一流で生まれ底辺に落ちた。だからなんだ!(短編)
楠 冬野
第1話
振動を伴う金属音が一定のリズムを刻む。
機械油と鉄の臭いが動力の排気によって辺りに拡散していた。
フォークリフトで運ばれた杉の端材は工作機械の中に投入されるとそこで、ほのかな木の香を立たせながら等分に裁断されていった。
形成された小さな板がオートマチックで次々と裁断機へと投入されていく。
最終形状になり乾燥をし終えた木製品は、研磨を受け高級割り箸となった。
それは使い捨て食器の私がこの世に誕生した瞬間だった。
樹齢百年を超える立派な大木から私は生まれた。
私の生みの親はその価値を世界に認められたブランド木でもあった。
主要な部分は高級木材としてこれから長い年月を更に生きていくのだろう。
端材から生まれたのならば、彼等ほどの寿命は期待するべき事では無い。
生まれ落ちた時から与えられた役割が違う以上、それは比べても仕方のない事である。しかしながら、私もブランド木から生まれた一流木製品であるからして、立派に役に立ってそして静かにその生を全うしたいと思っている。
――だが、この世は甘くなかった。
考えてもみない出来事が身に降りかかる。
私は知った。それは特別なことでは無かった。
そんな不遇は、誰彼と区別なしに誰の身の上にも起きてしまう。
……と、その様な事を近ごろ考えるようになった。
それにしても何故このような場所にいて、このような事を考えるようになってしまったのだろうか。
私は使い捨ての道具である。普通に消費され役目を終えるのが定めだ。
その一生は短く、己の存在意義を問う必要など無いはずではなかったか。
それなのに。
まさか、生を顧みる時間を持つようになるとは考えもしなかった。
――始まりは今から遡ること二年前のことであった。
高級料亭の会食の席で出番を心待ちにしていた私は、自分が最高に輝く時間を想像してその時を待っていた。
「坊主、そんなに力をいれずともよい。何事も自然に、ありのままで良いんじゃよ。使うのは人間だ、わしらがどうこうしたものでもないでの」
どこからか声がした。
「あのう、誰です? どこからお話しされておられるのでしょう?」
「ああ、儂か、ふふ、儂はお前さんの真下の座卓じゃよ」
「し、失礼しました!」
声の主は配膳時に見た如何にも高級な座卓様だった。恐らくは相当の樹齢の木から切り出された一品ものであろう。丁寧に漆が施され黒光りをしていた。
ただそこにあるだけで風格と威厳を漂わせていた。
私は恐縮してしまった。
「そう固くならずともよい」
「は、はぁ……」
「ほれ声がするぞ、客が来たようじゃ、いよいよ活躍の時じゃな。しっかり勤めよ、はっはっはっは」
「は、はい!」
客が到着した。だが、私の予想外にこの部屋を訪れたのは小さな子供を連れた家族だった。
「――なんだ、想像していたのと違う!」
考えても仕方の無いことだと諭されたばかりではあるが、その時の困惑は今でもトラウマとなって私を苦しめていた。
私を苦しめる苦い記憶。割り箸の運命はそこに現れた『
『あら、敬ちゃんにはまだお箸は無理ね、フォークでも頂こうかしら』
白髪の女が言った。
「な、なんだと! ババア!」
思わず取り乱してしまった。
『でも、お義母さま、せっかく出して下さっているのに……』
「――そうだ! 女、よく言った! このままおめおめと引き下がれるものか、万が一箸袋が汚れでもしてみろ、私は犬死だ」
必死に高級割り箸としての存在感をアピールした。
『そうね……じゃ、こうしましょう』
白髪の女が俺を持ち上げた。
「おい! なにをする? 私はもう敬ちゃん専用だぞ!」
白髪の女が私を手に取りそっとバッグに収めた。
こうして、私の初陣はあっけなく終わる。
私は持ち帰られ、その家の食器棚に収められた。
高級料亭で生涯を全うするはずだった。それが何故このような不遇に合わねばならぬのか。
私は怒った。理不尽をどこかにぶつけようとした。
だが、如何せん私には主体がない。
私が持ち得ていたのはただ一つ、吉野で育った高級木材という矜持だけであった。
拉致の後、しばらくは活躍も無く風化との戦いをした。
幸いにしてこの家の家具は一流であったので、湿気やカビはさほど気にすることもなかった。
それに私にも抗菌作用という武器がある。私はちょっとやそっとで草臥れるような素材ではない。他の者と違って時間があったのだ。だから私は万難を排して活躍の場を待つことにした。――だが、それから間もなく、またしても運命が狂いだす。
食器棚の片隅で仲間と共に出番を待っていたのだが、ちょっとした神様の悪戯心によりその生涯の方向を変えることとなった。私の生きる道を変えたのはまたしても「敬ちゃん」だった。
『敬ちゃん、早くしなさい』
玄関の辺りだろうか、この家の母親が子供を急かす。
『待って、ママ、すぐ行くから』
敬ちゃんは声を弾ませて答えた。
時は夕暮れ。
本日は夕飯の準備がなされていなかったこと、これからこの一家が外出することに加え子供のテンションが上がっていること。そこから推理して、今夜は外食だな睨んだ。ならば、今回も出番は無さそうだと高をくくっていた。
フン! と上を向く。出番がなくて残念がっているわけではない。
そもそも、この家では、家族にそれぞれ専用の塗り箸があるので、割り箸の出番などそうそうやってはこない。
仮に私達が必要とされる場合でも数十本のストックの中から適当に選ばれるので自分の番がいつ来るのかなんて考えても仕方ないことなのだ。
当然ながら、こちら側からいくら声高に叫んでもそんなものは使い手に伝わりようもない。だから、そのような事に一々関心など持たないものである。
これも勿論のことであるが、私達の間で先を争う声を発する者などいなかった。
――そういえば。
争わないにしても他の誰かと会話をするものいなどいなかったな……。
この時、私は考えた。
いや待て、そういえば、隣の者との会話などこれまで考えてもみなかった。
どうなのだろうか。ここで話など出来るのだろうか?
「あ、あ、あー」
思い切って声を出してみた。会話など、あの料亭で座卓殿と話して以来だった。
「…………」
反応はない。自分の声はしっかりと出たのだが反応がない。
どこかぎこちないせいか。ブランクせいだろうか。
思い出す。あの時は今よりももっと自然に話していたような気がするのだが。
しばし時の経過を思う。
こうして消耗品となってからどれくらいになるのだろうか。
既に一年近くは過ぎているように思うのだが……。
そこでふと気が付いた。自分の生涯とは一体何なのか。
自分存在意義とは一体何なのか。
溜め息が出る。
過ぎ去った時間の経過を思うと無為に過ごしていた時間が虚しかった。
それに……。
振り返って愕然とした。
自身の中にあったはずの気概が失われていた。高揚感も使命感もすっかりと消え失せていた。もはや矜持すらも持ち得ていない。
「くそ! あの頃の私はどこにいった」
胸の奥から悔しさが込み上げてくる。でも、私は木製であり流す涙も出ない。
「あ、あの……誰か、お、お話し、しませんか」
「…………」
やっぱり返事はなかった。
「だ、誰もお話し出来ないのですか?」
「…………」
この沈黙はおかしい。
他の者は話す事に興味などないのだろうか、それとも皆で私を無視しているのだろうか……。これは単純に私達の仕様なのだろうか。それとも私だけの能力なのだろうか。
話さないのか、話せないのか、そもそも話すことが必要ではないということなのか。何だか嫌な気分になった。
そのようなことを考えていると、敬ちゃんが、不意に食器棚を開けた。
敬ちゃんの手がこちらに向かってくる。
「――なんだ? 今夜は外食ではなかったのか?」
理由は分からないが、確かに敬ちゃんの視線はこちらを向いているようだ。
ガサガサと隣と擦れあい視線が揺れると、体がふわりと宙に浮き前後左右の圧迫感から解放される。
見上げる。室内灯の白い光が眩しかった。
私を引き抜いた敬ちゃんは、徐にズボンの後ろポケットに無造作に突っ込んだ。
苦しい……身動きが取れない……
思ったが、自分で身体を動かすことなど出来やしない。
その後、何度も上下に大きな揺れを感じた。敬ちゃんが駆けているのだろう。
物である私にこの動きの想定はない。それでも、人間のような目というものは持ち合わせていないが、これが目が回るという感覚なのだろうとそんなことを考えていると、今度は強い衝撃とともに私はシートに押し付けられた。
敬ちゃんがシートの上でお尻をぴょんぴょんと弾ませると、さらに体が揺れる。
揺れる度に身に押し付けられる重さにつぶされそうになった。
ミシミシと体が悲鳴を上げた。
「や、やめて! お願いだから大人しくして! 折れちゃう! 敬ちゃん!」
とうとう声を出して叫んだ。
しかし、声など人間に伝わるはずもない。当たり前だが。
これがいつまで続くのか、気が遠くなりそうになりながら必死で耐える事しかできなかった。意識が何度も飛びそうになる。
こんなところで、
こんなことろで、
本来の役割も全うせずに一生を終えるとは思ってはいなかった。
無念。
成す術などない。局面を打開するような自力など持ち得ない。
ならば、ありのままに受け入れるしかない。彼ら人間にとって私はただの無機的な道具でしかないのだから仕方がない。
人間が私を使う時、そこに私たちの意思は何ら反映されない。
私達の誰かが、彼等に向かって叫んでみても、祈ってみても、思いは彼らに届くことは決してない。
彼らはただ、目についた者を無造作手に取るだけであるのだ。
そこには選択の基準もない。
私達の中に優劣を認めるわけでもなく、思いを馳せることもない。
私達に一律の価値を見て使うだけであった。
使用中も、私たちに意識を持つことはほとんどなく、使用後にももちろん何の感慨も持ってはくれない。自分の身に起こる事の良し悪しにつては、私達が勝手に幸不幸を感じているだけで、人間達が私たちを使う時、そこに私たちの意思や思惑など存在しない。これは別次元の話なのだ。
身に圧力を受けながら、私は割り箸の生涯を思った。
そうして、道具としての使命を果たす事を諦め絶望の中で気を失った。
――しかし、私は運良く折れなかった。
現在は、このような場所にいてただの使い捨て食器として佇んでいる。
私は、料亭の艶やかな箸袋も失って剥き身の箸と成り果てていた。
ここには高級感のかけらもなかった。
夜には黒い油虫がうろつく最悪の環境だった。
幸いだったのは他の者と幾分か違う香りを発することが出来た。ということだろうか……。
いやいや、しかし、そんなものがいつまで通用するのか知れたものではない。
ここはラーメン屋という戦場だったのだから。
まったくもって数奇な運命である。と自身を嗤うことしか出来なかった。
私は生と死、存在意義というものを考えるようになっていた。
ここは、書き入れ時に次々と仲間が消えていく戦場。
消耗の激しい戦場。それでも私は生き残る。
私は他の箸たちよりも背が高く厚みもある。それが災いしてか人間は私を手に取ろうとはしなかった。
どうやら私は高級木材の微香を発していただけではなく人間に対して違和感なるものも与えている様だった。何か違う。そういう感覚だけで敬遠されるようになっていた。
そうこうしているうちに、私はこのラーメン屋で更に1年を過ごした。
――敬ちゃんは大きくなっただろうか……。
思えば酷な子どもだった。しかし恨むつもりもない。
いや、ちょっと恨んでいるか。
そもそも……何故に外食するのに割り箸を持ち出すのだ……。
そんなことは、私にだっておかしなことだと分かるぞ。
あり得んだろう。あり得んだろう!
「あり得んだろうーーーー!」
「ちょっと、あんたうるさいよ!」
声がした。
「……お、おおおお! 誰ぞ話せるものがおったのか!」
「まったく、騒がしいんだよ! おっさん! 夜中もブツブツ寝言吐きやがるしさ」
「お、おっさんとはなんだ! まだ生まれて二年しか経ってないわ!」
「あたいらの中で二年も使われなきゃ年寄りじゃねぇか。それに随分色も変わってんだろ? 気付いてっか?」
愕然とした。自分では変わっていないつもりだったが、やはり経年劣化は始まっていたのか……。
「何ショック受けんてんだよ。笑えるー、仕方ねえじゃん、あたいらは天然素材そのものなんだからさ」
「お、おう、そうだな、確かにそのとおりだ」
「ふん」
この若い娘の話す言葉は少々きつかったが、妙に悟った物言いが気に入った。
それに誰かと話が出来たのはやはり嬉しい。
「お前、どこの生まれだ?」
興味本位に聞いてみた。
「あん? 知らねぇ。そういうの興味ないし」
「お、おお、そうか……」
「おっさんは、そんなんあんの?」
「わ、私か、私はかの有名な吉野の山中にて生まれた。吉野の銘木が素材だ」
「ふーん、でもおっさんもここにいるなら、あたい達とそんなに値打ちが変わるのかねー」
「そ、それは……」
「それに、おっさん、今までずっと使われずにいた残り物だろ? それってどうよ? 残念な感じ?」
鋭い物言いが心に切り込む。何だか少しだけ癪に障った。
「う、うるさいぞ娘! これでも私は高級料亭に並んだこともあるのだ!」
「ふーん……」
それきり会話は止んでしまった。
私は会話の後に考えた。
これでもう何度目だか分からないが、それでも自分の使命と存在意義とは何だと深く深く考えた。
どうしてこうなった。なんで自分だけがこんな羽目にあうのだろう……。
しかし結論など出ない。元々からして自分は使い捨て食器であり、自分自身では何一つ道を決められない存在である。
「私は、高級素材の使い捨て食器だ。……しかし」
気が付いた。今まで、ずっとこうあらねばならないとか、そうあってはいけないとか考えてきた。
それは出自故であったのが、そこに何の意味があったのだろうと思い始めると、先程の娘の話にも合点がいった。
『ふーん、でもおっさんも、ここにいるなら、あたい達とそんなに値打ちが変わるのかねー』
娘の言葉が身に染みる。
確かに、この娘の言う通りだと思った。自分は所詮は割り箸なのだ。
ならば割られて人に使われてこそが割り箸の生というものではないか。
出自や居場所などは関係ない。使命を全うしてこその人生ではないのか。
――おっと、これは滑稽な。人でない私が人生などと言う言葉を。
「娘よ、ありがとう……」
「なんだい急に」
「い、いや、いいんだ……」
「変なおっさんだな」
言って娘が笑った。そして私も久しぶりに笑う。
それ以後、この娘とは色々な事を話をした。夢のような毎日であった。
時に客の手が伸びてヒヤヒヤしたり……。
いやヒヤヒヤというのは只の遊びだな。
割り箸の生涯がどんなものかもう分かっているし、そのことはもう受け入れている。淡々と順番を待つのが本来の在り様である。
だからといって、この娘との愉快な日々を失うことには一抹の寂しさを覚えているのだが。
日々を精一杯に生きる。――運命の悪戯は、またしても唐突にやってきた。
「お、あたいの順番、来たー!」
元気に娘が言った。
「よかったな娘」
孤独という一字が頭をよぎった。娘と話した愉快な毎日を思い返した。
――行かないでくれ! 私を独りに、独りにしないでくれ!
心の中で絶叫する。強い感情が溢れてくる。
堪らず叫びが声になろうとしたときだった。頭の上から声が降りる。
「おっさん……あたい実は少し怖かったんだ。だからちょっとおっさんに八つ当たりしたところがあったんだ。ごめんよ、優しいおっさん。そして、ありがとう――」
パチンと音がして娘が裂けた。
こうして私は、また沈黙の日々に帰った。
しかし以前とは違う。全てを受け入れていた。
自分の生涯を振りかえる事もしなかい。
粛々とその生を全うするだけである。
例え未使用のまま廃棄されたとしても、それで良い。それが我が人生ならばその全てを受け入れよう。――人ではないが……。
私は、黙して視覚を閉じ待つ日々を続けた。
時が過ぎる。日々好日と過ごしていたある日、唐突に私の体が宙に浮いた。
「……なんだ、まさか私の出番なのか? 私を? 私を使ってくれるというのか?」
不意なことで動揺してしまった。 次の瞬間、しばらくぶりにその声を聞いた。
「あ! 敬ちゃん!」
私の目の前に(目は無いが)現れたのは運命の人だった。
『あーあ、まだあったんだ、僕のお箸』
その声の後、ついに私は割れた。
――パチン!
どうやら見事に割れた様だ。
私は二年前のあの日出会った敬ちゃんに使われた。
これで私の生涯の幕は閉じた……と思われた。
敬ちゃんの口にラーメンを運んだ後の記憶は全くない。
その使用後に、自分がどう破棄されたのかは覚えていない。
しかし運命は悪戯をした。私は生まれ変わった。
そこには……。
「やあ、おっさん」
慣れ親しんだ声がする。
「やあ、また会えたね」
「なんだよこんな所に来てまで。ったく、またおっさんと一緒かよ。ヤダねぇ」
娘は笑っていた。明るいその口調は以前のままだった。
「生意気な! 相変わらずその減らず口は治っていないようだな」
口ではそう言いながら、内心では喜んでいた。
娘と私と、他の者達も一緒だが、私たちは白い紙となりまた新しい人生(人じゃないけどね)を歩み始めた。出自などは関係ない。素材など、クソくらえだ!
一流で生まれ底辺に落ちた。だからなんだ!(短編) 楠 冬野 @Toya-Kusunoki
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