんなんですかね?」




 じーっと見つめられたので眼を逸らす。すると、むにっと両方のほっぺたを、大人の男の人の手が押し潰してきた。




 「ちょ!?もちもちしないで!?」


 「ああ、いつもと同じもちもち具合だ!夢じゃなかった!」




 はふぅと大きな息を吐きながら、先生は私のほっぺたをもちもちするのを止めない。


 凄く良い笑顔でほっぺたをもちもちされること、数十回。漸く解放された時には、ほっぺたが少し絞れてたような気がする。




 「やー……思わぬものを見たお陰で取り乱してしまいました、申し訳ない」


 「いえいえ、こちらこそ。先に取り乱して頂いたお陰で、驚きが逃げていきました」


 「中々言いますねぇ」




 ニヤリと悪戯好きなエルフ先生が笑う。けれど、すっとそれを納めると、至極真面目な顔をした。




 「正直に言いますと、魔術の方は後一年もすれば芽が出るとは踏んでいたんです。貴方は集中力が歳の割に高いから。私が悪戯や冗談でちゃかしても、一時は集中が乱れても直ぐに取り戻せましたしね」


 「はぁ、そうなんですか?」


 「ええ、そうなんですよ。なので、予定が一年くらい早まっただけの予定調和なんですけど……『百華ひゃっか公主小幡のお気に入り』ですか……」




 そう言ったきり、先生が少し考えるそぶりを見せて黙り込む。


 沈黙が耳に痛くなったころ、先生が再び口を開いた。




 「鳳蝶あげは君、百華ひゃっか公主こうしゅのお名前を聞いたことはありますよね?」




 どうもあの姫君の御名は、この世界では一般教養だったらしい。


 眼を逸らした私に、先生ががっくりと頭を垂れた。




 「鳳蝶あげは君は本当に知ってることと知らないことの差が激しくて。ロッテンマイヤーさんから、病を得て生死の境をさ迷うまで本当にどうしようもない貴族の坊やだったとは聞いていましたが、今の君からはそんな想像がつかなくて首を捻ってたんですよ。こんなところでその名残を見るなんて……」


 「あー……えー……その節は誠に皆様には申し訳ないことをしていたと、重々反省致しております」


 「それ、そう言う難しい言い回し。そんな大人でも舌を噛みそうな言い回しが出来るくせに、生活に密接に関わる神様の御名を知らないって、凄くアンバランスです」




 言われてみれば確かに。


 難しい言い回しは全て前の『俺』から引き継いだもの、翻ってこちらの知識は全て私自身のもの。


 つまり、私は自身の生活に関わる神様の名前も解らないくらいアホの子だったのだ。衝撃の事実。


 思わぬところで発覚した自分のアホの子ぶりにショックを受けていると、先生がノートを指した。




 「解らないなら学べば良いだけです。では今から夕食までは座学として、この世におわす神々のことを講義します。必要なことはノートを取って、進んで質問してください」


 「はい……!」




 アホの子は罪ではない……こともないけども、それよりもアホの子で居続ける方が重罪だ。




 この世の全てに神が宿ると言う教えを、前の世界ではアニミズムと呼んだ。


 今の私、『菊乃井きくのい 鳳蝶あげは』の住む世界の宗教観はアニミズムが下敷きになっているそうで、沢山の神がおわす多神教なのだそうな。


 そのなかで代表格が太陽神にして朝と昼、生命と誕生を司る神・艶陽えんよう公主こうしゅ、月の神にして夜と眠り、死と再生を司る神・氷輪ひょうりん公主こうしゅ、山の神にして戦争と勝利、炎と武力を司る神・イシュト、海の神にして魔術と学問、水と知恵の神・ロスマリウス、空の神にして技術と医薬、風と商業を司るイゴール、そして大地の神にして、花と緑と癒しと豊穣を司る百華ひゃっか公主こうしゅの六柱。


 その他にも正義と調和、愛と美とかもおわすそうだ。




 「いつだったかお話しましたが、世界には四つの大陸があります。そこには麒凰きほう帝国のような大国から、エルフの国やドワーフの国、獣人の少数部族が治める小国が乱立しています。それぞれ政治形態も違えば文化も違う。しかし宗教は崇める神が違うだけで、似たり寄ったりなのです」


 「では宗教戦争なんかも起こらない?」


 「無くはないですが、宗教戦争と言うより派閥争いに近いかと。それに同じ神を信じる宗派でも、やれ教典がどうの、神殿がどうのと、優劣を競っていますし。その辺りはどんな世界でも利権が絡めば必ず起こることじゃないかと」


 「はあ……皆仲良くしたら良いのに」


 「宗教には皆仲良くしましょうねって教えがどこにでもあるんですがね」




 ちょっと先生の口調が皮肉っぽい。


 そりゃ、「皆仲良く、平和が一番!」なんて説く人たちが、教壇で足を踏みあってたら説得力なんて欠片もないから当たり前か。


 へらりと笑うと、先生がこほんと咳払いを一つ。




 「あー…と、脱線しましたね。兎も角、麒凰きほう帝国でも大概の方はこの六柱の神々を信仰していまして、特に農業や緑に関わる仕事を持つ方にとっては、百華公主は主神も同じなのです。そして、貴方はその『お気に入り』と言う……」


 「あー……えー……あー……」




 目が泳ぐ。


 朝の散歩の時の話を話すにしても、さて前の『俺』の話をどうしたもんだろう。


 余り嘘は言いたくない。言いたくないけれど、前の『俺』の話をするのが怖い。


 気持ち悪いと言われたら、おかしいと言われたら、どうしよう。


 散々迷って先生を見ると、はっとしたような顔をした。




 「……話すなと、言われているんですね。神々の寵を得るには相応の理由がいります。秘密を守るために宣誓をさせられているのですね」




 なんか知らんけど妙な方に行って助かった。


 ほっとしつつも、黙ってるともっと妙な方に転がりそうなので、慎重に今朝あったことを話す。勿論「話せないこともありますが」と前置きして、前世については掻い摘む。




 「……と言うことで、明日も歌を歌いに行かないといけないんです」


 「歌ですか。確かに百華公主は伝承によれば人間のする歌舞音曲を好むとありますが……」




 青田買いか、と。


 呟いた先生の翠の目が険しく見えたのは、私の気のせい……だよね?

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