第18話 別れと出会い
ーーシヲンが行ってしまった。
・・追いかけられなかった。
何も・・・・できなかった・・・・・。
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ーーユルの首を捉えて浮いていた大鎌。それが文字通り、魔法が解かれたようにカランカランと地面に落ちた。
同時に全身の力が抜け、少女は崩れ落ちるように地に膝をつく。
「・・・・俺は、・・・また同じ・・・。」
手で顔を覆い、力なく項垂れる。ユルの表情は、泣くでも悔しがるでもなく、ただ無表情だった。
俺は、・・・・ーーどうすればいい?
心の中に分厚い壁が現れたような、・・・そんな感覚が、胸の内に広がる。
(追いかけるのか? 追いかけてどうする?)
・・せめて僅かにでも気配が察知できれば、微かな希望もあるにはあったが、シヲンはこの部屋を出た直後に気配を消してしまった。
仮に当てずっぽうに走って、奇跡的にシヲンを見つけられたとしても、シヲンに速度で勝てるとは思えない。・・そもそも、全力で走っていったシヲンを見つけることがまず不可能なんだ。
・・・仮に、その問題をすべてクリアできたとしても、俺にシヲンの暗い何かをを取り除いてあげられるほどの力があるのだろうか。
(・・・・・・俺は、・・・弱い。)
シヲンがいなくなって初めて、ユルは自身の傲慢さに気付かされた。
(・・・・俺は、自惚れてた・・・。)
ーーシヲンの強さを勝手に自分のものだと錯覚していたんだ。
・・それを自覚すると、まるで頭に冷水でも掛けられたかのように、すっきりと冷たい何かが頭と心臓に侵食する。
俺は弱い。自分の意思を
(まさに虎の威を借る狐。・・クソ、分をわきまえろ・・・。)
俺の頭の中を、暗い何かが取り巻く。俺はそれに同調するように、自分を責めた。
ーー現状に甘んじていた自分を。
ーーシヲンを助けられなかった自分を。
うずくまって、ひたすら自身を責めた。
・・・容赦なく、心が折れるまで責め続けた。
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灰色の世界が黒く沈み、闇に脚を絡められる。
・・・・脚に、・・・膝に、・・・腰に、・・・・。
見えないが確かに感じるそれが、やがて上半身にまで侵食しかけたその時。
『ワンッ!!!』(失せろ!)
突然、耳の奥にまでツーンと反響する、高い鳴き声が響き渡る。
ハッとすると同時に、ユルを蝕んでいた何かがスッと床に沈む。
俺が後ろを振り向くと、そこにはさっきまで看病していた狼が、弱々しくも堂々と立ち上がっていた。
「・・・・悪いな、起こしちゃって。・・・ごめん、もう消えるから。」
そう言って、力の入らない脚に鞭打って立ち上がろうとすると、狼は再び鳴いた。
「クゥン・・・」(違う。恩人に、失せろ、言わない。)
「・・じゃあなんで『失せろ』なんて・・・、・・・・ん?」
ーーと、自分の発言で初めて、ユルは目の前の狼と意思疎通ができていることに気が付く。
単語が聞こえると言うより、感情や概念のようなものが頭に伝わる感覚。
そしてそれは、あの魔渦の洞窟や、ここに来るまでに聞いたアレによく似ていた。
「ワン、ワン!」(黒いの、恩人、沈む、止めた。)
「・・・・・
目の前の狼を放って一人ブツブツと言っていると、狼がユルの傍にふらふらと歩み寄って来る。
・・・その足取りを見れば、まだ回復してないのは嫌でも分かった。
「クゥ?」(恩人、聞いてる?)
「あ、あぁ。聞いてるよ。・・・ってちょっと待て。俺の言葉、解るのか?」
「ワン。」(分かる。)
『当たり前』とでも言いたそうな眼差しで、ユルに視線を送る狼。
それでも半信半疑なユルは、試しに自己紹介をしてみる。
「俺の名前は、ユルだ。」
「ワン!」(恩人、名前、『ユル』。)
『おお、ユルと言うのか!』的な、妙に子供っぽい返事をされるが、今は置いておく。
・・・これは完全に理解していると見て、間違いないだろう。
狼一匹にそんな知能がある筈が・・・・とも思ったが、もともとはこの子より小さい身体だった俺がそれを言うのはおかしい。
そもそもここは異世界。地球の
「お前は、何者だ?」
「クゥ・・。ワンワン!」(忘れてた、自分、
『聖獣』・・・いつかそれを説明した本を読んだはずだ。しかし、大体の人間は一生の内に一回でも見れれば奇跡ぐらいの出現率で、その上大した情報も載っていなかったので、その記憶は薄い。
かろうじて覚えているのは、『動物、魔物の上位存在が聖獣、魔獣』ということと、知能や戦闘能力が非常に高いということ。あとは、その
「ワン!」(恩人、お願い、ある)
「・・・・・死なない程度であれば・・・」
どことなく雰囲気が子供っぽいのであまり怖くはないが、それでも軽くここ等の森を焼け野原にできそうな強さを秘めているこの聖獣。油断はできない。
「? ワンワン!」(? 恩返し、傍、居たい)
「・・・・ん? 恩返し・・?」
ーーしかし、返ってきたのは俺の想像とは離れたものだった。
「クゥン?」(足りない?)
「・・・いや、むしろ逆だ。恩返しなんてしなくていいんだけど。」
「ワン!ワン!」(自分、恩、しっかり、返す。)
「好意は嬉しいけど、・・・・気持ちだけで十分なんだ。」
「クゥ・・・。ウゥン」(確かに、恩人、竜族。恩返し、足りない。)
・・・めっちゃ落ち込んでる。・・・・・・えぇー。
「キャゥゥン・・・。」(出来ること、何でも、する)
「んー・・・・・・・・じゃ、じゃあ・・・お願いします・・。」
「ワン!」(分かった、頑張る。)
あからさまに落ち込んでいた影狼に折れ、ユルは渋々その恩返しを受け取ってしまった。
・・・・まあ、悪い奴ではなさそうだし、未熟な俺がこの先一人で生きて行けるのかも分からない。そう考えると、この判断も妥当と言えるだろう。
(・・いい方向に転ぶと信じるしかないか。)
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「・・・・さて、どうするか・・・。」
改めて。出口を見据えてそう言った。
「ワン?」(出ないの?)
当然の返し。確かにここにいても気味が悪いだけだし、シヲンが戻ってくることもまずないだろう。
なぜ行動しようとしないのかというと、・・・・情けない話だが、足に力が入らないからだ。
例の件でどっと疲れが舞い戻ったんだと思うが、恥ずかしくてこの子には言えない。
「クゥン?」(どうした? 大丈夫?)
影狼が俺の身を案じて、声(?)を掛けてくれた。
クンクンと寄せられる頭に、条件反射で手を置いてしまう。
(お? 思った以上に毛がフカフカしてるな。)
フワフワというか、しっかりとした毛並み。今はすす汚れているが、これを洗ったらどれほど輝くだろう・・・。
と、そんなことを考えているうちに、いつの間にかその手は動いていた。
「ウゥゥン・・・。」(?? 恩人、それ、落ち着く。もっと。)
無礼なのではと一瞬考えたが、最初少し戸惑っただけで後は完全にリラックスしてしまった。
今や俺の膝に頭を乗せ伏せってしまっているので、問題ないのだろう。
「・・・本当にこれから一緒に暮らしてくれるのか?」
「グゥ。」(もちろん。)
「名前、聞いてもいいか?」
「クゥン?」(私、名前?)
・・ふやけたように膝の上でくつろいでいた影狼は、『名前』という単語にピクッと耳を立てる。
「ワン!」(無い。恩人、決めて。)
「いいのか? ・・・それじゃあ・・・・。」
何が良いだろうか。・・聖獣・・・影狼・・・・狼・・・。
(・・・・そういえば、狼ってスペイン語で『ロバ』とか『ロボ』とか言うんだっけ・・。)
・・・って、無駄知識すぎる・・。前世の俺は、なんでこんな使えない知識を蓄えてんだ・・・。
無駄な情報は置いておいて、できれば外見じゃないところから名前を取りたいかな・・・。
「んーー。・・・・ロアー・・いや、『ロア』。なんてどうだ?」
「クゥ?」(『ロア』?)
ロアー。和訳すると『咆哮』。初めて聞いたあの大きな鳴き声から閃いた、少々安直な名前である。
だが、パッと考えついた名前にしては、中々しっくりくるのではないだろうか。メスでもオスでも大丈夫だし。
影狼は『クゥ・・・』と小さく唸りながら、頻しきりにロアと連呼している。念話テレパシーがあるとは言えやはり動物、何を思っているのかはよく分からない。
パタパタパタ・・・・・
訂正する。割と分かり易いかもしれない。
「気に入ってくれたみたいでよかった。」
「ウゥ? ワン!」(恩人、気持ち、読める? すごい!)
(尻尾動かしてる自覚は無いのか・・・?)
「ワン。」(私、恩人、呼び方。ユル様、いい?)
「できれば『様』も外してくれると助かる。恩人も様もむず痒い。」
もちろん言語として『様』と言われている訳ではない。感覚としては、
「クゥーン。」(恩人、『魂魄竜』。神様。失礼。)
「・・・魂魄竜? 多分違うと思うが。」
始原竜と聞いて思い浮かんだのは、子供向けの絵本にも書かれているような
物語を簡潔に説明すると、今存在する生物の
因みに『魂魄竜』というのは後者である通称『
「クゥ? ワン。」(隠す、いい。聖獣、分かる。)
「隠すも何も、・・・・待てよ? 聖獣ならこれも知ってるのかな。」
そう言って俺は、右腕の袖を上げた。
少女の華奢な小さい肩、その白い肌には、色も形も違う二つのマークが浮かび上がっていた。
「ワンワン!」(『刻印』、魂魄竜、証。)
「やっぱり、・・そうだよな・・・。」
あの洞窟の一件で存在を知ったソレ。
勿論俺も気になって文献を漁ったが、そんな幻の生物の情報なんて、近年のネットの都市伝説よりもふわふわしていて胡散臭いものだけだった。
ーーそしてその中で唯一、信憑性のあったのが『身体の刻印』の話。
そっと肩を撫でると、まるでソレに意識でもあるかのように、不規則に光って反応する。
・・・同時に肩が少し重くなる。質量や重量ではない、『存在感』の言う名の重さだ。圧迫感とでも言うのだろうか。
自分の身体に、自分以外の何かが居る感覚。普通なら俺も気味悪がるだろう。しかし俺は何でもないように触れられていた。
「クゥ?」(ユル様?)
肩に手を当てて刻印の存在を確かめるユルのそんな姿を、彼女のあぐらの上で伏せっていたロアは不思議そうに見つめていた。
それもそのはず。自分の能力を不思議がることは、ロアからすれば、自分の手や足を不思議がるのと同じこと。
それは上位の種族には当たり前の感覚で、同族に教わらずとも、生まれた時から持っている知識なのだ。
一方、肩をさすりながら、部屋の壁をゆっくりと見渡しながら考え込んでいたユルは、不意に腰が抜けていたことを思い出す。
(って、力は・・・。・・・・入る! よし。)
「・・・ロア。もう十分だ、ありがとう。・・外に出るか。」
「ワン!」(分かった。)
ロアはスッと立ち上がった。地味に魔力を供給していたので、さっきよりも全然活き活きしている。
「ワンワン!」(ユル様、ありがとう。いつもより、元気!)
「なんてことないよ。・・・・・ちょっと待ってて。」
ユルはそう言って立ち上がると、落ちてそのままになった
「・・置いていくのはマズいからな。」
シヲンがここに戻ってくる可能性も低い。大鎌はともかく、魔法鞄には大切なものも入っている。
・・・もちろんどちらも置いていく手はなかった。
ユルが荷物を持って扉を開く。
ひょっとしたらそこにシヲンさんがいるかも・・・。
--なんて淡い希望もあったが、そこにあったのは来る途中で蹴り破った大岩の残骸だけ。
ブンブンと頭を振って自分に言う。『甘えるな』、と。
不意に思い出したのは、最後に見たシヲンの顔と、咄嗟に言った自分の言葉。
・・・・俺はその言葉を気休めにはしたくない。もう一度、堂々とあの人の前で言うんだ。
「・・・に・・立つんだ。・・・・
こうしてユルは、新たな仲間『ロア』と共に、その謎多きその洞窟を後にするのだった。
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