再会
三日後、いつもよりも余計目に仕事を早く終わらせて、天王寺の改札を出る。子を孕むことのない僕は、彼女の子供の命日が平日の真っただ中にあることに、自分勝手な苛立ちを募らせていた。
もし、彼女に会えなかったら。そんな仮定が僕の頭を支配するけれど、それに伴った行動をするわけではない。マヤ歴が謳う世界の滅亡を危ぶむようなものだ。その答えが待ち構える寺へと歩みを進める度、僕の足は重くなる一方だった。
やがて頭を垂れて、足元ばかりを見て歩いていく。アスファルトから石畳になって、玉砂利になって、ようやく目の前に広がる現実を受け入れる準備をし始める。すぅ、と息を吸って深呼吸。顔を上げた僕は、薄まりかけた彼女の姿を、視界の端から端までくまなく探し回った。
……いない。
一瞥しただけで、そう判断できないくらいには、僕の往生際は悪い。墓石の影や、木の陰、ありとあらゆる死角を埋めるために、知らない墓と墓の間を何度も往復した。もちろん、彼女がおろした子供を供養してもらっている地蔵の前も何度も横切った。
たしか、二周目くらいまでは意識があったと思う。三周目からは、掃除をして回るロボットのように、プログラムされた順路をひたすら回っていた。
それでも、僕の視界に彼女の姿は現れなかった。彼女は髪を切ったのだろうか。それとも変装のためにウィッグを付けたかな。痩せたかな。太ったかな。どっちにしろ一箇月やちょっとじゃ、人相が変わるほどではないか。思考を重ねれば重ねるほど、絶望の色味が強くなっていった。
塗りつぶされて、僕の視野はどんどん狭くなっていく。訪れる夕闇も手伝って、視界が闇で閉じられた。
墓参りをしている人たちも、ひとり、また、ひとりといなくなり、誰もいなくなった墓地を、亡霊の僕だけが徘徊していた。
もう、いい加減、帰ろうか。
そう、独り言ちたとき、からりと軽い音が背後で鳴った。振り返ると、残像が見えた、長い髪。僕の慕情が、彼女だ、と悟ってしまう。
待ち伏せを仕掛ける狡い僕を、地面に転がった点いたまんまの懐中電灯が照らしていた。
恐る恐る近づいて、それを拾い上げたところで、玉砂利の上を足音が駆ける。僕は、その方向を瞬時に捉えて向き直る。
ついに僕は、彼女の姿を捉えた。
ざっ、と玉砂利を蹴って、罰当たりにも僕は墓場を走った。彼女と僕の手足の長さの差で、二人の距離はあっという間に縮まった。やがて、彼女は息切れをして、行き止まりの漆喰の壁にもたれかかる。
どうして追いかけるの、と責め立てる視線が、僕に向けられた時、僕は不謹慎にも泣いてしまいそうだった。
やっと、会えたんだ、と。長い髪、小柄で華奢な体躯。それを包むのは、柔らかな印象を与えるボヘミアン調のワンピースで、頭のてっぺんから足の先まで、僕の知っている彼女のまんまだった。
そこから、さらに一歩踏み出す。彼女が後ずさりをして、崩れ落ちた。
「来ないでっ!」
ようやく聞こえた、彼女の懐かしい声。
「なんで、あなたがここにいるのよっ!」
泣き腫らしたような声。ここは、彼女が身ごもり、そして、殺したのを弔った場所。彼女は、僕を突き放すために、「私は人を殺した」と言った。そう、それ以上の事実は、全て僕が嗅ぎまわって手に入れたものだ。
「……ぜんぶ、しってしまったんですか?」
声が震えている。それを感じ取って、ようやく僕は悟り始める。僕は、彼女が望まないことを、ずっとし続けていたんじゃないか、と。
唾を飲み込んで、僕はゆっくりと頷く。彼女を手に入れたい。そんな欲望のままに動いていたときは、僕は性差で彼女を圧倒出来た。でも、彼女が口を開いた途端に、僕は自分の浅はかさをまざまざと見せつけられるのみとなった。
「なんで? なんで、私のことを知ろうとなんてしたんですかっ! 言ったじゃないですかっ! 私のことなんて、知らない方がいいんですって!」
唾が飛ぶほど激しい口調が、やがて、しおれていく。
「ろくでもないでしょう? バカみたいでしょう?」
自嘲と涙に塗れた吐露。僕は、彼女の境遇を知って、寄り添うつもりだったかもしれない。けれど結局、いくら知っても僕は、彼女にかける言葉が見つからなかった。ただただ立ち尽くす僕の前で、彼女はすくっと立ち上がる。声も、感情を失って冷たくなっていく。
「三島さんも、呆れたと思います。愛想が尽きたと思います。無理もないですよ。男の人に捨てられるのは、もう慣れました。……これで、さようならです、本当に。明日、荷物をとりに――」
「そんなこと、言わないでくれよ」
「あなたが決めることじゃないです。……関係ないでしょう? これは私の意思です。さんざん、私の意思を無視して嗅ぎまわって。同情なんてして欲しくないです」
「それでも僕は、木戸さんのことを」
「勝手なこと、言わないでください!」
さようならなんて言わないで欲しい。彼女が好きだから、守りたいから。彼女が欲しいから。僕は、何から何まで自分本位だ。彼女が声を荒げても無理はない。
「三島さんの前では、綺麗でいたかったんです。私だって、……きだったんですからっ」
それが、『好き』と聞こえかけていた僕の耳は、なんとも罪深い。鼻をすする声、そして、僕が動けない隙を見計らって、彼女は走り出した。
その瞬間、抑え込んでいた僕の欲望が剥き出しになる。
半ば飛び掛かるようにして、僕は彼女の背中を抱きしめた。いいや、取り押さえたと言った方が正しいかもしれない。
言葉で勝てない僕は、腕力で彼女をねじ伏せたんだ。それより少しは情緒的で紳士的かもしれない、けれど五十歩百歩だ。
そんな自嘲に塗れても、僕の身体は止まらなかった。抵抗する彼女に振りほどかれまいと、きつく、きつく抱きしめた。
けれど、僕の武骨な腕の間を華奢な彼女が、すり抜けて。逃げ惑うのを、また捕まえて。彼女が躓いてこけた。その重みに引かれて、僕も玉砂利の上に倒れ伏す。手繰り寄せるようにして、彼女の腕を捕まえる。
やがて、力んでいた彼女の腕が、へたれた。それと呼吸を合わせるようにして、彼女の両の眼から大粒の涙が溢れ出て、玉砂利を濡らした。
それから彼女は、傍若無人な声量の泣き声を上げた。今度は、彼女が飛び掛かって来て僕の胸に顔を埋めた。
涙の温度を感じながら、僕はうっすらと笑い、彼女の震える肩に手を回した。
彼女が泣き止むまでに月が昇りきってしまった。
その長さは、彼女が背負って来た人生の重さのように感じられた。
カナリア~やっかいな彼女~ 津蔵坂あけび @fellow-again
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