第3話

 放課後、明石は部活へ、花巻は物理のノートを提出していなかったことがバレ、職員室へ呼び出された。花巻の説教がいつ終わるのかわからないので、仕方なく一人で帰ることにした。まだ入学して二週間だが、いつの間にか三人で帰ることがルーティーンになっていたため、一人で帰ることに少々寂しさを感じていた。特に今日だから、そう感じてしまうのかもしれない。

 今日、学校に来てから、由之の気分は随分と晴れていた。その事実から、母といることをストレスに感じている自分を殴りたくなった。

家に帰れば母の彼氏と外食が始まる。色々と複雑な気持ちを抱えながら、昇降口まで来た時に、由之は目を疑った。

 校門前に一台の車が止まっていて、その窓から見知った女性が手を降っている。

「母さん!?」

由之は、靴を乱暴に靴箱から取り出し、踵を踏んだまま、校門へ走った。母は、由之が走ってきたことを、嬉しさの表れだと勘違いし、笑顔で向かい入れた。

「由之、おかえり」

由之は、早口に尋ねた。

「まだ四時半だよ。どうして。家で待てるんじゃなかったの」

「それがねー智樹さん今日お仕事午前で切り上げるようにしてたみたいで、せっかくなら二人で由之を迎えに行こうと思ってね。ちょっと早いけど、由之、もうお腹空いてるでしょ?さっきレストランに電話したら今からでも大丈夫だっておっしゃてたし、混み合う前に行きましょ」

 ニコニコと笑う母から目線をそらすと、運転席で春井が微笑んでいた。目が合い、由之は思わず視線を逸らした。

(あと数時間の猶予はあると思っていたのに!)

 予想もしていなかった急展開に、由之は母に従うしかなかった。

「もう、早く行きましょうよ!由之、乗って!」

 言われるがままに、車に乗り込んだ。

 


 レストランは、由之が想像していた以上の場所だった。レストランって少し小洒落た昼下がりに母親世代が行くような一軒家みたいなのを想像していたが、由之は、ホテルを見上げていた。

「でっけー……」

 まさか、こんな高級感あふれるホテルの中にあるレストランだったなんて。車を駐車場に止めに行った春井を待つ間、由之と母はホテルの前にいた。由之は驚きのあまり、母を見ると、自分より驚いていた。

「ほんと……大きいわ……」

「母さんがどうして驚いてるの?知ってたんでしょ」

 職場の人から聞いたって言ってたじゃないか。

「こんなに大きいなんて智樹さん言ってなかったもの。てっきりファミリーレストランだと思ってたわ」

(いや、それはないだろう)

 思わず突っ込んでしまうほど、母の想像していたレストランは、由之の想像よりも庶民的だった。しかし、母はおかしなことを言った。

「あれ?レストラン教えてくれたのって、職場の人って言ってなかった?」

 母はあっと手で口を隠した。

「あれね……嘘なの。本当は、智樹さんが由之と話がしたいって言うから一緒にレストランに行こうって言って……」

「どうして、嘘ついたの。そのまま言ってくれればよかったじゃん」

 母は、由之から視線を外したり見たりを繰り返して言った。

「智樹さんが提案したって言うより、私が提案したって言った方が、由之は来てくれると思ったから……」

 春井を警戒していることに母が気づいていたことはあまり驚かなかったが、あの楽しそうな笑顔の裏で気を使わせていたことに胸が痛んだ。やはり、春井という男が現れてから、由之と母の間には、見えなくとも確かな溝ができている。

「お待たせ」

 駐車場に車を停めて、春井が帰ってきた。春井は、由之を見て微笑んだ。

「じゃあ、行こうか」

 

 由之と母の混乱は店に入ってからも、続いた。なにせ節約第一、庶民代表みたいな生活を送ってきた二人には未知の世界過ぎた。カタカナだらけで初めて見る言葉が羅列されたメニュー表を渡されたが、そこまではいい。値段が書かれていないのだ。母は春井に慌てて聞いた。

「智樹さん、これ値段が書かれていないわ!これはウェイトレスさんに聞けばいいの」

「そんなことしなくていいよ。好きなの選んで。由之くんも、遠慮せずに好きなものを選んでね。後でスイーツも頼めばいいよ」

 由之はそんなことを言われても、メニューからはどんな料理が出てくるかなんて想像できなかった。

(パッツァってなに?パスタのこと?このカタカナどこで切れるの?料理名すごく長くない?食材どんだけ入ってんの?量多いのかな?)

 そんなことばかり頭の中をぐるぐる回る。母はどうしているのか、メニュー表から顔を上げると、春井が由之の持っていたメニューを覗き込んでいた。

「決まった?」

  目線を逸らして、答える。

「どんな料理が出てくるのか、想像つかなくて……」

「じゃあ、由之くんは、ハンバーグが食べたい?パスタが食べたい?スープとかもいる?何が食べたい?」

「……じゃあ、ハンバーグで」

「なら、この辺だねー」

 そう言って、由之が持つメニューを指で差しながら、この辺がハンバーグだよと教えてくれる。アレルギーはあるか、嫌いなものはあるかと聞かれ、由之はデミグラスソースがかかったなんちゃらハンバーグとなんちゃらスープを注文した。

 料理が来てからも、春井は由之に食べ方をいろいろとレクチャーした。その気遣いのせいか、デザートを頼む頃には、由之の春井への嫌悪感はだいぶ薄れていた。

 時計は七時を指していた。

「早く着いたから、ここを出てもまだ時間があるね。二人が疲れていなければ、レイトショーにでも行かないかい」

 由之はアイスクリームを食べながら、母を見た。母も由之を見て、にこりと笑った。由之がいきたいなら、大丈夫よという合図だった。

 由之は春井を見て、行くと言う。それと同時にケータイの着信音がなった。

「ごめん、電源切り忘れてた」

「大丈夫、気にしないで出て。お仕事だと大変だから」

 母の気遣いに、春井は申し訳なさそうに席を立った。席を離れていく春井の背中を由之はじっと見ていた。

「由之、智樹さんのことどう思う?」

「俺が思っていたより、いい人だった」

「でしょ!」

(でも、やっぱり父さんじゃない人が、母さんといるのは複雑だ)

 なんてことは、口が裂けても言えなかった。

 ニコニコと笑う母の姿に、ここは自分が我慢しなくてはいけないと由之は思った。


 異変に気づいたのは、そのすぐあとだった。電話で席を立った春井がなかなか帰ってこない。母も店の混み具合を見て、ソワソワし始める。

「だいぶ混んできたわね。智樹さんに声をかけて、もう外に出ましょうか」

「うん。俺、呼んでくるよ」

 由之は立ち上がり、春井が歩いて行った方向に向かった。

賑やかだった会場から出て、静かな廊下を歩いた。廊下には滝のようなものがある。大きな部屋には加湿器を置くより、こうした方が、全体を加湿できると聞いたことがある。そんなことを考えながら、由之は廊下を進んでいく。

(確か、入ってくるときにこの下の階に喫煙スペースがあったはず。そこにいるだろう)

青い照明で照らされ、外に向かって百八十度大きなガラス窓があり、街を一望できる喫煙スペースに春井はいた。

 いたのは春井のみで、タバコなど吸っていなかったが、壁に染み付いた匂いは、由之の鼻を微かに刺激した。

 春井はまだ電話の主と話をしていた。

(少し待てば、終わるかな)

 由之は少し離れた場所で待つことにした。後ろから見る春井の背中に、父のことを思い出す。

(父さんの背中は、もっと小さかった気がする)

 幼い頃バスの運転席のすぐ後ろの席に座り、父の背中をみていた記憶が頭の中で再生される。身長は極々普通だった父だが、肉付きが薄く、そのせいで身長より小さく見えた。四回、そんな父が大きなバスを運転していることを、いつもかっこいいと思っていた。バスを降りる人は、ありがとうと言って降りていく。誰かに感謝される父を見て、由之は胸いっぱいに喜びを感じていた。ボーッと考えていると、自然と目尻が熱くなる。由之は、慌てて、目を擦る。

 (昔に浸ってる場合じゃない)

 この先、父と呼ぶ人は今目の前にいる、この人になるのだ。由之の父より背が高く、父より肉付きがよく、父より今日のような高級レストランが似合う男が。

 この先の生活を由之は想像し難かった。でもきっと、今とは百八十度違う生活を送ることになるだろうなと、思った。

 ポケットで携帯電話が振動した。母から、だった。もう、声をかけようとしたとき、突然大声が耳に飛び込んできた。

「どれだけ俺に迷惑かければ気が済むんだよ!殺したのはお前だろ!俺には関係ない!お前のせいでどれだけ俺が迷惑してるかわかってんのか!」

 

 由之はその声に驚き、一歩あとずさる。後ろにあった背の低いプランターに気がつかず、プランターは音を立てて倒れる。

叫んだのはもちろん、春井だった。春井は後ろを振り返ると、由之を見て、目を見開いた。

「由之くん……」

 由之にむかって、春井は手を伸ばそうとした。しかし、その腕が伸び終わるより先に、由之は走り出した。頭の中で響くひとつの単語に由之は怯えた。

(殺した!?殺しただって!?)

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ととだち 神永ピノ @kaminaga26

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