第20話 夏希 エピソード1


 ☆ イルシア氷国


 1年中雪に覆われているこの国の経済を支えるのは、酪農と工芸品それと観光だけだ。雪が積った凍った土地には作物など育つはずなく、野菜や穀物、魚介類は隣国から輸入している。しかし、どれも高額な品の為に、一般国民には気軽に手に取る事が出来る物ではなかった。


 一般国民の主食は、僅かな小麦で作るパンと安い豆のスープ、雪氷牛から絞ったミルクと肉だ。


 特に、寒いアルバスタ地方の山間部でしか生きれない雪氷牛『ブランド名:スノークリスタル』から絞ったミルクは栄養価が高く、市場では高値で売買され黄金のミルクと言われているが、その飼育は過酷を極める。標高3000m以上の高地と-30度以下という人にとって過酷な条件下でないとミルクを出さないのだ。しかも、1頭から搾れる量は200ml、5頭から搾ってやっと1Lしか取れない。取れる量は少ないが、成分であるたんぱく質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラル(カルシウム、リン、カリウム等)が通常の牛乳の500倍と凝縮された、まさに黄金のミルクなのである。希少価値の為に、市場では1Lで5000ログの値が付く事もある。


 ただ、過酷な条件下での作業から、しだいに雪氷牛を飼う者も少なくなり、また雪氷牛自体の頭数も減少していた。

 

 その減少した原因は、3年前に起こった、500年に一度の異常気象だった。


 その年2月16日、イルシア氷国アルバスタ地方の最低気温は、-120度を記録した。


 ☆ 3年前の2月16日 18時 アルバスタ地方


 家の外では、さっきからサイレンが鳴りっぱなしだった。


 『アルバスタ市長より緊急放送です、アルバスタ気象台は、今夜から明け方にかけての最低気温を-100度と予想しています。絶対に外出しないで下さい、あらゆる手段を使って暖をとって下さい』


 ラジオからも、緊急放送ばかり流れていた。


 「なつぅぅ、これどこに置くの?」

 毛布を両手一杯に持って前が見えなくなった、幼い女の子はヨタヨタと歩いていた。


 「ひなた、ありがとうッ! 檸檬の寝ている所の側にお願い」


 暖炉用の薪を壁際に積み重ねているのは、この家の長女、夏希だ。


 扉を出て、家の脇に置いてある薪を取ってきただけで、寒さで手と顔に激痛が走った。厚手の手袋をしていたのに、皮膚が凍り付いて少し動かしたら薄皮一枚がパックリ裂けた。


 夏希は、17回この地方の冬を体験してきたが、今年の寒さは異常だと思った。


 (もっと薪がいる、今夜は火を絶やしたら家の内でも確実に凍死する)

 だが、すでに今年の冬用に用意した薪の半分を使ってしまっていた。

 (……足りないかもしれない)


 夏希は家の内を見渡した。


 今はもういない両親から買って貰った数冊の本と自分のベットが目に入った。

 (これでも1時間くらいしか)


 6歳と1歳になる幼い妹と弟は、まだ寒さに対する耐性が付いていない。


 夏希は毛皮を羽織ると、ドアの横に立て掛けてある、木を切り倒す用の大きな斧を持った。


 「ひなたッ! 檸檬をお願い」

 「なつッ!?」


 夏希が外に出ようと、ドアノブに手をかけようとした瞬間、外側からドアが開いた。


 「だ、大丈夫かッ! ま、薪を持ってきたぞ」


 飛び込むように入ってきたのは、隣に住んでいる、ロブじいさんだった。


 「おじいちゃん! ひなた毛布をッ! 」

 「はいなのッ! 」


 夏希はロブを暖炉まで運ぶと、タライにお湯をぶちまけてロブの足を浸けた。


 (足が変色してる、凍傷になりかけている)


 夏希は足を、ひなたは手をマッサージした。


 「ロブおじいちゃん! 無茶しないで」


 ロブはハニカミながら言った。


 「お前たちは、ワシの孫みたいなもんじゃからの、当然じゃろが」


 「でもッ!」


 「お前達の両親には色々と世話になった、今なにもしなかったら、あの世に行った時、あいつらに会わす顔がないじゃろ」


 父と母は、去年の冬に山で飼育していた雪氷牛の世話を終えた帰り道、雪崩に巻き込まれ亡くなった。


 バカが付くくらいお人好しで優しい夫婦で、頼まれ事や困っている人見るとじっとしていられない性格は、足の悪いロブじいさんの世話も頼まれもしないのにまるで自分たちの親のかの様にお節介を焼いていた。そんな両親を最初は強く拒んでいたロブじいさんも、父母のしつこいお節介に氷が徐々に溶けていくように、打ち解けていった。


 どんな時も笑っていた母が、私達に常々言っていた言葉を思い出した。


 『さぁ笑って、笑顔は自分にも相手にも心の栄養になるのよ』


 (お母さん……分かったわよ)


 「ロブおじいちゃん、外はもう出れないわ、今日はもうここに泊まって」


 「この足じゃもう動けん、代えって迷惑をかけてしまった」


 夏希は、精一杯の笑顔をロブに向けた。


 「そんなことないよ、薪が足りなくて困っていたの、本当にありがとう、それに私もひなたもロブおじいちゃんが来てくれて、スッゴく嬉しい」


 「その笑顔……夏希はお母さん、春香さんによう似とる、その笑顔にワシは何度も救われたのに、なんのお返しも出んかった」


 ロブは痛む足を庇いながら立ち上がると、持ってきた薪を家の内に入れ始めた。夏希はロブに毛布を掛けると、それを手伝った。


 電気も点かなくなった深夜、暖炉の前で兄妹3人が寄り添いながら眠っている。ロブは暖炉の火力が衰えないように、また1つ薪を放り込んだ。


 ☆


 明け方になった、寒さのピークは過ぎたが外の温度計は依然として異常な数値を表示していた。


 いつもなら山へ雪氷牛の世話に行く村人が準備をしている姿を見ることが出来るが、凍り付いた村は異様な静けさに包まれていた。


 そんな中、1軒のドアが静かに開き、1人、山へ続く雪道を歩き始めた者がいた。


 膝まである雪道を1歩1歩慎重に集中して踏み締め進む作業は、歩くだけで体力を消耗する。


 「ハァハァハァハァ」

 

 一度立ち止まり、荒い息でズレたマスクを元の位置に戻す。マスクで息苦しくても、それを取ったら喉の奥まで一瞬にして凍り付いて窒息死してしまう。


 平坦に積った雪道に、雪が小さく盛り上がった所があった。息を整え近寄り、そこの雪を払いのけると雪ネズミが凍死していた。


 (雪ネズミまで……)


 雪ネズミは-60度まで寒さに耐えれる動物だった。胸ポケットから温度計をとりだす、-80度まで測れる温度計の針が振り切れていた。


 (……ハァハァ、急がないと)

 

 気持ちは焦るが、昨日から降り積もった雪が道幅を狂わしている為に慎重に成らざるを得なかった。誤って雪庇でも踏んだら、崖下までまっ逆さまだ。


 危険なのはそれだけではない、昨日から降り積った雪は、木の葉から落ちた僅かな雪の衝撃でさえ雪崩を起こす事もある。


 数秒後に何が起きてもおかしくない、死に直結する世界。片や、温かい部屋、ふかふかの布団と母親の腕の中で眠る子供もいる。明日も明後日も数年後も、命の危険など心配などしない世界もある。


 恨んでもなにも変わらない、1歩1歩進むだけだ。


 こんな状況にも関わらず、彼女はふと考えた。


 (ハァハァ…わたし、結婚できるのかしら……)


 (やっぱり相手は、ハァハァ)

 (イケメンで優しくてお金持ち)


 (暮らすのは……ハァハァハァ暖かい所が良いなぁ)

 (こんな所もうハァハァハァ……イヤ)



 (子供は2人でハァハァ……女の子と男の子、休みには……ハァハァハァお弁当を持ってハァハァ……近くの公園にお出掛け)


 (子供の遊んでいる姿を見ながら、彼とイチャイチャする、夜は暖かい部屋で、同じお布団で寝るの、ハァハァハァハァハァ)


 やっと目の前に広大な雪原が現れた。


 夏希達の親は、ここで雪氷牛を30頭飼育していた。それを夏希が受け継いだ。夏希1人でのミルク搾りなので、多くは搾れないが、3人がなんとか生活出来るくらいの稼ぎにはなっていた。


  (…………ハァハァハァハァハァ)


 ☆


 家に戻って来た夏希を見たロブは、その様子から夏希が見てきた事が凡そ想像出来た。


 「ダメ……じゃったか」


 「……うん」


 夏希はタンスの引き出しを開けて、少しずつ貯めてきたお金を確認した。


 「……ロブおじいちゃん、このお金を全部預けますので、ひなたと檸檬をお願い出来ませんか?」


 「構わんが、お前はどうするんじゃ」


 「この国を出て、働きに行こうと思うの、毎月仕送りします! もうこうするしかないの」


 今回の自然災害でイルシア氷国の被害は、死者100万人、経済的損失は1兆ログになった。国全土が壊滅的状況のなか、人々は働き口を探しに国外へ出稼ぎに行くしかなかった。


 ロブは顔を歪ませた。自然の出来事を恨んでも仕方ない事は分かっていたが、この子達には厳しすぎる仕打ちだと思った。


 「いつ、行くんじゃ?」


 「今から……じゃないと、ひなたや檸檬の声を聞いたら行けなくなっちゃうから」


 「分かった、ひなたと檸檬の事は心配するな、村人全員で守っていく」


 「ありがとうございます」


 夏希は簡単に荷造りを済ませると、ロブに深く頭を下げた。


 「無理はするな、体に気を付けるんじゃぞ」


 「はい」

 

 暖炉の前で寝ている、ひなたと檸檬の顔を見詰める夏希。


 (必ずまた会える、それまで元気でいて)


 こうして、夏希はセナのいる国にやって来たのだった。


 ☆


 セナの国、ロゼ王国は四方を超大国に囲まれた小国。だけど、経済力は他の超大国をも凌駕する。その経済力を支えているのは、科学と魔法を組み合わせた独自の技術と、この国でしか採掘出来ない希少鉱石、そして世界の90%の人々が信仰している聖地がある。

 謂わば、小国ロゼ王国を中心に世界が動いていると言っても過言じゃない。


 幾度となく、この小国を巡って戦争が起こり、世界大戦に発展した。しかし、どんなに劣勢な状況でもロゼ王国側が負けることは無かった。


 その訳は……またの機会にね ぷぷッ!


 ☆


 経済力を知るには通貨の価値を比べるのが一番良い。


 夏希の生まれ故郷『イルシア氷国』と『ロゼ王国』の通貨の価値は、ロゼ王国の1ログはイルシア氷国では10ログに値する。


 世界通貨で一番強いのは、ロゼ貨幣なのだ。


 なので、手っ取り早く稼げるロゼ王国に世界中から出稼ぎ労働者が集まってくる。


 やはり一番人気は工場関係、魔法を組み込んだ機械製品の工場、次に、希少鉱石を採掘する鉱夫、または、世界中からやって来る信者を相手にする様々な商売だ。


 夏希は求人雑誌を食い入るように調べる。


 魔道車製造のお仕事

   時給 50ログ

   福利厚生あり

   交代勤務 社員登用あり

   年齢 50歳まで


 魔鉱石の採掘

   時給 60ログ

   危険手当 あり

   体力に自信のある方

   経験者優遇


 飲食店

   時給 30ログ

   食事補助

   能力により時給アップ


 接客業

   時給 100ログ

   25歳までの若い女性

   未経験者歓迎


 う――ん、どれも知らない仕事ばっかり、牛の世話とかないのかしら?


 家庭教師

   時給 80ログ

   住み込み、食事付き

   10歳位の子供の教育係

   忍耐力のある女性 年齢制限なし


 10歳位って、ひなたより5歳年上ね


 両親が亡くなった後、夏希は生活のため牛の世話をしていたが、そんな事が無ければイルシアの超名門国立大学に特待生で入学が決まっており、4月から通う予定だった。


 ひなたにも勉強教えてたっけ…………ひなた、ちゃんと勉強してるかな


 そんな思いもあって、何となくそこに電話を掛けると、電話口で簡単な質問に答えただけで、すぐに採用が決まってしまった。


 嘘…………こんなあっさり決まるもんなの?やっぱり大都会は違うわね。でも、これで、ひなたや檸檬に仕送りが出来るわ。お姉ちゃん頑張るからね。


 次の日、指定された場所で待っていると、1人の立派な服を着こなした老紳士が声を掛けてきた。。


 「失礼ですが、夏希様でございますか?」


 「は、はいッ!夏希でございます」


 言われたことのない言葉遣いに、緊張して馬鹿丸出しな返答をしてしまった。



 「ハハハ、ワタシの判断は正しかった、まさに才色兼備なお方だ、詳しい話は移動しながら説明致します、さぁ参りましょう」


 挨拶もそこそこに、大きな車に乗せられると、老紳士は説明し始めた。


 「ワタシは執事長のワッツと申します、以後ワッツとお呼びください、早速ですが、夏希様にお頼みしたい方というのは、このログ王国の姫君『セナ』様です」


 え?


 「驚かれるのも無理ありません、ですが少しご説明させて下さい、夏希様は今回の求人雑誌に募集をご覧になって応募なされました、ですがこの募集の記載はある魔法を施してあり、厳正な条件を満たした者にしか見えない物になっていたのです」


 どんな条件か色々と説明されたが、簡単に言うと知性や学歴だけでなく、相手が一国のお姫様だろうと態度を変えない人が特に重要視されているように魔法が施されていたと言う事。


 確かに、相手がお姫様と聞いて驚きはしたが、だからといって特別に何かしようとは考えなかった。ひなたの勉強を教えた時と同じ様に自分が出来ることを教えるだけだと思った。


 「私が悪いのです、今までの採用した方達は、相手が姫様だと分かると態度を一辺して、姫様のご機嫌を取ることだけを気にし、叱る事や正しい指導をしませんでした」


 「で、お姫様は我が儘を言いたい放題、人間不信になってしまった訳ね」


 「面目ない次第でございます」


 技術を開発する力はあるのに、人の心を育てる力はイルシアのがあるみたいね。厳しい環境に置かれている、イルシアの人達の方が人間性は豊なのかもしれない。


 「事情は分かりました、やり方はワタシに一任していただいても?」


 「構いません、夏希様と実際にお会いして信頼に値する方と確信しました、一切の責任はワタシが負います」


 「ワッツさん、そんなこと言って大丈夫ですか?」


 「はははは、こういう事は、何も心配がないから言うのですよ」


 そんな話をしていると、車は王宮に到着していた。


 ☆


 「姫様、ワッツです、宜しいでしょうか?」


 「なに?」


 「昨日、お話し致しました、今日から姫様の世話係兼教育係をしていただく、夏希様をお連れしました」


 暫くの沈黙があった。


 「良いわ、入りなさい」


 「失礼いたします」


 ドアを開けるワッツさんの後に続き部屋に入った。


 20畳はありそうな奥行きのある空間は、全体的に赤を基調にした部屋のデザインと、豪華な装飾品の数々、ふわふわの幾何学模様の絨毯、天蓋付きベット。貴族、王族は子供の内から、こうやって高級品に慣れて感性を磨くのだが、私には、実用性のない物はただのガラクタにしか見えなかった。


 窓際にたたずむ少女。



 その少女は、そんな豪華な高級品に彩られた空間と違和感なく調和していた。


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ボクの依頼主は、お姫様 チョコパイ @choco-pai

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