橙なる肉

梅星 如雨露

その者、肉を欲する。

 血の滴るような肉が喰べたい。

 一種の発作のように、この衝動は表れる。

 身を削るような焦燥感に駆り立てられ、途方もない欲望の渦へと飲み込まれていく。

 一度発作が始まると肉を喰うまでは治まることは無い。

 時間が経てば経つほど肉欲の疼きは耐え難いものになり、苦痛すら伴う。

 外に赴き自分好みの肉を探す必要がある。

 これ以上疼きを押えておくことはできない。いずれ正気を失い見境なく肉を喰らうかもしれない。それはできるだけ避けたい。

 いまの住まいは気に入っている。ここに留まる為にも意識があるうちに肉を見つけ出すべきである。


 山を下り、麓の村にたどり着いた私は陰に潜み嗜好にあった女が現れるのを待った。

 寒村。

 たしかに寂れた雰囲気を帯びた村だが、この村の女は上質な肉を持つものが多い。それは、女だけではなく童や、あるいは男ですら例外なく美味なる肉を帯びている。

 だが、今晩贄にするのは女と決めている。熟れた肉を持て余した女なら尚よいだろう。

 この村は大きとはいえない。ゆえに数を望むことは難しい。この地に移り住んですでに数年を経過しているが、未だに山を焼かれていないのは肉欲の衝動に襲われた時にのみ肉を攫うようにしているからかもしれない。

 美味なる肉を最高の状態で蝕すために、肉欲の発作が発生したときにのみ肉を獲るようにしている。

 それほどまでに魅了する肉である。

 そう易々とこの地を手放すわけにはいかない。

 この程度の村など一晩あれば十分に喰らい尽くせる。

 だが、質の良い食材を散らかすように喰うというは、あまりに下品ではないだろうか。優美に蝕すこと。これは肉に対する最上の敬意であるとわたしは考えている。


 闇に紛れ、数刻。

 肉欲の衝動はじりじりと身を焦がすほどのものへと変わりつつあった。

 果てしのない欲望。抑え難い焦燥。

 蠕動する食器官の疼きは熱を帯び、ひくりひくりと胃壁がうねる。

 肉。その味を想像するだけで官能的な痺れが奔り、脳の隅々を犯す。

 発狂してしまいそうな意識を寸でのところで押さえつける。

 やがて、闇に飲み込まれた民家の一つから木のきしむ音が聞こえてきた。


 待ち望んだ肉が姿を現す。女が一人、戸の内側から顔を覗かせる。

 おおかた厠にでも行きたくなり、目が覚めたのだろう。

 肉を攫うだけのこと、方法はいくらでもある。闇の中に潜めばそれぐらい雑作もない。しかし、わたしはこの、待つという行為が気に入っている。

 時間をかければかけるほど、肉欲は肥大し抑えがたいものになる。己の限界を超えるか超えないか、その刹那を見極める。その瞬間に味わう肉は自我を崩壊させるほどの旨みをもたらす。

 口中に侵入し、舌先で柔肉を弄び、歯牙をもってして筋を噛み千切る。

 夢見心地ともいえる瞬間がそこに存在する。

 精神を極限まで引き絞ることで得られる快感。肉欲の疼きがより肉の味わいを深める。その官能的な経験をより上質な肉で得られる。

 待つことは、蝕を引き立てるための本質であるとわたしは考える。

 女が雑草を踏み分けはなれた小屋へと向かっていく。

 わたし好みの熟れた肉ではないが、肉つきはよく、若々しい香りが漂ってくる。

 若い肉は味に深みは無いものの、瑞々しさと噛み応えのある弾力がある。血潮が弾け、喉を伝っていく感覚を思い出すだに口中の唾液が沸き立つ。

 女は人の目をしのぶようにして慎重に歩みを進める。

 わたしは陰から陰へと移動して女のあとをつけた。

 どれほど女が注意深くあたりの様子を伺っていたとしても、わたしの存在に気付くことはできないだろう。

 小屋の前までやってきた女はわずかに身なりを整えてから戸を三度叩いた。

 中から二度音が返ってくる。それを確認した女はしゃなりとした仕草で戸をそっと引いた。

 小屋を覆う闇にまぎれた私も後に続いく。

 中には年若い男が待ち構えていた。

 これは逢引というものなのだろうか。男女が夜半に示し合わせて一所で向かい合う。肉の交わりには毛ほども興味は無いが、わたしが肉を欲して闇の中で待つことも逢引と言えなくもないかもしれない。

 なにゆえ肉の習性にわたしの食事を照らし合わせるのか。その考えにおかしさを感じてくつくつと笑いが漏れる。

 笑いは闇を小波のように揺らして漆黒の中に陰影を作り出す。

 乏しい灯りの中で女と男の交わりの影がゆらゆらと揺らめく。

 嬌声を上げまいと息を呑む女の姿がくっきりと映し出された瞬間、そそるものを感じたわたしは男の脳髄へと侵入して直接、女の肉を犯したい衝動に駆られた。

 貪欲に女の乳房に喰らいつく男の姿は滑稽とすらいえたが、それが得も言われぬ情欲を掻き立てる。

 陰りの中を伝って男の耳の穴からわたしという存在を侵入させる。びくんと背筋をのけぞらせた男の身体からは激しい喪失感とともに白濁した体液を女の奥深くに吐き出した。

 むわりと広がる生臭さと陰部から迸る淫汁が混ざり合ってわたしの心を蕩けさせる。

 果てたばかりの男の身体を使って、わたしは女を激しく突く。同時に果てた女と男の身体は激しい痙攣を繰り返し絶頂し続ける。恍惚とした女の表情が苦痛に歪み始める。繰り返される絶頂によって肉が突っ張り骨がきしむ。絶えかねた女は慟哭しひくひくと身体をくねらせる。

 それでもなお、わたしは肉の感触に溺れ男の肉体を酷使し続けた。肉体が感じる苦痛は脊髄から脳に経由させないよう抑制し、快楽のみに全神経を集中させる。肉の交わりとはかくも押えがたい衝動のはけ口になるのか。

 もう幾度の絶頂を経験したか。快楽に沈んだ肉体は絶えず痙攣を繰り返し、吐き出す体液すら残っていない。名残惜しい気持ちにわたしの知る言葉では形容できない感覚に包まれる。

 まだ欲しい。まだ足りない。

 肉を喰らったときの欲望から解き放たれる充足感ではない。もっとおぞましい、それでいて脳を極限まで蕩けさせる女を刺し貫く快感。一度落ちたら抜け出すことのかなわぬ激しい渇望にわたしという存在が呑み込まれていく。

 わたしが侵入した男のしたでは、息を荒げた女が顔中汁塗れにして気を失っていた。

 灯りの炎は消え、小屋の中にはより濃厚な闇が包み込む。

 血の滴るような肉を喰らいたい。その衝動はいつしか消え去り、交わることで得られる快楽を欲していることに気が付いた。

 ならばそれも一興。この男の身が滅びる瞬間まで女を刺し貫き埋まらぬ欲望を満足させよう。

 そして貪るだけ貪った暁には、この肉体を使って女を喰らってやろう。

 男の口から自然、下卑た笑みがこぼれる。

 新たな愉しみを手に入れたわたしは、気をやった女を闇で包み込んでいく。次に女が目覚めた時が待ち遠しくなり、また歪な管がせり上がってくる。あれだけ体液を吐き出したというに、まだ吐きたれないとは。

 これはしばらくは愉しめそうだ。


 濃厚な闇の中から女と男の肉が蕩けて呑み込まれていく。後には微かに啼く虫の声だけが小屋を包み込んでいた。

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