一人の女冒険者の独白(中編)
以前に、ナッツから聞いたことがある。
あちらの世界でも、ヴルガーテ・ワールドと同じく、夜空に浮かぶ月は一つなのだが……。その月が真ん丸になった時には『満月』と呼んで、その姿を愛でる習慣があるそうだ。
その習慣のことを『お月見』というらしい。
確かに。
日によって少しずつ形を変えていく月が、どこから見ても上下左右対象な『真ん丸』となる時。そんな月を改めて鑑賞したら、そこに幾何学的な美しさを見出せるのかもしれない。
「まあ、お月見もお花見と同じで、鑑賞すること自体より、それにかこつけて食べたり飲んだりする方がメインかもしれないけどね」
そう言って、ナッツは苦笑していた。
ちなみに『お花見』というのは、サクラという花を対象とした、同種のイベントなのだそうだ。サクラというのは、春だけに咲く、特別に美しい花らしいが、この世界には存在していない。
なお『同種のイベント』とは言っても、両者の雰囲気は大きく異なっている。大人数でドンチャン騒ぎをするのが『お花見』、少人数で静かに楽しむのが『お月見』だと、彼は説明してくれた。
「素敵ね、それは。『お花見』には心惹かれないけど……。『お月見』は、私も経験してみたいわ」
「じゃあ、今度の満月の日に、二人で『お月見』しようか?」
そんなわけで。
今夜、私は彼の部屋を訪れたのだった。
ナッツは、私とは違う世界で生まれ育った人間だ。
この『お月見』の話だけではない。あちらの世界の話を彼から聞く機会は度々あったが、どれも私には興味深いことばかりだった。
例えば。
あちらの世界では、同じ人間同士が、国によって異なる言語を用いるのだという。
これは衝撃的な話だった。
もちろん、ここヴルガーテ・ワールドにも『国』と呼ばれる社会単位は存在する。だからといって、国ごとに違う言語で話すなんて、ありえない。そんなことをしたら不便だろうに、と思う。
それこそナッツの『ザ・トランスレイター』じゃないが、モンスターと人間は別々の言語を使っている。でもそれは、種族が異なり、生物学的に発声器官も違うから、仕方なくそうなっているだけだ。同じ人間同士が、何故、異なる言語を用いる必要があるのか……?
「うーん。そうだね。確かに、不便だね。だから僕のように、翻訳とか通訳とかを仕事にする者も出てきて……」
ナッツは、あちらの世界では、複数の言語を操る職業に従事していたのだという。
「だからナッツは、神様から『ザ・トランスレイター』なんて能力を授けられたの?」
「……まあ、無関係ではないだろうね」
彼は、そう言って苦笑していた。同時に「この言語という一点においても、神様に深く感謝している」と語ってくれた。
「だって、考えてごらん。本来ならば違う言語で話しているはずの僕と君が、今、特に意識することなく普通に会話できている。これは、神様が転生者の脳内を弄って、自動翻訳の機構を備え付けてくれたからだよ。これこそ、神の奇跡だよ」
私には、よく理解できなかったが……。
とりあえず。
ナッツが今の生活に満足していること。それだけわかれば十分だ、と思った。
「どうしたの? 急に笑い出したかと思えば、今度は、黙って僕をじっと見つめて……」
突然。
ナッツの声で、私は我に返った。
いけない、いけない。
せっかく彼と二人で飲んでいるのに、ボーッと回想していたら、もったいないではないか。
「ごめんなさい。深い意味はないわ。それより……」
あらためて私は、窓の外へ視線を向ける。
まさに『お月見』に相応しい、丸い月が夜空に浮かんでいた。
ちなみに、丸いといえば。
私たちの目の前には、丸いケーキも一つ、置かれている。
本来『お月見』には『月見団子』という丸いスイーツを用意するらしいのだが、当然そんなものはヴルガーテ・ワールドには存在しない。だから代わりに買ってきたのが、この黄色いケーキだった。
どうやら『月見団子』には「月を模したスイーツを、月にお供えする」という意味もあるそうだ。だから私たちのヴルガーテ版お月見では、しばらく月と同じ視界に入れて眺めて後、ケーキはケーキで食べてしまおう、という予定になっている。
「今まで私、月を見て『美しい』なんて考えたことなかったけど……。こうして『お月見』をしていたら、そんな気分になってきたわ」
これもナッツのおかげだ。
そう言おうとも思ったのだが、その言葉は、何故か私の口から出てこなかった。
なんだろう、この気持ち。
別にナッツと私は、恋人ってわけではないのに……。
二人で酒を飲みながら月を見ていたら、妙にロマンチックな気分になってくる。
それが、私の『そんな気分』だった。
こんな感じで、私が、私の気持ちを自覚した瞬間。
ナッツの口から、思わぬ言葉が飛び出した。
「うん。愛してるよ」
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