第11話 少女と幼女の日常


 この村に着いたあの日から、十日ほどの時が経つ。



 あの日から、少女の本格的な講義が始まった。

 ・・・とは言っても、ノートも教科書もないこの村では、絵本のような幼児用の本や、伝記や冒険記などといった辞書よりも分厚い、鈍器のような本を教科書の代わりにして扱った。



 記念すべき最初の授業・・・・の前に、不便ということで俺の名前を付けることになった。


 丁度いいので、この際少女の名前も聞いてみよう。・・ということで、身振り手振りで少女に意思を伝える。


「あうあ! う!」

「・・・? あ、まだ名前、言ってなかった。」



 少女を指しながら尋ねる。一瞬首を傾げた少女だったが、意味を理解したのか教えてくれた。



・・・---『シヲン』



 それが彼女の名前だ。

 長いこと名前を口にしていないらしい。名前は姓名どちらも持っていたそうだが、姓の方はと言っていた。


 訳でも、訳でもない、『』ということに少し突っかかりを覚えるが、そこら辺も追々分かっていくんだと思う。



 ・・・気を取り直して、俺の名前決めを再開する。

 俺自身、名前はどうでもいい・・・・と思っていたのだが、名前決めの最中に聞こえた『女の子っぽく』という少女、もといシヲンの発言により、俺の中でストップがかかった。


 その後、俺の必死の訴えにより、何とか『ユル』という男女兼用の名前に落ち着いた。


 ーーまあ、この世界の人々の名前がどんなものなのかは分からなかったが、個人的には気に入っている。




 名前を決めた俺たちは、早々に授業を始めた。


 最初の授業は、やはり『言葉』だ。口語はもちろん、文語も含めて、緩く学ぶ。

 とはいえ一応、聞くだけではあったが理解はできていたので、喋る練習からの飛び級スタートだった。



「・・・・うぅユルぃおんシヲン。」

「いきなり名前は難しい、もっと簡単なものから。」


(簡単なものと言われましても・・・・。あ、そうだ)

 --子供が最初に口にする言葉といえば・・・。


「・・・まま!」

「え!? ま、ママ? わ、私が?」


 ・・・あ、ミスった。


 そう悟るも時すでに遅し。

 何が嬉しいのか、シヲンは膝の上に乗る俺の背中に顔を埋め、「ママ、ママか・・・」と独り言を呟きながら、俺の事を抱き締めてきた。


 ーーシヲンの膝の上に乗っていたため逃げることもできず、そのまましばらく抱擁という名の拷問を受けたのも、今となってはいい思い出・・・・なのかな?



 そんなこんなもありつつ練習していたが、中身は小竜の時と変わっていないのか、俺はその高い学習能力でみるみる内に言葉を発していく。

 結果的に、丸一日ただひたすら口を動かし続けていただけで、俺はシヲンの使う言葉をほぼ完全にマスターしてしまうという快挙を成し遂げてしまった。


ーーードラゴン、恐るべし。



====================



「ユル、起きて、朝。」

「・・・・ふぁあ、ってうわ!? ・・・あ、そっか。」


 自分の欠伸に自分で驚いてしまった。喋れるまでになったとはいえ、まだ丸一日も経っていない。 この身体や声に慣れないのも、無理はないのだ。


 シヲンはそんなユルの様子をしばらく不思議そうに見ていたが、ハッと何かを思い出したかのように立ち上がると、ユルの肩を掴んだ。


「・・・今日から毎朝、鍛錬する。」

「・・・・え?」


 二日目は、小さいとはいえそこそこの大きさのあるこの村を、ほぼ全速力で数十周するという、・・・前世で考えれば鬼畜としか言いようのないランニングから始まった。



「ユル、遅い。もっと速く」

「はぁ、はぁ、・・・シヲン、さん。はぁ、はぁ、・・・ちょっと、休憩を・・」

「ダメ。喋れるなら、まだ余裕。」

「お、鬼だ・・・。」



 そんなランニングもやっと終わり、過呼吸と血の味に地に膝を付けている俺だったが、地獄はまだ終わってはいなかった。



「身体があったかいうちに、次は簡単な体術の練習。」

「ま、まだあるんですか・・・・。休ませて・・・。」

「昼には文字を教えるから、それまでに終わらせる。」

「『昼』って、まだ早朝なんですけど・・・」

「大丈夫、ユルなら・・・。」

「自信があるなら目を逸らさないで下さい!」



 と、そんなひと悶着はありつつも、結局はしぶしぶシヲンの指示に従うことになった。


ーーーシヲン、恐るべし。




 体術、剣術、棒術。シヲンをお手本にして、実際にまねをしてみたり、模擬戦をしてみたり。実にアクティブな授業を、何時間も進めていった。


 さすが異世界なだけあって、武術のキレと言うのか生々しさと言うのか、前世のスポーツなどとはまた違った、不思議な何かをそれに感じた。

 その時の俺は満身創痍ながらも、やはりワクワクしていたに違いない。これも性さがというものなのだろうか・・・。




 流れるように時間は進み、気付けば正午ほどの時間になっていた。


 ユルは地べたに仰向けで倒れ、虚ろな目で空を見上げていた。

 早朝の全力走も含め午前の鍛錬は苛烈を極め、ユルはかろうじて息だけはできているような状態になっていた。


「・・・・シヲン・・さん・・。」


 声を振り絞って、たった一言だけそう言った。

 シヲンもそれで察してくれたのか、「ん。」と返事だけして、歩いて行った。



(俺も早く回復して、帰らないとな・・・。)


 そんなことを考えながら目を閉じようとすると、突然、視界が真っ黒な影に染まった。



「・・・・・ユル、これ。」



 ーーその正体は、屈んで俺の顔を覗きこむシヲンだった。

 足音を聞いて、村に戻っていったのかと思っていたので、まさか逆に近づいているなんて思いもしていなかった。

 シヲンは、俺の目の前に革製の水袋を差し出してくる。



「・・・ちょっと、やりすぎた。」



 さっきまでの事だろう。自覚はあったのか・・・。


(というか、腕も動かない状態だから、受け取れないんだけど・・・。)



「・・・・あ。」



 そんな思いが届いたのか否か、シヲンは俺が動けないことを察して水袋を離すと、


(そのまま蓋を開けて強引に俺の口へ―・・・・)



「って、シヲ・・・・ごぶっ!?」








「・・・はっ!」



 月光の下、廃屋の窓枠にもたれかかっていた俺は、飛び起きるように悪夢ゆめから覚めた。

 ・・・どうやら読書中に眠ってしまったようだ。すぐ傍には、頭より大きく分厚い本が転がっている。


(えぇと、・・・確か満月の月が明るかったからって、夜更かしして本を読み漁ってたんだっけ?)


 そして、今教材に使っているこの冒険譚しょうせつを読んでる内に、今までの事を思い出して・・・・


「・・・ーーあの悪夢トラウマに至る、と。」

「ユル?」

「ひゃっ!?」


 背後からの突然の声に、心臓が跳ね上がる。

 シヲンが気配を消すのも、無意識にやってしまっているだけであって、悪気はないとは十分に分かっているのだが、・・・・もう慣れるしかないのだろうか・・・。


「うなされてた。・・・大丈夫?」


 後ろを振り向くと、鼻が当たりそうなほど近くにシヲンが居た。・・・ーーもう驚かないぞ。


 シヲンはそのまま手を回すと、ユルの身体を包むように優しく抱擁した。

 --ゆっくりと額を合わせ、静かに目を瞑る。


「・・・・怖かった・・?」

「いや、あの・・・。」

「大丈夫。・・・安心して。」


 「お前のせいだよ!」とは言えない状況。はたから見れば微笑ましい光景だとは思うが、ユルからすれば、その心境はとても複雑なものである。


 ーーとはいえ、シヲンもシヲンで一人の女性。ユルも、中身は違うが一応子供だ。

 優しく抱かれ、頭や背中をゆったりと撫で続ければ、子供の身体なんて単純なもので、完全に覚醒していたはずのユルにも睡魔が訪れ始める。



「ありがとう・・ござ・・・す・・・シヲ・・さ・・・。」



 ・・・やがて、ユルはゆっくりと寝息を立て始めてしまった。

 完全に眠ってしまったことを確認すると、ユルを起こさないようゆっくりと横にさせ布を被せた。

 そして、ユルがさっきまで読んでいたのであろうその本を適当に片づけると、シヲンもユルの間隣で横になって布を被る。



「・・おやすみ、ユル。」



 最後にユルの横顔を瞳に残し、シヲンもまた、浅い眠りにつくのだった。



===================




「どうしますか?シヲンさん。」


 ほおづえをつき、窓枠越しに外を眺めながらそんなことを呟く。


 外は雨、・・・と言うより豪雨である。

 ホワイトノイズにも似た雨音と、俺の髪によく似た色の空。貫くように速い無数の水滴が地に落ちる光景を見ていると、なんだかこの世の終わりを見ているような気分になる。


「朝の鍛錬もできない、雨漏りが酷くて本も読めない。」

「そうですね・・・。」


 ため息交じりに、そう相槌を打つ。

 会話もそこで途切れ、沈黙と雨音だけがこの場を満たしていた。


「・・・・・・・。そうだシヲンさん、この前の洞窟。」

「・・・・ん?」

「ほら、二日三日前のアレですよ。」

「んーー。あ、あの山?」


 シヲンはそう言って、ユルの方とは反対側の窓から望む、大きな山を見る。


 ーー二人が言っているのは数日前、朝の鍛錬に使っていた山の麓ふもとで偶然見つけた、大きな洞窟のことだ。

 その時は鍛錬の最中だったこともあり探索はあまりできなかったが、時間があれば中を探検してみたいとユルは思っていたのだ。

 何もできることがない上、雨漏りが酷く環境が悪い此処より、広くて雨漏りもない洞窟の方が過ごし易いはず。シヲンもその提案に異論はなかった。


 数日は此処に戻らないと考えた二人は、必要なものを粗方魔法鞄マジックバックに詰め込み、手荷物をまとめて廃屋を後にした。




 ユルたちが村に入った道の、ちょうど反対側に位置するこの山。鍛錬以外でも、採取や狩りなどで頻繁に活用していたこともあり、視界の悪い土砂降りの中でも、難なく目的地に辿り着くことができた。


「はぁー、濡れましたね・・・」

「ん。ビショビショ。」


 この異世界の、それも廃村に傘やレインコートなどあるはずもなく、二人は大きめのローブを被って全力疾走でここまできたが、・・・この豪雨の前では布一枚などあって無いようなもの。案の定、洞窟に着いた頃には、二人ともずぶ濡れになってしまっていた。


 シヲンは魔法で手早く焚火をつくると、ユルはその傍で衣服を干した。乾くのに時間は掛かるが、外に出ることもないので問題はない。


 落ち着いた拠点を確保し、やっとゆっくりできるようになったユルは、焚火に当たりながら、ボーっと外を眺めていた。


「ユル。授業の続き、する?」

「うーん。それもいいですけど、やっぱり探索したいですかね」


 ユルの目線は、やはり洞窟の奥の方を向いていた。

 シヲンもその返答がくると分かっていたのだろう。すでに魔法鞄マジックバックからあれこれ物を取り出し、探索の準備を始めていた。


「でもユル。洞窟入るのはいいけど、気を付けて」


 シヲンのその注意に、ほんの少しだけ違和感を覚える。

 いつものシヲンなら『気を付けて』なんて注意はしない。自身や俺の実力をしっかりと把握し、基本的に安全だと見込んでいるからだ。

 もちろん自分たちの強さを過信している訳じゃない。俺の余計な緊張や警戒を解いてくれているのだ。


「・・・でも、今日は警戒した方がいい。」

「何か・・あるんですか?」


 そう聞くと、シヲンは少し考える素振りを見せ、再びユルの方を向き腕を上げた。『説明するより見せた方が早い』という事だろうか。

 手のひらから、淡い白色のもやもやとしたものが薄らと現れ始めた。


「これは大気の魔力『魔素』。私の魔力で色を付けて、見えるようにしてる。」

「うわぁ、・・・なんか凄いですね・・これ。」


 数倍速の小さい雲が、ホログラムのように立体的に写し出されている。月光に照らされたかのように仄かに光るそれは、何とも幻想的で美しく、そして激しい。


「・・・僕もできるように、なりますか?」

「ん、ユルには簡単。教えればすぐ―・・・・じゃなくて。」


 ブンブンと頭を振って話題を戻そうとする。あのシヲンが、ノリツッコミをするとは・・・・


「ゴホン・・。普通魔素は、漂うだけで流れはもたない。」

「でもこれ、凄い勢いで流れてますけど・・・。」

「ここの魔素、おかしい。グチャグチャに流れてる。」

「・・・それって、何が不味いんですか?」

「・・例えば、気配が探れなくなる。」


 ・・・・―確かに、シヲンが警戒を促すのも納得だ。

 ここから先の暗闇では視界が狭まる分、いつも以上に気配察知が重要になってくる。

 それが使用不可能になっているとは・・・・想像以上に深刻だな。


「でも、ユルも私も夜目は効く。それに第六感カンも鋭いから、油断さえしなければ死ぬことはない」

「それなら・・・いいんですけど・・・。」


 盛大なフラグ臭が漂うが・・・。

 --そんなフラグを折るためにも、油断は禁物だ。もちろん油断なんてするつもりもないが。



「私もここで、やりたいことがある。・・・・行こう。」



 シヲンもシヲンで乗り気だったらしい。迷惑かなんて、考えるだけ無駄だったようだ。

 『やりたいこと』・・・も、内容を伝えないってことは、俺に手伝えることではないのだろう。


「・・・・はい!」


 そうしてユルは、先に歩くシヲンを追いかけるようにして、闇へと歩みを進めるのだった。


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