chapter-1 憧れたもの

-6- 実感


 海から引き上げられるように、意識が明瞭になっていく。視界が鮮明に見えはじめ、寝ぼけ眼をさすって眠りから目覚めた。


 天井を見て、ひと呼吸。それだけで、昨日に蓄積された疲労が、どっと溢れかえって体を押しつぶしてきた。


 昨日の出来事が夢ではないことの証明だ。


 嬉しいような、辛いような感覚。疲れと相まって、体は布団とより一体化する。



 ……朝ごはん食わないと。



 結局のところ空腹が勝り、布団から這い出ることにした。



 *



 強い日差しが容赦なく降る真昼。母から買い出しを頼まれ、人が多くごった返す商店街へと足を踏み入れた。


 休日というのに、家に出るはめになってしまった。本音を言えば、家で石のように何もしないでいたかった。

 とはいうものの、買い出しが終わればそうすることが出来る。

 遠のいた理想を求めるためだけに足は自然と動き、人混みを縫って躱していく。



 背景になりかけていた商店街。ふと、見覚えのある艶やかな黒髪が視界に入った。


 水上だ。


 昨日の夜に異空間で会ったクラスメイトだ。もはや買い出しなどと言っている場合ではない。

 胸の内で溜まった疑問、不安を吐き出したかった。歩く足が早くなる。水上へ、一直線に。


「水上さん!」


 背後まで来た時、名前を呼んだ。振り向く水上。その表情は、棘のようなものしか含んでいないように見えた。


「逸二君、奇遇ね。こんにちは。」


「あ、ああ、こんにちは……」


 改まった態度だった。一定の距離を置かれて行っている会話のような。透明の壁を隔てて話している気分に感じてしまうのはなぜだろう。


「買い物かしら?」


「まぁ、そんなところだ。ところで、そのー……」


 昨日のことについて、俺は言葉を続ける。


「昨日はありがとう。そのあととても疲れて、すぐ寝ちゃってさ……今日も行こうと思うから。」


「…………」


 眉を顰め、何も言わない水上。怪訝な様子で俺を見つめる。


「何が?行くってどういうことよ。」


「……えぇ?」


 ここ現実のはずだ。異空間じゃない。


 なのに水上は、しらを切っている。まさかとは思うが、周りの人が聞いているから、という理由で何も言わないのだろうか?


 そこまでして異空間のことを話したくないのか。


 水上はいつもの冷淡な表情に戻ると、俺から視線を外して商店街の外に目を向ける。


「急ぎの用があるから、失礼するわ。」


「あ、あぁ……」


 逃げるように早歩きで離れていくと、忽ち人混みに紛れて見えなくなった。

 商店街に一人、棒立ちの俺は失望のような感覚に襲われる。


 思いのほか深いため息が出ると、買い出しを再開した。



 *



「……それは本当?」


 夜。異空間の広間にて、その事を水上に話した。疑問しか浮かんでいない表情で聞き返した水上に、俺はさらに怒ってしまう。


「本当もなにも、水上はそこにいただろ!周りに人がいたとはいえど、最後までしらを切るのはよくないだろ!」


「ちょっと待って逸二君。私の話も聞いてちょうだい。」


 俺を落ち着かせるように優しく水上は言った。俺は想像以上に怒っていたようで、心の中で少し反省する。


「……なんだよ。」


「今日、私はアナタに会っていないわ。」




「……は?」


「だから、会っていないのよ。私は、逸二君に。」


 いや、会ってないはずはない。商店街で会ったのは、確実に水上だ。

 ここで嘘をつく必要はないだろう。なのに、なぜ水上は会ってないなんて言うんだ。


 疑問が疑問を呼ぶ。水上の言ったことが理解出来ず、俺の表情は険しくなった。


 水上はこんな意味の無い嘘をつくメリットなんてないだろ。



 じゃあ、一体どういうことなんだ?




 俺と水上の間に変な距離が生まれた。お互いに沈黙し、次の言葉を探している。


 気まずい空気がどんよりと支配した。同時に、機械的な音が響いた。音の正体は、ミスミの部屋の扉が開く音だった。

 そこに目を向けると、扉を潜るミスミがいた。俺を見るなり、笑顔になって左右に尻尾を振る。


「イツジ君!来てくれたんだね!良かった〜、アルジに怖気づいて来なかったらどうしようかと思ってたよ〜!」


 ぱっ、と明るい空気が一気に流れる。天真爛漫が現れ、俺を圧迫していたものが消えた気がした。


「あ、あぁ、使命は果たそうと思ってるからな。」


「うんうん、良かった良かった〜!」


 何回も頷いて、俺と水上に近寄る。


「それで、二人は何の話をしてたの?」


「それは……」


 水上が話し始める。


「私達は知り合いということは前に言ったわよね、神澄。」


「そうだね。それがどうかした?」


 水上が俺の方を向く。眉を顰めて、再びミスミに顔を向けた。


「逸二君は現実の方で、私に会ったと言ったの。でも、私は会っていない、会った覚えがないわ。……これがどういうことか、神澄はわからない?」


「……う〜ん……」


 ミスミは俯いて、腕を組んで考える。少し経ってから、俯いた顔を戻さずに口を切る。


「イツジ君は、ホントに水上に会ったの?」


「も、もちろんだ。」


 あれは、正真正銘、水上零だ。俺の目がおかしくなってない限り、絶対にそうだ。


「何時頃に会った?」


「何時……」


 思いがけない質問に一瞬狼狽するが、すぐに思い出す。


「ちょうどお昼頃、十二時くらいだ。商店街で会った。」


 会った場所も伝えると、ミスミは依然目を合わせないまま、次は水上に質問を投げかける。


「じゃあその時、水上はどこにいた?」


「お昼頃といったら……そうね、商店街にはいたわ。でもすぐに出た。逸二君に会っていないわ。」


「はぁ……?」


 さっぱりわからない。

 俺は疑問混じりのため息を吐いて、水上をじっと見つめる。


「……本当か?」


「ええ、嘘をつく必要なんてないじゃない。」


「二人に聞きたいことがある!」


 ずっと俯いていたミスミが顔を上げ、その煌めく黄緑色の瞳が俺らを定める。


「嘘はついてないね?二人とも、本当のことを言ったんだね??」


「ええ。」


「もちろんだ。」


 するとミスミは、真剣そのものだった表情が見る見るうちに口角が上がり、満面の笑顔になる。


「すごい!新しい事象だよ!異空間の解明に役立つ新しいピースかもしれない!」


 ミスミは激しく尻尾を振って俺と水上の手をとると、それを上下に振る。


「二人ともありがとう!これで研究が捗るかもしれない!会ったはずなのに会っていない……きっとこれは大きな意味があるはず……!!」


 手を離すと、もといた部屋に走って向かう。その途中、水上に顔を向けて一言。


「あとでケーキ買ってきて!今夜は起きるぞ〜!!」


 そう放って、扉を閉めた。


 沈黙が漂う。水上の呆れたようなため息が響いた。


「まったく、研究に目がないわね。本当に。」



 言い終わったあとだった。


 扉の開いた音が上から聞こえた。


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