第14話 どんな黒が好き?

 一つの墓を目の前にして、りょうは手を合わせた。死後の世界は信じていない。そんなものに思いを馳せても、死んだ人間は生き返らないから。

 目を開いて立ち上がる。

 風が吹いて黒いコートの裾が ばさり とはためいた。ここに来るときは黒い服で。十二歳ながら、遼はそう決めていた。亡くなった人に、なんか失礼な気がしたから。


 年が明けてから三日目。霊園はすっかり冷え切っていた。線香から立ち上る細い煙が風にさらわれていく。母が持たせた香りは、いつも華やかな香りがする。この日はラベンダーだ。前はローズだったか。華やかすぎて、正直似合ってない。いい香りとも思えない。鼻先に漂ってきて、遼は顔をしかめた。

 墓標に刻まれているのは、遼の従兄いとこに当たる人の名前だ。


 翔一しょういち兄さん。


 声に出さず語りかける。


 今日で十二歳になったよ。

 これでもまだ、翔一兄さんは子どもだって言うんだろ。

 そんなことないよ。

 今年から中学生だ。

 知ってるでしょ、俺が早生まれだってこと。

 今日は、一月三日は、俺の誕生日だって。


 十五も歳が離れた翔一は、愉快な従兄だった。とても子どもっぽかった。やりたいことを見つけては、それにのめり込む。楽しいことが一番という人だった。

 中学からずっと続けていたという陸上十競技は、大学まで続けていた。それこそ、あと少しでオリンピックにも出場できるかも、というところまで。特に足が速かった翔一は、百メートル走で九秒台を出していたほどだった。

 翔一がトレーニングで走るとき、遼はいつも後ろをついて走っていた。これしかついて行くことができなかった。他の槍投げや棒高跳びは、危ないからって言ってやらせてくれなかった。

 そのおかげか、努力のおかげか、遼は中学に上がる前に五十メートル走で七秒台を出せるようになった。

 

 黒いジャケットの内ポケットから、手のひらサイズの箱を一つ出した。慣れた手つきで箱の中身を出して、口にくわえる。翔一から貰ったジッポで火をつけると、重たい匂いが肺を満たした。

 翔一がいつも吸っていたアメリカン・スピリッツ。燃焼時間が長い煙草で、アメスピと翔一は言っていた。深く吸わないと行けない代物らしいが、慣れてしまえばどうってことない。遼にだって吸える。

 まだ長い線香を取り払って、代わりに煙草を線香立てに差す。

「翔一兄さん、線香よりこっちの方が好きでしょ」

 線香の香りがアメスピの香りに変わっていく。こっちの方が、遼の黒衣にしっくりくるような気もする。

 遼には黒が似合うと言ったのも、翔一だった。

 白い煙の向こうで翔一が見ているような気がして、背筋を正す。もう一つ煙草をくわえて火をつける。

 深く吸い込むと、遼の身体の中に翔一の香りが入り込んでくる。翔一はいつもこの香りをさせていた。

 今、遼の周りには誰も煙草を吸う人がいない。特に母がこの点に厳しく、遼が煙草を吸うたびに癇癪かんしゃくを起こす。翔一のせいだと、故人を罵る。

 そんなことない。だってこの香りがなくなったら、今度こそ、翔一がいなくなってしまうんだ。

 翔一が眠っている墓に、勢いよく煙を吐きかける。

 煙を吹きかける意味はいろいろある。その中から遼はこれを選んだ。

「そんなところで眠ってねーで、俺と陸上勝負しろよ」

 吐き出した煙の向こう側に、黒色の影が浮かんだ気がした。それに向かって、遼はにっと口角を上げた。

「今では俺の方が速いぜ」

 

 


 広瀬 遼

 幻惑げんわくけむりのフューネロル・ブラック

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未完成の最大幸福論 青居月祈 @BlueMoonlapislazri

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