第七話
ミロの母の死体を、私は近場にあった大きな布でくるんで脇へよせ、二人で手を合わせて供養した。日本式だが、海外でもこうするのだろうか。
それから、書架を物色することにした。
書架には、ミロの部屋で見覚えのある『NAMELESS CULTS』という書物のほかに、ページの破けた物語、奇妙な伝承の本などがおさめられていた。他にもさまざまな調度品がある。
ミロが私の肩をたたいた。
「あの、このペンダント、どう思いますか」
おずおずと差し出されたのは、不思議な安心感を与えるペンダントだった。
いびつな星型だった。その真ん中に、奇妙なことに人の目が描かれているのだ。
ペンダントには、その模様以外には何の装飾も施されていない。
私はそのペンダントを受け取ると、左ポケットにしまい込んだ。ミロは、そのまま別の書架から一冊の本を引っ張り出して読んでいた。十代向けにアレンジされた童話らしかった。
私がしばらく調べていると、強烈な既視感を放つ引き出しが第三の、がらくたまみれの書架の裏手に隠れていた。
それは、私が事務所に置いている引き出しだった。そう、廸子さんから受け取った、彼女の夫の謎めいた手帳をしまっておいた、あの引き出しである。
恐る恐る、最後にあの手帳をしまった鍵のかかる引き出しに手をかける。鍵はかけられていなかった。
中から出てきたのは、予想通り、と言えばその通りになるが、例の手帳だった。
中身を改めると、それは初めて見た時から変わらず、ミミズの象形文字で書かれていた。
初めて、私はその内容とまともに向き合う覚悟を決め、ページをめくった。
<我が名はジョージ・バレシュである。
ここに、改めて神々への考察と、我が精神と神々と間の誓約を記すことにする。
神々は、我ら人類の手が及ばない、遠い外宇宙に棲んでいる。
そして、私が信奉する永久の時をつかさどる神――文献によれば、《The Keeper of the Dust》と呼ばれているかの神は、誓約に基づき、約束を交わすことで、永遠の寿命を手に入れることができるのだ。
長らく、私は人間の寿命に基づく魔術では、権力の維持は不可能だと主張してきた。
宮廷の莫迦な似非魔術師どもに、私の信ずる高尚な救済と絶対的支配は理解できまい。
目的のため、私はすべてをこの神に捧げるつもりである。>
<誓約の手順については、かつての大賢者、カルナマゴスの記した《カルナマゴスの誓約》に記されている。私がもしも、かの神との契約に失敗した場合、この手記を読んだ志高い魔術師諸兄のいづれかが、我が理想を継いでくれることを願って、このことを記す。>
とても、正気の人間が書いたとは思えない恐るべき非科学的な存在を用いた人間の支配方法が、その後数十ページに書かれていた。
そして、最後はこう締めくくられていた。
<ただし忠告しておくが、魔術の道を志したわけでもなく、卑屈で矮小な一市民が、仮にもし、《The Keeper of the Dust》に関する文献を読むつもりであるなら、やめておいたほうがいい。
生に貪欲でなく、ひとかけらでも死の欲望があるものが読めば、たちまち神の慈愛に触れ、その死の望みがかなえられてしまうからである>
手帳を閉じた私の顔には脂汗がだらだらと垂れていた。精神がひどく疲弊していた。
私は、その手帳をポケットにしまおうとした。
その時、それの間から紙切れが一枚地面に落ちた。
拾い上げると、それは何か別の書物から破られたページだった。
説明書のように、項目が番号の振られた箇条書きで書かれていた。上から読んでいく。
儀式の手順というのが、一番しっくりくる説明だった。いつか使う機会があるかもしれないと思い、それも持っておくことにした。
最後に、私は第三の書架に収められていた鍵のかかった木箱と対面していた。この部屋に、もうこれ以外に調べるべきものは残っていなかった。
壊すことも、私には非力すぎてできなかった。木材というのはなかなか頑丈らしい。
鍵はこの部屋になく、もうどうしようもなかった。
私が持ち上げたり振ったりしていると、裏面を注意深く観察していたミロがいう。
「ここ、剥がれてませんか」
指摘されて見てみると、なるほど確かにそこは欠けており、指をかけて引きはがそうと思えば、やれなくもないように思えた。
早速試してみると、拍子抜けするほど簡単に板は抜けた。
ただし、そこには中身はなかった。底が二重になっているだけらしく、そこには一枚の紙が貼りつけられているだけだった。
それを私は読んだ。
読んで、しまった。
紙の上部に、走り書きでこう記されていた。
<《The Keeper of the Dust》――時の神、クァチル=ウタウスについて>
その瞬間、私の周囲の時間だけが、猛烈に加速した。
箱を置かれていた古びた机が、灰燼に帰す。
ろうそくが燃焼しきり、ランタンごと風化する。
私自身には、いまだ何の影響もなかったが、それは無事を意味することではなかった。
地下にも関わらず、天から灰色の光線が、私に降り注いだ。驚くほど冷静に、私は首を上に向け、私に向かってくるそれの御姿をしかと目に焼き付けようとした。
その神は、人の形をしていた。ただし、大きさは子どもよりさらに小さい。
顔のパーツはどれも欠落していた。頭だけがそこにあった。
全身が黒ずんで、しわくちゃになっている。最初に夢で見たあの門の前にうずくまるもの。
一度も呼吸することなく胎外へと取り出された哀れな中絶胎児のようだった。
両腕は前にまっすぐ伸び、こちらに向かってきているにも関わらず、その枯れ枝のような両足は全く動いていない。
私の脆弱な精神は、その御姿を見るだけで一瞬にして崩壊した。私のすべてを、この神に捧げてもいいとすら思いこんだ。
《塵を踏むもの》、悠久の時を与える孤独の神、クァチル=ウタウスを、私は自らの手で招来してしまったのだ。
傍から見ていた彼女に、私とその神の姿はどう見えていたのだろう。
――神を受け入れるため、両手を広げる。
直立し硬直した足が、私を踏みつける。
瞬間、私は幼いころからのありとあらゆる記憶を、猛烈な速度で追体験した。
こうして、私は屋敷を覆う灰色の塵の一部となった――はずだった。
甲高い絶叫が、私の耳に突き刺さった。
「――ッ! ――――、―――――――!」
それがミロの発した声だと、とっさには気づくことができなかった。
そして、その絶叫を聞き届けた神は、動きを止めた。
「え……?」
光の柱は、ゆっくりとその直径をしぼませていった。
同時に、招来された神は、ゆっくりと上空へ舞い戻っていったのだった。
邪悪な神は去った。
虜になりかけていた私は、信奉者が遠ざかったせいなのかしばらく呆然としていたらしい。ミロの気付けがなければ、その場でいつまでも呆けていたような気がする。
彼女は、私の手を固く握り込んでいた。
その感覚がなれないものであることに気づいたが、その理由はすぐに分かった。
手の肉が、ほとんど削ぎ落ちていた。年老いた祖母と同じ手だ。
私は、急激に老いていた。強烈な倦怠感がそれを物語っていた。立ち上がろうとしたが、足が言うことを聞かなかった。
「大丈夫、ですか」
当惑と畏怖が入り混じった声で、ミロは言った。
「……ああ、うん。大丈夫」
ふらつきながらも立ち上がる。周囲はひどい有様だった。
部屋中の家具は急激な劣化で原型も留めていなかった。私が調べようとした箱はすでに風化し、中身の本が露出していた。
本の表紙には《BOOK OF EIBON》と書かれていた。
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