第4話 この世には逆らっちゃいけないひとがいる

 屋敷の奥庭で野ばらを見つけてから丁度七日目、日課の歌いながら散歩に来てみれば、見慣れないものを見つけてしまった。


 真っ赤な野ばらに囲まれて、豪奢な大輪の牡丹が一輪。


 牡丹も野ばらも咲く時期が被るから、そんなにおかしい取り合わせではないけれど、でも昨日まで牡丹の蕾なんて野ばらの中には無かったのに。


 不思議に思っていると、脚が勝手に牡丹へ向かう。


 ただ一輪、静かに咲く姿はまるで麗しい女王が凛と佇んでいるような威厳があって、何故か眼を逸らせない。どころか、ふらふらと火に吸い寄せられる羽虫のように、花へと近寄ってしまった。


 目の前で見るその牡丹は、花弁が極上の絹で織り上げたように艶やかで、幾重にも折り重なっている。


 この牡丹は普通じゃない。


 吸い込むとふわふわと酔ってしまいそうな程の甘い薫りが私を押しつつむ。


 元来牡丹は種類にもよるが、一輪で強い薫りを放つものではないのだ。それなのにこの麗しい牡丹からは、桃のような、かと思えば薔薇のような、いやいや梅のような、兎も角えもいわれぬ良い薫りが漂ってくる。


 この世のものとは思えないと言う言葉は、こんなときに使うべきなんだろう。そう感じていると、するりと口から詩うたが滑りでた。




 「*落尽残紅始吐芳残紅落ち尽くして始めて芳を吐く


  佳名喚作百花王佳名喚びて百花の王となす


  競誇天下無双艶競い誇る天下無双の艶


  独占人間第一香独り占む人間第一の香り




 前の世界の詩人の漢詩とやらで、意味としては「牡丹は全ての花が散ってから咲き始める。その佳き名は』百花の王』と称される。牡丹は天下無双の艶やかさを誇り、この世で最も芳しい花の地位を独占する」とか、そんな。


 まあ、つまり牡丹万歳!って言う『俺』と『私』の気持ちが、どうも昂って出てきちゃったようだ。


 うっとりと花を眺めていると、突然きらきらと牡丹が光だし、しゅるんと人の形に姿を変える。


 牡丹色の足首までありそうな髪も艶やかで、涼やかな目元には泣き黒子、前の世界の『京劇』のヒロインや姫君役が着るようなひらひらとした衣装を身に纏う女性の出現に、驚いて声が出ない。あ、でもなんか、この人見たことあるような?




 「ふむ、わらわの牡丹を見て、即座に詩うたを吟じてみせるとは、中々に詩才のある小童こわっぱよの。気に入った、名を名乗るを許すぞえ」


 「……は、え?」




 驚きすぎて声のでない私を尻目に、ころころと美女が笑い出す。




 「なんじゃ、そなた。わらわを賛美する詩を吟ずる詩才はあれど、やはり小童こわっぱであるのう。理解が追い付かぬかえ」


 「え…ぁ、は、はい、あの…名前……菊乃井伯爵家の長男、菊乃井きくのい鳳蝶あげはと申します」




 何故かそうしなければいけない気がしてその場で膝を折って額付くと、女性はもう一度「うん」と頷く。




 「礼儀正しき小童は好むところであるぞ。鳳蝶あげはと申したな、身が名は『百華ひゃっか公主こうしゅ』じゃ。存じおろう?」




 さも当然と言う言葉にぴしりと固まる。


 知らない。


 見たことあるような気はするけど、名前は全然覚えがない。


 私の硬直具合に、ぴくりと姫君の眉が不快げにあがる。しかし、この類いのお方はきっと怒らせてはいけないお方だ。


 平身低頭して、言葉を絞り出す。




 「申し訳御座いません。わたくしはつい先日まで、傲慢にも周りの大人の教えに耳を傾けぬ愚か者で御座いました。もしや姫君の御名も周りの大人より教えられていたやもしれませんが、それを聞き流していたので御座いましょう。それ故…その……」


 「わらわの名を知らぬ、と」


 「はい、誠に面目しだいも御座いません」


 「不敬な小童こわっぱよのう。まあ、よいわ。謝罪に免じて此度は許す。……改めて妾は百華ひゃっか公主こうしゅ、大地の豊穣を司る花と緑と癒しと恵みの女神じゃ」




 くふんと紅の引かれた唇が、今度は三日月を描く。美人は何をしようとも、その所作の一つ一つから凡人と違って優雅な雰囲気が漂うようだ。


 見惚れていると、姫君が手に持っていた絹か何か透ける布で張られた団扇を振る。




 「この屋敷は小童こわっぱの屋敷かえ?」


 「はい…いえ、正確には菊乃井家の邸宅です」


 「ふむ、妙な言い回しじゃの。兎に角ここは小童こわっぱに関わりある庭なのであろう。七日前よりちと事情があって、この庭の野ばらに宿っておったのじゃが、その日よりそなたの歌をずっと聞いておった」


 「あー……それはお耳汚しを致しまして、もうしわけ」


 「謝るでない。わらわはその歌の詩が気に入っておる。わらわも長く生きておるが、聞いたことのない歌ゆえ楽しませてもらった。じゃからの、楽しませて貰った礼をくれてやろうと思って、こうして妾自ら姿を現したのじゃ」




 ふふふと眼を楽しげに細める姫君とは対照的に、私は一気に青ざめた。


 姫君にお聞かせしていた歌も詩も、私が作ったものではない。


 前の世界の『俺』の知識と記憶のなせる技。


 それを自分のものだなんて言えるほど恥知らずではないし、女神様を欺くほど不敬にはなれない。


 慌てて私の不思議な身の上と、前の世界の記憶のこと、それから姫君にお聞かせしていた歌や詩が私から出たものでないことを話す。すると、姫君は片眉を、今度は悪戯っぽい笑み浮かべながら上げた。




 「アホな小童こわっぱよのう。そのようなこと、黙っておれば解らぬに。まあ、よいわ。他人が作った歌であっても、わらわに七日間に渡って捧げ続けたのはそなたじゃ。そしてわらわは供物としてそれを受け取った。受け取った以上の対価は正しく支払われねば歪みが生じる。よってわらわはそなたに相応のものをくれてやらねばならぬのじゃ。ありがたく賜るがよい」




 そう言いながら、姫君は私の周りを一周すると、とすっといきなり延髄を突いた。




 「いったぁっ!?」


 「なんじゃ。大きな声を出しおって、はしたない」


 「い、や、だって、えんずい…ぶすって…!?」


 「ふん、首で伸び悩んでいた魔素神経の経絡を押した。これでそなたの身体に魔素神経がしっかと根付いて全身に伸びたはずじゃ。魔術が使えるようになろう」


 「ぅえぇっ!?ありがとうございます!」


 「それとな、そなた姿形は……今はちょっと無しじゃと思うが声は佳いの。それに歌も悪くはないが、上手くはない。上手くはないが……明日からも毎日歌いに来るがよい。妾の無聊ぶりょうを慰めよ」


 「え、や、でも……」


 「前の世界の知識だの、わらわには関係のない話よ。わらわは無聊が慰められれば良いし、そなたの知っている歌や詩がこちらの世界にないものなら、その方がわらわは楽しめる。偉大なる異界の先人への敬意を忘れねば、吟遊詩人が昔の詩人の歌を人前で披露するのと変わらぬじゃろうよ。神の命は絶対じゃ。歌いに来いと言うておるのじゃから、そなたはつべこべ言わずに明日からも毎日来る。それだけのことよ。返事!」


 「は、はい!」




 この手のひとに逆らってはいけない。大事なことだから二回繰り返しておく。


 勢いよく返した言葉に姫君は納得なされたようで、団扇を一振りなさると、そのお姿は煙のように消えていた。


 マジか。




*物語に出た漢詩は皮休日の『牡丹』です

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