-4- 主

「……もちろん。」


 もとよりそれは承知の上だ。


 死者に……父に会えるなら、絶対に使命を果たす。


「そうかい。」


 イーテの返事は、あっさりとしていた。


「じゃ、そろそろ二人の加勢に向かうかな。見る限り苦戦してないみたいだけど。」


 主と戦う二人、水上とミスミ。




 アルジは、宙に従えた無数のピアノの鍵盤を二人へと放っていく。

 ミスミは水上の後ろへ隠れ、水上はそれを刀で薙ぎ払いながら、その隙を縫って主へ接近した。


 素早い斬撃で、そいつの体に切創を複数つくる。主が慌てて後ずさると、壁にぶつかった。



 その壁は、さっきまで無かった。


レイ、今だよ!」


「ええ!」


 水上が、慌てる主に距離をつめて畳み掛ける。主は、刃の猛攻から逃げることが出来なかった。


 それでも壁と刃の間から這い出でるように抜けた主。数え切れない程の切創を背負って、逃げるように走る。

 同時に、手のひらを二人に向かって鍵盤を放ち続けた。


「…………」


「……!」


 水上とミスミが何かを話した。だが、その声はあまりに小さく、距離が離れていたということもあって、俺の耳には届かなかった。


 水上が主の後を追う。一方ミスミは、こっちを見ると手を振った。


「イツジ君!こっち来て〜!」



 俺を呼ぶ動物は、会館という建物の上に立っている。


「えぇ!!どうやって!?」


 当たり前の疑問を叫んだ。



 だいぶ高い。そんなところ、行けるわけがない。……そもそも、二人はどう行ったんだ。


 記憶を遡ってみる。水上が俺に小さい化け物を倒せと指示した時、水上とミスミは共に行動していた。そして二人は……


 驚くほどの跳躍力で会館の屋根に登ったのだ。



 無理だろ。



 俺にそんな芸当はできない。


「お困りの様子だね、イツジ君?」


 イーテが寄りながら訊いてきた。まるで、謎の答えを知っている調子で、続けていく。


「ここは異空間さ。現実であって、現実ではない空間。できないことはなにもない……わけじゃないけど、常識の範疇を超えることはできるのさ。

 例えば、空高く跳び上がる、なんてこともね。」


「空高く……跳び上がる……」



 ありえない言葉を、ゆっくりと復唱した。


 半信半疑だった。


 ……いいや、これはもう信じてもいいだろう。ここに来てから、ありえないことの連続だったのだから。

 今更疑ったところで何も解決しない。


 会館の屋根にいるミスミまで跳べるよう、足に力を入れる。手に持ったバットを握りしめて、屋根を見据えた。


「空高く……」


 念じる言葉が、口から零れる。



 そして、思い切り地面を蹴っ飛ばした。




 重力が軽くなったような感覚。それでいながら、体は自由に動かせる。


 俺は、高く跳んでいた。


 あっという間に会館の屋根へ着地する。ミスミに駆け寄ると、感心するような目で見てきた。


「イツジ君、覚えが早いみたいだね!」


「ああ、まあ……」


 この場所が現実的じゃないからだ。


 きっと今の俺なら、どんな突飛な言葉もすぐに飲み込んでしまうだろう。


「それで、なんで呼んだんだ?」


「あ、ちょっと待って!」


 ふいに高速で近づく鍵盤。このまま俺に当たってしまう。

 ミスミはそれを一瞬で発見し、手を上げて床から壁を生えさせた。


 壁に勢いよく衝突した鍵盤が、粉々に砕け散る。ミスミは、さらに壁をつくって防御を固めた。


「あっぶなかった!ええと、それでね……」


 壁に凭れながら、主の方を一瞥する。そしてすぐ俺の方に視線を戻した。


「キミも見たよね、あれがアルジなんだ。ボク達がサポートするから、イツジ君、主を倒してみよう!」


「え、お、俺が!?」


 唐突な提案に狼狽する。


 あんな化け物みたいなやつを相手にするのか!


 そんな俺の心情を、ミスミは笑顔で頷く。


「大丈夫!イツジ君に危害を与えないようにするよ!」


 とは言ってくれるものの、あいつに挑むと考えると脚が震えそうになる。

 顔に埋め込まれた鍵盤。骨のように細く、白に染まった体。四本の腕に七本くらいあるだろう指。


 考えただけでも怖くなって、手に握った金属バットを強く握りしめる。



 ……不思議だ。



 理由はわからないが、このバットを強く握ると勇気が湧いてくる感覚を覚える。


 ただの錯覚かもしれない。だが、それでも今はそれに縋るしかない。



 深呼吸をする。



 終えた瞬間、倒せるかもしれない、と思えた。俺は、提案に強く頷く。


「わかった。やってみる!」


「よし!」


 ミスミが、尖った歯を見せて頷き返した。



 *



 壁から少し頭を出して、水上と主の戦闘を見る。放たれる鍵盤。それを刀で弾いたり斬ったりして、主に斬撃をくらわせる水上。


 戦局は水上に傾いていた。


「水上から合図があると思うから、それまでちょっと待っててね。」


「わかった。」


 主の方に目を向けると、生々しい刀痕が体中にあり、かなりの負傷状態に見える。苦しそうであったが、倒れる様子は無い。


 主の背中に浮かんでいるものがよく見えた。鍵盤で見え隠れする橙色の球体。やがて、対峙する水上が主の姿で覆いかぶさるように見えなくなる。


 背中の球体がよく見えた。


「合図だ!」


 ミスミが叫ぶ。こっちに向くと、俺が手に持っていたバットを指して、振りかぶるような動作をした。


「それで主の背中にある橙の球に、バーンってやっちゃって!イツジ君!」


「わ、わかった!」


「ほら今のうち!」


 ミスミが促した。俺はそれに押され、遂に壁から一歩を踏み出す。そこからは、後先考えずに主の背中へ突っ走ることにした。


 依然、主は後ろを向いている。水上と対峙しているのだ。背中に浮く球体をぶっ壊すチャンスが、すぐこそまで迫っている。



 金属バットを強く握りしめる。徐々に持ち上げていく。



 走る脚の勢いを借りて、振りかぶるバットに力を込める。




 最後、目を瞑って力の限りに振り下ろした。







 何かが軽く壊れた音の一拍後、ガラスが割れる音が周囲に広がる。


 俺は目を開けた。目の前に広がった光景は、バットがあの球にめり込んでいるところだった。

 球は壊れ、輝きを失い、崩壊していく。


 主の金切り声が轟く。思わず耳を塞いで、そのまま後ずさる。視界が、段々と白み出してきた。



 完全な真っ白になった時、うるさい声が遠のいていく。


 無音が支配した。


 同時に、白い視界が消えて鮮明になる。主は、消えたのか、もう目の前にいなかった。


 急に聴覚が働きだした。誰かの足音が聞こえたのだ。

 辺りを見回すと、水上がこっちに走ってきていた。


「やったわね、逸二君。」


 珍しく、水上は微笑んだ。俺は、未だに実感が湧かない。


「そう、だな。」


 主を倒したという実感。倒したのは間違いないのだろうが、達成感がない。



 いや、当たり前か。



 俺はただ、橙色の球体を金属バットで力いっぱいに殴っただけだ。


「これで、終わりなのか……?」



 不安を抱いたままで、水上に訊いた。すると、あっさりと頷く。


「そうね。これで主を倒せたわ。……アナタ、なかなか良い振りかぶりだったわよ。初めてなのに、よく頑張ったわ。」


 水上は感心したように言った。こんなに笑顔な水上は見たことがない。


 俺は、所々に橙色の破片が刺さったバットをまじまじを見つめてから、もう一度水上に目を向ける。


「そんなことない。水上と、あと……ミスミさんの方が俺より戦ってたし、俺はその手伝いをしただけだよ。」


「謙遜しなくていーの!」


 ふいに後ろから明るい声が届いたと思うと、ちら、と俺の視界の端にミスミが映る。


「初めてなのに主に立ち向かえるなんて、なかなかないからね!もっと自分に自信持とう!」


「ミッちゃんの言う通りだ。」


 次も後ろから聞こえた。


 俺の肩に手を置くイーテの表情はわからなかったが、声色から察するに、俺を賞賛しているようだった。


「まずは、素直に自分を褒めようか。なあ。」


「……そう、だな。」


 自然と笑顔が零れる。


 皆から褒められ、嫌な気は毛頭起きなかった。むしろ嬉しかった。




 主に立ち向かった勇気。これだけは、きっと、誇ってもいいだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る