第2話 劇的!?before・after!

 朝の日課を終えると身支度を始める。


 先に言った通り、私は伯爵家の長男。本来ならメイドさんが来て手伝ってくれるのだけれど、これは「もう五歳になったから」と此方から断った。


 タンスにあるズボンとブラウスを適当に引っ張り出して着替えたところで、ベッドサイドの小さなテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らす。


 すると隣の控えの間から、眼鏡をかけたひっつめ髪の、いかにも厳しそうな雰囲気を持つ三十路手前くらいの、メイド服を着た女性が入ってきた。


 これがロッテンマイヤーさん。


 麒凰きほう帝国の科学は、前の世界より大分と遅れているらしく、ロッテンマイヤーさんの眼鏡は分厚すぎで此方からはその瞳が見えない。


 すっと右手で眼鏡の弦を押し上げて、ふむと上から下まで視線でこちらを撫でる。




 「ボタンもずれてはおられません。きちんとお召しになられています。合格です」


 「はい。チェックありがとう」


 「職務でございますから」




 ぺこりと頭を下げるロッテンマイヤーさん。彼女とのやり取りは終始こんな感じで事務的だ。


 部屋を出る彼女についていけば、ホテルの宴会場もかくやって感じの大きな食堂に案内される。


 左右それぞれに十五人は座れるだろう長テーブルにつくのは私だけ。


 両親の顔はここ一年くらい見ていない。


 出てくるのは私がリクエストした朝食メニューで、前の知識をフル活用してダイエットメニューにしてもらっている。


 本来ならこんなことは許されないらしいのだけれど、ロッテンマイヤーさんが掛け合ってくれたそうだ。


 厨房にお礼に言ったら料理長が怯えながら「私は嫌だったけれどロッテンマイヤー婦人に言われて仕方なく……!」と教えてくれた。


 私は我が儘放題の癇癪持ちだった記憶がある。


 怯えられたのは、ロッテンマイヤーさんにお願いしたメニューが質素だったから、それが私の逆鱗に触れて怒鳴り込んで来たと思われたらしい。本当に申し訳ない。


 因みに私がお願いしたのは『まごわやさしい』を実践して欲しいことと、三度の食事の量は普通の子供と同じくらい、おやつは果物や蘇とか醍醐あたりにして欲しいと言うこと。


 蘇は前の世界で言うところのチーズ、醍醐はヨーグルトに当たる。


 『まごわやさしい』とは豆類・ごま・わかめ(海藻)類・野菜・魚類・椎茸(キノコ)類・いも類の頭文字を取ったもので、栄養バランスに優れた食材を指す。これを中心にメニューを組み立てると、成長にもダイエットに有効なのだ。


 黙々と食べていると、ロッテンマイヤーさんが白湯を注ぎながら手帳を開く。




 「本日のご予定を確認いたします。朝食後午前中はお散歩とお針子のエリーゼと刺繍、昼食後は庭師の源三と菜園作り、おやつを挟みましてお勉強となっております」


 「はい。散歩から戻ればエリーゼには此方から声をかけるので、自由に作業をしていて貰うよう伝えてください」


 「承知致しました」




 ぺこりと頭を下げてロッテンマイヤーさんが退出する。


 そうなると広い食堂で一人きり、そんなんで食べる食事なんか旨くない。


 全て食べ終わると、食器をメイドさんが下げに来るのに任せて散歩へ。


 某猫のバスやら小学生の姉と幼稚園くらいの妹、それから森に住んでる不思議な妖精とのふれあいを描いた映画の主題歌を口ずさみながら、広い屋敷の庭を一定の速度で歩いたり走ったり。


 普通に歩くより、歩いたり走ったりを一定時間繰り返す方が筋肉がつきやすいし、歌いながらやることによって有酸素運動につながるそうだ。


 これをやり始めた当初は「熱で気が触れた」なんて騒がれたし、癇癪も起こさなくなったものだから、医者を呼ばれたり、「悪魔が憑いているのでは」と司祭を呼ばれたりも。


 でも、違う。


 悪魔が憑いているわけでも、とち狂ったわけでもない。強いて言うなら生まれ変わったのだ。


 前の記憶を受け入れる前の私は、とても嫌な子供だった。癇癪を起こして暴れれば、大人はみな言うことを聞いてくれる。だから我が儘放題して癇癪を起こしは大人に言うことを聞かせてきた。


 しかし、前の『俺』の知識や記憶に触れて、何故大人が私の言うことを聞いてくれるのか、その理由がわかったのだ。


 何のことはない。両親が彼らの雇い主で、その生殺与奪を握っているに過ぎない。そして両親は私にそれを教える躾を怠っていたのだ。


 だって一年くらい顔も見ていない。


 『躾』とは身を美しくすると書くのだと、前の世界で教わった。


 それはこどもを誰からも好かれるよう、内面も外見も美しくしてやろうと行われる親心からくる行動だからだ、と。


 翻って私の両親は、私に躾を行うこともなく、死の床にすら来ない。


 それをしてくれていたのは乳母のロッテンマイヤーさんだし、死の床を代わる代わる見舞ってくれたのはロッテンマイヤーさんが声をかけてくれた屋敷に勤める人たちだけ。


 私はつまり、誰からも愛されてはいなかった。


 ただ少し、独りで死ぬのは可哀想だからと、見舞ってくれるくらいには嫌われていなかっただけで。


 前の『俺』の両親は、『俺』を愛し慈しみ育ててくれた。親友との間に友愛もあった。


 その記憶に触れただけに、愛されていない事実がぐっさりと胸に刺さったのは、病から回復した後のこと。


 直ぐ様、ロッテンマイヤーさんに「ごめんなさい」したわ。


 こんなアホの子をよくぞ見捨てずにいてくれて、更にお屋敷に勤めるひとに見舞ってくれるように頼んでくれて、本当にありがとうございましたって。


 ぎょっとしたロッテンマイヤーさんには前世の記憶の件は省いて、死の床に両親が来ない程度のこどもに尽くしてくれたこと、今までの自分がどんなに愚かだったか全て解ったこと、まだ間に合うなら心を入れ換えるから見棄てないで欲しい、そう全力で回らない舌を噛みながら頑張って説明したとも。


 勿論、屋敷の人達にも全員集まって貰って、それを説明して「ごめんなさい」しましたよ。


 そして心を入れ換えた証拠に、この屋敷で皆がしている仕事を学ばせて貰うことにした。


 働く苦労を知った身としては、それが精一杯の誠意を見せる方法になるんじゃないかと思って。


 最初は疑心暗鬼だったお勤めの皆さんも、私の社会勉強が1ヶ月2ヶ月続いた頃には、随分と打ち解けてくれたようだ。


 これはしかし、思わぬ副産物ももたらしてくれた。


 屋敷の仕事と言うのは前世の趣味を彷彿とさせる。


 魂に技が染み付いていると言うか、掃除も裁縫も料理も庭作りもそれなりに出来てしまったのだ。


 考えごとをしながら歩いていると、庭の最奥の花園に到着する。


 ここは庭師の源三さん以外は誰も来ない隠れた名所で、野薔薇が沢山延びるがままにされていた。


 キョロキョロと辺りを見回して誰もいないことを確認すると、私は腹に力を入れて大きく息を吸う。そしてメロディーに合わせて、シューベルトの『野ばら』を歌い始めた。


 咲いている血のように真っ赤な野薔薇を見つけて、どうしようもなく『野ばら』を歌いたくなったのが三日前。それから毎日ここに歌を歌いに来ている。


 野にあっても薔薇は薔薇。


 花の美しさを讃えるのに世界線は関係ないのだ。

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