第13話 救出
・・・・―身体が、・・・あったかい。
少女が最初に感じたのは、意識も微睡む心地のいい感覚だった。
(私は、死んだ・・のかな・・。)
フワフワとした気分の中、ただ漠然とそんなことが頭に浮かぶ。・・そこに感情はなかった。
記憶は少し曖昧だったが、何となくは覚えている。
・・ーー自分が洞窟に居たこと。
・・・ーー落盤により、ユルと離れ離れになってしまったこと。
・・・・ーー私は岩の下敷きになってしまったけど、なんとか脱出できたこと。
しかし、思い出そうとしたけど、その先の記憶はなかった。ただ、辛かったことだけは覚えている。
私は洞窟から脱出できたのだろうか?
ーーそれとも気を失って、倒れたまま魔力枯渇で死んだのだろうか。
(・・・・もう、会えない・・のかな・・・。)
あんな状態で生きているはずがない。
・・・はなからそんなことは十分に理解しているつもりだったし、そもそも自分は生き長らえようとなんて考えていない・・・・はずだった。
ーー開けるのも億劫で瞑ったままの眼から、涙が溢れる感触がした。
「・・・・・なんで・・・だろ、
・・・・悲しい・・?」
初めて口に出た、自分の感情。
『シヲンさんは、もっと自分の気持ちを外に吐き出した方がいい。』
何日か前、いつものように黙り込んで悶々と考え事をする自分に、ユルが言った言葉だ。
あの時は中々言葉にできなくて、そんなことを言われても結局だんまりだったけど、今の自分のこの気持ちは、いつにも増してはっきりとしていた。
頭が震えるような。胸の中から毒霧が吹き出すような。とにかく嫌な感覚。
・・・言葉にしてみて初めてそれが『悲しい』って感情なのだと分かった。
「・・もう、・・・遅いよね・・・。」
今更すぎる。もっと早く気付けていたら、もっと別の何かが見えたのかもしれない。ユルから見えるこの世界の欠片だけでも、掴めたのかもしれない。
・・・・そんな後悔だけが、シヲンの中で歪に残っていた。
「最期に、ユルに会いたかった・・な。」
心身共に弱ってしまったからか、そんな弱音が口から漏れた。
身体は今だポカポカとして温かく、力が溢れているような気さえする。
・・・だが、気分はそれに追いつこうともしていない。
この独り言も、そんな諦めからきたものだった。
『キュ!』
・・・・ーー空耳が聞こえる。何故かとても懐かしく感じてしまう、あの
今まぶたを開けば、そこにあの子がいるかもしれない。
・・・なんて希望は捨てよう。
いまはただ、じっと目を瞑って無心になっていれば、それでいいんだ。
『キュキュ!』
さっきよりもはっきりと、耳に響いた。私はそんなにも未練があるのだろうか?
・・・・いや、そんなことはどうだっていい。今の私には、手を伸ばすこともできないのだから。
・・・・モゾモゾモゾ・・・・
「ん、ぅんん・・・ふわぁっ」
服の中で何かが蠢く。
くすぐったさに身をよじり、悶えるように声を上げるシヲン。ここまで来るとさすがにおかしいと勘付き始めたのか、ゆっくりと目を開いた。
「どう・・くつ・・? なんで・・・」
虚ろな瞳で捉えたのは、見覚えのある、ゴツゴツとした岩肌だった。
・・・・モゾモゾモゾ・・・・
そして自分のお腹を見る。先ほどから服の中でモゾモゾと動いている物体は、どうやら徐々に上がってきているようだ。
「ギュ、ギュ、・・・・キュッ!」
そしてその盛り上がりが胸まで到達すると、とうとうシヲンの首元からその頭を出した。
ーー出てきたのは、いるはずもないユルの、それも幼竜のときの姿だった。
「・・・・・え、・・・・ユ、ユル?」
「キュゥ!」
間違える筈がない。姿も触感も魔力も、紛れもないユルのものだ。
「・・・え、・・・でも・・・何で・・・」
「キュッキュ! ・・・・キュ。」
シヲンの頭はすでにパンク寸前だった。
理解できていないことだらけで何から聞けばいいのか分からない。
その上ユルとまた会うことができて、嬉しかったり何だったりと感情がグチャグチャになって、口をパクパクとさせながら言葉を詰まらせていた。
驚きで固まってしまったシヲン。
・・・聞きたいことが沢山ある。そんなふうに汲み取ったユルは、なにか考えでもあるのかシヲンの服から這い出てきた。
地面に降りると、少し離れて目を瞑った。
・・そのまま、凍りついたかのように動かなくなったユル。
死んだように動きを止めたユルに、シヲンは驚き・・・・はしなかった。ユルの周囲に満ちた異質な魔力に気が付いたからだ。
やがて、ユルを中心に小さなつむじ風が生まれる。段々と勢いを増していくその力は、純粋な魔力ではないように見える。
・・・一体どんな力が働いているのだろうか。
はっきりとその風の音が聞こえるまでになったころ、次はユル自身に変化が起き始めた。
渦の中のユルより一回りも二回りも大きい、どこか見覚えのある形の半透明な薄い膜が薄らと現れる。そして、反対にユルの身体は少し透け始めた。
ついに、謎の膜とユルの身体の透明度が逆転した。時間にして一分ほどの短い時間だったが、シヲンからすればかなり長い時間に感じられた。
『あー、あー、』
変化が止まった。いや、完了したと言った方が正確か。シヲンの目の前には、幼い少女が現れていた。
それはシヲンもよく知る、
「ユ・・ル・・・?」
それに応えるように、スッと目が開く。私の大好きな紫色の大きな瞳も、透き通るような灰色の長い髪も、私の記憶通りである。
「・・・これで大丈夫。・・・覚えてますよね?」
はにかみながらそう言う。「覚えてますか?」なんて聞いてきたのは、多分あの村に来た朝のアレだろう。
ユルが言い終わるのと同時に、先ほどまでユルを取り巻いていた風と微かな光、そして魔力に似た不思議な圧力もフッと空気に溶けていった。
「ユル・・? い、今幼竜だった。でも・・女の子・・・?」
「えっと・・・。とりあえず落ち着いて下さい、このことについてはちゃんと説明しますから。」
隠しきれないほどに動揺しているシヲンは、ユルの身体を頻りにペタペタと触る。
しかし何度触っても、その感触は他ならないユルのもの。
(間違いない。ユルだ。・・・・ユルが、ここにいる。)
「え、ちょ、シヲンさん!??」
・・・私はユルに飛びつき押し倒していた。ユルの細い身体に腕を回し、その柔いお腹に自分の顔を
ーーーユルはシヲンの突然の行動に驚いたが、・・自分のお腹に顔を埋める少女の、いつもと違う様子に気付き、引き剥がすことができなかった。
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「・・・・・。シヲンさん、すみませんでした。」
自分の体をガッチリと掴んで離れないシヲンに、項垂れるようにして頭を下げる。
俺がしっかりしていれば、シヲンは危険な目に遭わずに済んだし、落盤自体起きなかった。
「僕のせいで、・・・危険な目に遭わせて・・・・・本当に・・・ごめんなさい」
結果的に二人とも生きてたし得たものもあった、しかし所詮結果論。一歩間違えればどちらも命はなかった、そのことに変わりはない。
「シヲンさん。もうあんなこと・・しないで下さい。僕なんかのために・・・あんな・・・」
「ユル、違う。」
ーーーユルの言葉を遮ると同時に、体にまわされた手が力む。
「ユルは、私を生き返らせた。死んでた私に、光をくれた。」
ーーだから・・・・・
シヲンは今まで俺のお腹に埋めていた顔をゆっくりとあげる。
「ユルの為なら、なにも惜しくない。・・・・罪滅ぼしでもなんでもない、それが私の
ーー水色の瞳は、何にも折れないような強い決意でユルを見ていた。
不意に思い出してしまったのは、この世界で初めて目を開いたあの時だ。
今思い返してみれば、あの時目が合ったあの人はシヲンだった。
初日辺りのことはすっかり忘れてしまっていたが、あの威圧と瞳、そして光をも飲み込むほどにどす黒い
ーーーあの時とは目の色が明らかに違う。・・・いや、真逆といってもいい。まるで別人だ。
「ユル。・・・・暗い顔しないで。」
「・・・・・」
・・俺は今、どんな顔をしているのだろうか。想像すると悔しくて、ひどく情けなくなる。
(俺は・・・弱すぎる・・・。)
俯き、黙り込む。
・・しばらくそんな状態が続くと、シヲンは突然顔を近づけ、額と鼻の先をユルの顔に当て言った。
「この洞窟で倒れたはずの私をここまで運んで、少ない筈の自分の
「・・・・何で分かったんですか?」
「身体全体があったかい魔力で満ちてる。何でその技が使えるのかは分からないけど、それを使って私にマナを流し込んだのは分かった。」
「・・・・・」
「ユルは私の命を救った。・・・凄いこと、誰にでもできる事じゃない。」
シヲンは静かに目を瞑る。
「ありがとう、ユル。」
・・・・いつの間にか、俺の目からは涙がこぼれていた。
何故だろう。『ありがとう』のたった一言が、とても尊いものに感じられる。
同時に心の奥底の俺の知らない、暗い何かが疼く。・・・嫌な気分ではないが、今はそこには触れたくない。
そこに触れることで、自分の前世かこのことでなにか分かる、その確信はあった。ただ、今はそれよりもシヲンを強く抱きしめていたかった。
・・・・この温もりを、・・離したくなかった。
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どれくらいこのままでいただろう。シヲンはゆっくりと目を開ける。
膝の上にはユルの寝顔があった。スヤスヤと寝息を立てるあどけない少女の寝顔を見ていると、こちらまで気が緩んでしまいそうで怖い。
ユルはあれから間もなく眠りについた。相当無理をしていたのだろう、寝付いた直後のユルの表情はとても青ざめていて、今にも衰弱死しそうなほどだった。
ユルの異変に気付いた私は、態勢をかえて膝にユルの頭を乗せ、彼女の介抱をしていた。
・・回復系の魔法が苦手なシヲンは、ユルが彼女にやったのような魔法は使えない。少女の傍に居てあげることしかできない自分に不甲斐なさを感じる。
そんな悔しさから逃げるようにして、ユルの頬を撫でる。
(・・・・それにしても、どうしてユルは助かったんだろう。)
ーーふとそんなことを思った。
思い返してみれば、目覚めた時からユルの様子はおかしかったような気がする。
私が起きたとき、幼竜のユルは私の服の中にいた。今までお腹の上で丸まることはよくあったけど、何故か服の中に潜るようなことはなかった。
もちろん嫌ではない、むしろ嬉しいぐらいではあるが・・・。
・・・どういう風の吹き回しなのだろう。
それに、魔法どころか魔力についても詳しく話したことがないはずなのに、他者に魔力を送る技術を身につけていた。
一体、あの後ユルに何が起きたのだろうか・・・・。
「スヤスヤ・・・・シヲン・・さん・・・・ムニャムニャ・・・」
(・・・・・今は考えても仕方ない。・・・ユルが起きたら聞こう)
シヲンは寝言に耳を傾けながら、優しくユルの頭を撫で続けるのだった。
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