その者、肉を貪る。
闇。
これの世界を形成しているものは闇。
光を呑み込む、闇。
白濁した体液と零れ落ちる淫汁とが混ざり合って限りなく透明な色。闇の中に微かに溶け込む色。
強制的に送り込まれる快感に否応なく隆起する乳頭に齧りつく。張り詰めたそれは赤くはれ上がり、男の口の中で弄ばれる。
漏れ出る嬌声。
苦痛とも快楽とも付かないうめき声。
それが興奮の材料となって男の先端から新たに白濁した体液を吐き出させる。
男の肉体を乗っ取ったわたしは三日三晩に渡って女の肉体を快楽のそこへと沈めた。たけり狂った管で以って女の肉を中からえぐり何度も失神させた。わたしの送り込む快楽に応えるように、女は悦び、苦しみ、果て、求め、啼いた。
繰り返し与えられる快楽にいつしか女は恐悦し、その肉を晒して自ら快感に浸ってのた打ち回った。
蹂躙しつくした肉からはいつしか芳醇な香りが放たれるようになり、それが男の肉体のあらゆる部位を刺激し興奮へと導いた。
口に含んだ乳頭を歯でしごくことでどろりとしてあまやかな体液を送り込んでくる。男の肉から注入した白濁液が女の肉に吸収され、女の肉から甘酸っぱい白液を男の肉へと送り込む。
すばらしい循環回路ができあがった。無限の搾欲。終わらない快楽。果てない肉欲。
いずれ喰らう肉である。だが、しばしこのおぞましいほど強烈な刺激に耽溺し肉が破滅する瞬間までよがり狂ってしまうのも悪くない。
男の肉体を乗っ取ることで交わることと喰らうこととが同義のものへと変貌した。交わることが喰らうことであり、またその逆も然り。
肉は喰ったらなくなる。いまのわたしは喪失感を恐れている。
わたしという存在が恐れを感じるとは、思いがけず笑みを浮かべてしまう。
喜悦。はしたない声を上げる女にのしかかることの悦び。
まだ、喰うには早い。もうしばらく熟成させ肉を快楽付けにした後、跡形も残さずに喰らってやろう。
φ
「あなたはだれですか?」
女はそんなことを口走ったような気がする。
わたしはどう答えただろうか?
「わたしはお前の好いた男ではないか?」
たしかそのようなことを口にした。
女は首を振ってその答えを否定した。
「いいえ、私の知るあの人は……あなたではないことは間違いないです」
男の顔を忘れたというのか? 不可解でしかない。
「ほう、わたしの何たるかを理解してるとでも言うのか?」
「あの方はそんな風に話しません。そもそも、こんな狂ったように私を求めるだなんて……人間には無理というものです」
昼夜を問わず闇の中で交わり続けることに疑問を抱いたということか。
肉のやることなどわたしには関係のないことだが。
しかし、わたしの存在を勘にしろ、人格の消滅した肉の本来の所有者との差異に気が付いたというなら、名乗りを上げるのが筋というものか。
「そうだな……わたしはお前たち肉。つまり人の言葉に置き換えれば〝鬼〟とでもいえばよかろうか」
脳髄に残る記憶という領域から肉の持つ概念を抽出して言葉を綴る。
女は顔を伏せて聞き取り難い声を発した。
「あなたが、鬼? 肉を喰らう化け物……里の年寄りがいう人攫い」
「いかにも。わたしは肉を欲する。上質な血の滴るような肉を喰らうことを至上の悦びと同定している」
「ならばなぜこのような……」
女は言いよどんで曝け出された秘部を隠そうと身をよじった。
『肉を喰う鬼』と名乗ったところで女が恐怖する事、怖気ずくそぶりなど一切表に出さない。唇をきつく結んでわたしの傍からできるかぎり放れようと足を使って闇の中で蠢く。
「貴様も悦びを共有し愉しんでいたではないか?」
「戯言を誰があのような獣の交わりに喜ぶというのです」
この女の心理は理解できない。もとより、肉の思考など考えたこと等なかった。男の肉体に精神が引かれているのか。わたしは女の心情を理解したいという欲求にとらわれた。
「この男と交わることを至上と感じるのではないのか? きさまの身体は正直に男の肉体に応えてたではないか」
「あのように強引に快楽を送り込まれて苦しいに決まっています」
挑むような眼差しでわたしを捉える女にかつて感じたことのない高揚感を覚える。
快不快の道理など理解できないが、身体が反応するからといって快い感情に支配されるわけではないのか。
笑止。これが笑わずにいられるのか。反応は答えだ。己が求める欲が満たされているという実感はそこからやってくるものではないか。
肉の考えることなどやはり理解できない。
「あの人の身体から出て行ってください。喰らうなら私を喰らいなさい。だからお願いです。その身体から出て行ってください」
「命が惜しくは無いのか?」
「すでに私はあなたに捉えられた肉なのでしょう? 暗闇で得体の知れないものに犯され続けるのなら潔くこの命を散らします。ですが、どうかその方の、あの人の魂は喰らわないでください」
闇の中で懇願する女を前にして、笑いが止まる。
高潔、矜り、なにが女をそこまでさせるのか?
『愛』という言葉が脳の奥深くから導き出される。
愛とはなにか、わたしにとってそれは『喰う』ことであるだろう。
肉を好む。肉を慈しむ。肉を嘱望する。肉を愉しむ。肉を願う。
喰うことこそ愛。ならば、わたしがこの女に注ぐものは愛なのか?
愛? そのようなものわたしのなかにはない。愛で肉を喰う。肉は喰われる為だけに存在するのだ。その肉を対象として愛するだと? ふざけている。
喰うことは『無』であると再認識する。
そこに介在する感情など無でしかない。飢餓感を押さえつけた瞬間に訪れるもの、それが無。喰うことだけがすべてではない。それは生理現象。発生した感覚を緩和するための行為でしかない。肉は肉に過ぎない。それは喋るだろう。笑うだろう。啼くだろう。怒るだろう。悲しむだろう。
わたしのような存在に喰らわれる肉とて命は宿っている。
ならば、我々に近しい精神が形成されることもまた然り。
寄生した肉体にわたしの精神が犯されることに怒りを覚える。
「肉風情がわたしに請い願うなど笑わせるな。おまえたちに選択肢は無い。そう、お前は喰われる。それは始から決まっていること。前提だ。喰われることと引き換えにこの身体を解放しろだと? 対等ではないな。交渉の材料にすら値しない」
それから女は言葉を探すように逡巡し顔を上げる。
「では、この魂を捧げるというのはどうでしょうか?」
瞳から決然としたものが失せ、迷いがありありと伝わってくる。鬼との交渉になにが相応しいか、それを測りかねているといったところか。
「悪くない答えだ。しかし、それでは不足してる」
そもそも肉を喰うということはその肉に宿る魂まで欲する行為ではない。肉体を失った魂は循環し、新たな肉に宿る。それがこの世の理。例外はあれどそれが基本原理である。
わたしのような『鬼』に魂という原理は存在しない。『わたし』という存在そのものが魂に相当するといえるだろう。
「お前たちに魂というものが如何なものなのかを説くつもりはないが。代償としては悪くない。お前たちの言葉で魂の領域を述べろ」
「魂の領域?」
「そうだ。お前の魂が果たす意味とでも呼べばいいのか。ええい、肉の言語は直感に訴え難い……魂をわたしにどうするかを言え」
眉をひそめる女。概念を説くことは難しい。ましてや魂の規定が肉の持つ言語では説くことができない。これらにとって魂とは理解しがたいものであることが理解できる。
女は口を開いては閉じ、開いては閉じ、を繰り返した後、深い理解を示した表情で契約を交わした。
「わたしの魂をあなたの思うがままに。自由にお使いください。その代わりにその身体を元に戻してください」
「よかろう。それもなかなか面白い。きさまを喰らい魂を拘束したあかつきには、いいだろう。この男の肉体をもとの村に返してやろう」
そうして女の瞳に一筋の光が宿るのを見、わたしはふたたび女の身体を貪るように犯し続けた。
再開された交わりに女は笑みを浮かべる。それがどこかしら愉悦に歪んだものに見え、たけり狂う内なる蠕動がわたしを悦ばせた。
饗宴ははじまったばかり。肉を喰らった後に手に入る魂をどう扱うか。
闇は深みを増し、深淵が女の身体を呑み込んでいく。
いつ果てるとも知れない戯れにただ溺れるように、貪欲なる管は女を穿ち続けた。
橙なる肉 梅星 如雨露 @kyo-ka
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