氷の魔女と春を告げる者

深見アキ

氷の魔女と春を告げる者


 Winter kept us warm, covering

 Earth in forgetful snow, feeding


 むかしむかしあるところに、氷の魔女と呼ばれる少女がいました。



 *


 氷の城の中には少女がただひとり。

 千年の時を生きるネージュの毎日は同じ繰り返しで出来ていた。


 朝起きて日向で微睡み、昼は編み物や読書に勤しみ、夜は灯した明かりの下でお茶を楽しむ。

 何百回、何千回と繰り返される日々に終わりはなく、永遠の冬に覆われた領地で緩慢な時を紡ぐ。




 ――その日は、いつもとほんの少しだけ違った。


 朝のうたた寝が出来ず、編んでいたセーターの編み目もひとつ間違えた。おまけに、入れたお茶はぬるくて顔をしかめる。


 こんな日もあるかとお茶を呷ったネージュの耳にガタガタバタン、と耳障りな音が響く。城の玄関を誰かがこじ開けた音らしい。


 以前あの扉を開けたのは二百年前だったか。


 王都から派遣されてきたという兵士の一団が、ネージュに槍を突き付け、

「大地を凍らす魔女め、成敗する」

 と襲い掛かってきたのだ。


 ネージュ目掛けて襲ってきた彼らを、魔法で城の入り口に飛ばしてやると、玄関からは扉に激突する金属音が聞こえてきたっけ。思い出してくすくす笑う。


 ここはネージュの領地だし、住んでいるのも彼女ひとり。大方、領地拡大のために兵を寄越したに違いない。

 何度兵たちが襲ってこようとも、ネージュは入り口に引き戻してやった。時には落とし穴に落としたり、時には扉を開けたら迷路が出現するようにしてやると、やがて誰も来なくなった。


(二百年ぶりに苛めてやろうかな)


 兵士の一団を想像して待っていたが、どうやらそうではないらしい。廊下から「おーい!おーい!」と聞こえる声は一人の男の者だ。


 誰かいませんかー! と声を上げて開けた先は、ネージュのいる部屋だったらしい。若い男は、ネージュの姿を認めると、ぱちくりと大きな目をしばたたいた。


「やあやあ、どうも、こんにちは! よかった、人がいた」


 赤毛の男は大股で歩いてくると、ネージュの前に手を差し出した。


「すみません、勝手に入って。でも、誰もいないのかと思いましたよ、返事がないから。いやー、寒くて野垂れ死ぬかと思いました」

「……遭難者か」


 差し出された手を無視して呟く。この男は、ネージュが氷の魔女だと知らずにこの領地に迷いこんで来たらしい。


「遭難したわけじゃないんだけどなぁ」

「帰れ。帰り道は私が示してやる」

「そんな冷たいことを言わずに。きっと、俺はお嬢さんに会うためにここに辿り着いたんですよ」


 そう言って男は勝手にネージュの手をとって握手をした。帰れ、と再び冷たく言い放つと、男は子供のように口を曲げた。


「外は吹雪なのに、こんな夜に放り出すのかい? それはちょっとあんまりじゃないかなぁ」

「……そうだな。では一晩だけ置いてやろう」

「ええっ、いいのかい!? ありがとうお嬢さん」


 そう言って男は喜んで荷を下ろした。

 その明るい表情は、尻尾をぶんぶんと振って喜ぶ大型犬を想像させる。

 男は、ネージュがいたこの部屋に居座る気らしく、大きな荷物から寝袋や鍋などを出した。


「……旅人なのか?」

「そう。北から南、東から西へと当てもなく、ね。お嬢さん、ここで火を使っても構わないかい?」

「……構わないけど」


 何をする気かと思えば、鞄から干し肉の塊を取り出した。その肉をナイフで削ぎとっていく。

 外の雪を鍋の中に詰め込んできたらしく、男が鍋を火にかけるとゆっくりと溶けた雪が水となり、ぽこぽこと泡を出す。そこに削いだ肉を落とした。


「……何をしているんだ?」

「肉が硬いからスープにして食べるんだ。良かったらお嬢さん、君も一緒にどうだい?」

「いらない。まずそう」


 ひどい!と男が声をあげる。なんだかこの旅人がひどく憐れに思えて、ネージュは食糧を提供してやることにした。

 城の食糧庫には野菜も肉もチーズもぎっしり詰め込まれている。そのほとんどはカチコチに凍っているため、かなり古いものでも腐ってはいない。氷漬けのキャベツやらベーコンやらを渡してやると、男は困惑していた。


「……火を通せば食べられるだろう?」

「そうだけど……。いいのかい? 君の食糧だろう?」


 キャベツとネージュの顔を見比べて遠慮がちに問う。ネージュはゆるく首を振った。


「私は食べなくても生きられる。だから心配するな」


 昔は料理もしてみたが、食べなくとも死にはしないので面倒になった。そう言うと、何故か男は目を開き、ネージュに詰め寄った。


「それはつまらない! 食べる喜びを知らないなんて損していますよ、お嬢さん!」


 私がご馳走してあげましょう、と胸を叩くと、手を引いて先ほどの部屋へ連れていかれる。

 男は凍ったキャベツの葉を剥がして刻むと、干し肉の入ったスープに入れた。ネージュが渡したベーコンとチーズを火で炙ると、黒パンの上にのせる。


 木の器によそったスープとパンを渡され、さあどうぞと男は満面の笑みを浮かべた。その笑顔に押され、なんとなく断りづらくて口に運ぶ。


「どうだい?」

「ふつう。あと、このパン、硬い」


 特に凝った料理でもなく、可もなく不可もなくという味である。焼いたベーコンとチーズは美味しいが黒パンはパサついているし、スープは干し肉でダシのようなものは出ているものの、肉自体は硬い。


 それでも匙を口に運ぶネージュに、男は満足そうににんまり笑った。


「うん、やっぱり人と食べる飯は旨いな。なあ、お嬢さん」

「お嬢さんじゃない。私はおまえより年上だ」


 ネージュの外見は十六、七の少女だが、この男よりも遥かに長い時を生きているのだ。そう言うと男はきょとんとした顔をして、「じゃあ名前は?」と尋ねてくる。


「……ネージュ」

ネージュか。あはは、ぴったりだな! 俺はヴェスナー」


 よろしく!と笑う男に、ネージュは「明日には出てくんだろ」と言い放つ。よろしくもへったくれもない。


(……変な男)


 ネージュが魔女だと知っても、まるで普通の少女に接するように話しかけてくる。

 頭のネジが飛んだアホなのか、それとも何も考えていないのか。


 スープを飲み干して「ごちそうさま」と立ち上がったネージュに、ヴェスナーは「明日の朝飯はぜったいに旨いって言わせるからな!」と宣言した。

 どうやら、明日の朝もこの男と食事を共にしないといけないらしい。


「勝手にすれば」と言い置いて、ネージュは寝室へと引き上げた。



 *



 翌朝。

 ざっくざっくと聞こえる音に目を覚ます。

 どうやら外から聞こえる音らしいと、ネージュが窓辺に近寄ると、


「おはよう、ネージュ!」


 高い窓から覗きこんだネージュに、ヴェスナーがスコップ片手に声を上げる。


「……何してるんだ?」

「えー? なんだって、聞こえないぞ!」

「……。何・して・るん・だ!」


 区切るように大声を出してしまって口を押さえる。こんなに大声を出したのなんて何百年ぶりだろう。


「雪かき! ちょっと待ってな! すぐに朝飯あっためるからな!」


 別に朝食の催促をしたわけではないのに、ヴェスナーは雪をどけて作った道を歩いて城の中へと戻ってきた。そうされるとネージュも行かざるを得ない。


 昨日の部屋に行くと、ベーコンと野菜をたっぷり使ったポトフが鍋いっぱいに作ってあった。

 さあどうぞ、と注がれて、ネージュはまたしてもこの男の料理を口にすることになる。


 ヴェスナーはわかりやすかった。

 どうだいどうだい、美味しいだろう、さあ感想はとその目がキラキラとネージュに注がれる。


「……昨日よりマシ」

「えーっ! なんだよー、旨いって言ってくれよー!」


 ヴェスナーが地団駄を踏んで悔しがる。


「ねえ。なんで雪かきなんかしてたんだ?」

「ネージュ、知らないのか? 雪がたくさん降ると歩くところがなくなっちゃうんだ。つまり、雪をどけないと俺は帰れない」


 真顔できっぱり言われて、ネージュは片眉を上げる。


「つまり、ここに居座る気か?」


 ネージュは雪かきなどしたことがない。この何百年ずっと降り続ける雪をどけるなど、今日明日で終わる話ではないのだ。


「仕方ないだろう。帰り道がないんだ。雪のなかずっと歩き続けるなんて足がもたないよ」

「それなら一体どうやってここに辿り着いたんだ」

「不思議だよなぁ。神の思し召し? 俺ってラッキーだったんだな」


 そう言ってヴェスナーが笑う。変な居候が出来てしまった。しかし、ネージュは諦めに似た感情で既にヴェスナーを受け入れつつあった。


 長い時を生きるネージュにとって、この男が居ようが居まいが些末なことに過ぎない。いざとなればつまみ出せばいいか、とため息をついた。



 *



「ネージュ、いつも何を編んでるんだ?」


 ヴェスナーが住みはじめて一週間ほどたった頃、そう尋ねられた。視線の先は毛糸と編み棒がしまってある籠だ。


「別に……。やることないから遊んでるだけ。マフラーとか膝掛けとか靴下とか」


 作っても特に使う予定はない。編むだけ編んで空き部屋に放置してあるくらいだ。

 そういうとヴェスナーは「俺に作ってよ!」と声をあげた。


「俺、セーター欲しいんだよな。ネージュ、作れる?」

「作れるけど」

「じゃあ作ってくれよ! そうだなー、若草色の奴がいいな!」


 そう言うヴェスナーの服はいつも黒や茶色などの地味な色ばかりだ。旅をするのに汚れが目立たないようにするため、らしい。

 それを知っているので、若草色とは変なリクエストだなと思った。


「なんで若草色?」

「ほら、俺、地味な服ばっかりだから。ここぞと言うときに着るんだ!」

「……ここを出ていくときとか?」

「うわ、ひでえ!」


 ネージュは相変わらず冷たいなぁとわざとらしく嘆かれる。


「まあ作ってもいいけど」


 そう言うとヴェスナーは大げさに喜んだ。

 どうせならこの男を驚かせたいと凝った模様も入れてやろう。

 一週間もあれば出来るから、と言ってネージュは編み棒を手にとった。



 *



「えーっと、ネージュ。これは一体……」

「マフラーだ」

「だよな。うん、俺の目はおかしくないよな」


 一週間後。朝食の後にヴェスナーに押し付けたのは若草色のマフラーだ。


「まさかネージュ、失敗……」

「違う。なんか納得がいかなかったから今編み直してるんだ」


 誤解されては困る。ネージュの編み物の腕は玄人並だ。


 セーターは考えていた通りの模様を入れたものの、寒いからもっと目をしっかり詰めて編んだほうがいいんじゃないかとか、それなら糸の太さを変えようかとか、考えているうちにやり直しになってしまった。誰かのために作るのははじめてだから仕方がない。


 マフラーは外で雪かきをするヴェスナーの首元が寒そうなので作ったおまけだ。


 そういうとヴェスナーはマフラーをぐるぐる首に巻いた。


「おお、あったかい! さすがネージュ。セーターも期待してるぞ」

「……当たり前だ。あと3日あればセーターも出来るぞ」

「……3日かー」


 ヴェスナーが遠い目をしたのを、ネージュは見逃さなかった。


「なんだ、もう発つのか?」

「ん? いや、ネージュのセーター貰ってからにするよ」

「そうか。それなら急いで作ろう」


 発つつもりならもう少し早く言ってくれれば良かったのに。そんなことを思って、ネージュはハッとする。


(馬鹿だな。別に、いつ出ていこうがあいつの勝手じゃないか)


 ほんの一時、居候しているだけの相手だ。

 それでも、3日と宣言したからにはきちんと間に合わせるべく、黙々とセーターを編む。


 昼の時間だけでは足りず、夜も使った。

 若草色に、濃い茶色と、差し色に黄色と紫色。

 冷たい風を通さぬように目はしっかりと、でも着心地はゆったりと。


 なんだか直接渡すのが気恥ずかしくなって、約束の3日目を迎える前夜に、そっとヴェスナーの使っている部屋の前に置いておいた。


 毎日せっせと編んでいたせいで少々肩が凝っている。それでも、妙な達成感があって笑みをこぼす。明日の朝、セーターに気付いたヴェスナーが大げさに喜ぶ姿が想像できた。


 その日、ネージュはぐっすりと眠った。



 *



 翌朝、ネージュが目を開けるともうすっかり日は高く昇っていた。

 いつもならヴェスナーが朝食を一緒に食べようと声をかけにくるのに、もしかしてもう発ってしまったのだろうか。


 ヴェスナーの部屋の前に行くと、昨夜ネージュが置いたセーターの包みがなくなっている。


「ヴェスナー?」


 ノックをしても返事がないので中に入る。


 彼はベッドで眠っていた。若草色のセーターを着て、若草色のマフラーを巻いたまま。

 その時ネージュは、はじめて彼に残された時間が僅かだということに気がついた。


「お前……、死ぬのか?」


 いや、もしかして既に……。

 頬にさわるとひんやりと冷たい。なぜ、気付かなかったんだろう。こんなに雪の深い凍えた大地に、人間が一人でふらりと来られる訳がない。

 尽きかけた魂が死に場所を求めるように、この地へ足を踏み入れてしまったのだ。


 ネージュの手のぬくもりに気付いたヴェスナーは、ゆっくりと瞼を押し上げた。


「あ、ネージュ。悪いなぁ、今日の朝飯、作ってないんだ」

「別にいい」

「このセーター、ありがとな。ぴったりだし、模様もすごく凝ってるなぁ」

「……私の、自信作だ。だってそのセーター、おまえの一張羅にするつもりなんだろう?」


 そう言うとヴェスナーはふわりと笑った。


「そう。ほら、ここぞと言うときに着るんだ。今日みたいな、旅立ちの日に」


 そうだな、とネージュは頷く。眠そうなヴェスナーの枕元に背を向けるように腰かけた。


「……何か、してほしいことはあるか?」


 ネージュの問いに、ヴェスナーは「あはは」と笑い声を上げた。ネージュがそんなこと言うなんて、と吐息のように言葉を漏らす。自分でも、らしくないことを口にしているという自覚はあった。


「そうだなぁ。ネージュ、俺の墓標でも作ってくれる?」

「……いいぞ。どこに?」


 ふつうは思い出の場所や故郷だろう。場所を問うと、ヴェスナーはきっぱりと告げた。


「ライラックの花が咲いているところがいい」

「……それってどこだ?」

「どこだろう。探して、ネージュが」

「……ええ? 面倒だな。まあ、いいけど……。でもなんでライラックなんだ?」


 振り向いて問いかけると、ヴェスナーからはもう返事は帰ってこなかった。若草色に包まれて、彼は穏やかな顔のまま旅立っていった。



 *



 ――さて、私はヴェスナーとの約束を果たすべく、数百年ぶりに領地を出ることになった。


 領地の外への道はヴェスナーがせっせと雪かきをして作ってくれていた。

 わたしは手製のセーターと手袋とマントを巻いて黙々と歩く。

 魔法で飛んでいくことも出来たが、今は、亡き彼を偲んでこの道を歩くのが正しいような気がしたのだ。


 そこでわたしが目にしたのは、想像もしなかった光景だ。


 領土の外は荒れ果てていて、花どころか草木の一本も生えていない。

 乾いた大地に、転がる髑髏。

 わたしがあの城に閉じ込もっている間に、世界は大きく変わってしまっていた。


「……ライラックの花なんて、絶対にないだろう」


 ヴェスナーの頼みはなかなかに無理難題だった。あちこち探し回っても、ライラックどころの話ではないのだ。ひび割れた荒地は水を求めて、深く深く傷ついている。


 わたしはライラックの花を探すのを諦めることにした。


 ないのなら作ればいい。ちょうど編み物に飽きてきたところだし、園芸に手をだすのもありだ。


 凍った領地を溶かすと、もうずっと顔を出していなかった地面が顔を出す。溶けた雪は大地に染み込み、やがて川を作るだろう。

 ライラックの種を蒔き、ついでに他の花の種も蒔く。


 花が咲くのを待っている間、わたしはヴェスナーを真似て食事を作ったり、溶けきらなかった雪をどけたりした。

 食事しなくても死にはしないが、なんとなく食べることは習慣になった。わたしのほうがヴェスナーよりも料理はうまいはずなのに、不思議と彼と一緒に食べた食事のほうが美味しかった。


 そうして千年のうちのごくわずかな時間の中で、凍った大地は若葉が萌える土地へと生まれ変わった。どこからやってきたのか、動物や虫たちが勝手に領地に住み着くようにもなった。これでやっと、ヴェスナーの頼みを果たすことが出来る。


「どうだ、これでいいだろう」


 若草色の絨毯に、ところどころ大地の茶色が見える。そして、咲いているのはライラックの紫。ヴェスナーに贈ったセーターと同じ、春を告げる色彩だ。

 凍える大地に、ヴェスナーが訪れた。


「わたしは約束を守ったぞ、ヴェスナー」


 ヴェスナーここに眠る、と建てた墓標はネージュの魔法で作った氷だ。やがて溶けてなくなるだろうがそれでいい。今も、日の光で溶けたら端っこが、ぽたりぽたりと涙のように花弁を濡らす。


「――でも、どうしてライラックの花だったんだ?」


 問いかけた先の墓標に、光に反射したネージュの顔がうつる。

 その瞳の中に、濡れたライラックが揺れていた。



 ***



 四月は最も残酷な月

 ライラックの花を凍土の中から目覚めさせ、

 記憶と欲望をないまぜにし

 春の雨で生気のない根をふるい立たせる。


 T.S.エリオット『荒地』より

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氷の魔女と春を告げる者 深見アキ @fukami_a

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