第7話:疑心行脚

『ねぇねぇ、森で遊ぼーよー』

「だから、俺は森には行けねーんだって。何回言えばわかるんだよ、ったく」


 帰れと言っても、去ろうとしても中々離れてくれないアズキ。

 轟山に登る手もあるが、雷鳴鳥や角蜥蜴にとって、俺は望まぬ来訪者。

 それに、今この場から離れて別の住処を探そうものなら、アズキに場所がバレてしまう可能性が高い。


 子供が帰る時間になるまで、仕方なく草原であぐらをかく事にした。


『じゃあナミナリは? ナミナリしようよ!』

「なんだよ、ナミナリって。まぁ、何でもいいけどさ。とにかく俺は忙しいから帰ってくれないか? 命の恩人の頼みは普通聞くもんだろ?」

『……うー。まだお日様があんなに高いんだよ? それでも帰るの?』

「そうだ。お母さんやお父さんを皆殺しにされたくなかったら、さっさと帰れ。俺は隻腕の悪魔だぞ?」

『おじさんはそんな事しないもん!』


 そう言って、あぐらをかいている俺の背中へ飛びついてくるアズキ。

 何だか危なっかしい子供だな。亜人はかなり警戒心が強い生き物だと思っていたんだが……


 すると、何かが物凄いスピードでこちらへ向かってくる気配がした。

 野生の動物にしては速すぎる。魔獣にしては、物音がない。てことは……


「っち。だから言ったんだよ。【龍強化】」


 龍強化を使い、体を起こして一気に縦穴まで跳躍する。


『わっ、すごいすごい!』


 あー、ったく煩わしい。勢いで落ちてくれるかと思いきや、アズキは背中にへばりついたままだった。

 崖下を覗き込むと、大きく逞しい体つきの灰色の狼がこちらを見上げていた。


『我が娘に手を出すな。この隻腕の悪魔め』


 自分から立ち去る前に、完全に追い出される形となってしまった。

 餓狼族が興奮状態になった時の、特徴的な真紅の眼で俺を睨みつけている。 

 成体の餓狼族は、人間の兵士五人分くらいの力はあるだろう。

 それでも、そこが成長限界。生き残りだからと言って、俺には到底敵うはずもない。

 

『パパ。違うよ。このおじさんはアズキを……』

『ええい、この悪魔め。我が娘にどんな呪術を使った? 許さん。今すぐに……』


「分かったよ。返せばいいんだろ、返せば。それは俺にも好都合だ」

『えっ、何するの、おじさん?』


 アズキの首元を掴み、父親の頭上二十メートルに掲げる。


「悪いな。自分の父親を信じろ」

『おじ……きゃっ』


 餓狼族なら、このくらいは受け止められるだろう。

 アズキにとって、今ので三度目の落下になるが、他に方法も見当たらない。

 父親が無事にキャッチしたのを見届け、俺は轟山の頂上へと一時的に登り、直ぐに反対方向から下山した。


 太陽に背を向け、王都から離れていく方向に走り続ける。

 目的地など存在しない。ただ、無心で王都と万象の森、そして轟山から距離を取る。

 現実から逃げているような錯覚に襲われるのは、気のせいだろうか?

 だが、俺にはそれに向き合う術もない。ただ復讐をするだけの人生だから。


 万象の森から歩いて四時間ほどの距離にある湖。全力疾走ではなかったため、そこに辿り着いた時点で陽が傾き始めていた。

 ついでに、活動を始めた腹の虫も鳴き声を上げ始めている。

 

 一般兵士時代に習った野営術のおかげで、なんとか食料になりそうな魚と焚き火を用意できた。

 今晩はなんとかなる。だが、今後はどうだ?

 生き延びるだけならば、さほど難しい事ではないだろう。

 しかし、剣を振る以外に鍛錬をする方法もなく、利き腕を吹き飛ばされたままでは思うような実力も出せない。


 このままだと、逃げて逃げてただ転々と隠れ家を変えながら、細々と生きる羽目になりそうだ。

 復讐をするための力もない。圧倒的な実力差が、今の俺とアイツの間にはある。

 だが今はどうしようもないか……


 そのまま顔を出し始めたばかりの星空を眺めながら眠りについた。

 何故か、夜になるとドッと体力を削ぎ落とされる。

 任務では平気で夜通し活動していたから、これははっきり言って異常事態だ。


 そしていつものように、時間が飛んだかと思わせるほどに、一瞬で夜は明け、見慣れた太陽が東に見え始めた。

 何より昨晩寝付く前に感じていた倦怠感は、朝陽の光を浴びると皆無になる。 

 それどころか、前日までとは比べらものにならない魔力、いや、呪力を感じる。

 俺の中の魔族が育ってるって事なのか? それとも俺がカイザーに……


「おーい、そこの兄ちゃん。ちょっくら手伝ってくんねーか?」


 俺のいる場所からさほど離れていない王都まで続く一本道に、俺に向けて手を振っている太った商人らしき男がいた。

 荷馬車の周りに荷物が散乱している辺り、肉体労働の手伝いだろう。

 そんな事よりも、俺の事を知らないのか? てっきり元勇者はお尋ね者になっていると思ったのだが……まぁ、ここは確かめてみるか。

 

「いいですよ」


 過去の自分になったつもりで、親切な人を装い男へと歩み寄り、荷を拾い上げる。

 片手しか使えないとはいえ、両手でなければ持ち上げるのが困難であろう積荷も軽々と持ち上げられた。

 やはり呪力だけではない。普通の身体能力まで向上しているようだ。


「いやー、若者は力持ちで助かるよ。片腕なのに、なんか悪かったな」

「いえ、全然大丈夫ですよ」


 片腕…隻腕…ん? そういえば、餓狼族の奴らは「隻腕の悪魔」って言ってたよな。

 でも、俺の勇者時代の記憶が正しければ、悪魔は亜人の味方だったような……


「それにしても兄ちゃん、イデア族かなんかなのか? 旅の途中だったら、途中まで乗せて行ってやるけど……」

「イデア族ってどういう事だ…ですか?」


 イデア族は確か魔界と人間界の境にある山脈の主だった筈だ。

 魔族にも人間にも与せずに、ただ天上の傍観を続けている民族。

 そしてその特徴は、赤い眼で……


「だって兄ちゃん、目ん玉真っ赤じゃねーか。最初見たときはお尋ね者の元勇者カインかとも思ったけどよ、赤い眼って言ったらイデア族しか考えられねーって。それとも何か、もしかして兄ちゃんは餓狼族か?」

「いや、餓狼族では……」


 赤い眼? どういう事だ。俺の瞳は確かに黒だった筈だ。


「じょーだんだって。それに餓狼族だったら今頃俺は生きてねーだろうしな」

「餓狼族がどうかしたんですか?」

「二日前に王都を出た時に、門番に餓狼族には気をつけろって言われたんだよ。なんでも王都の外壁で見回りをしていた兵士を無差別に殺してるって話だぜ? 兄ちゃんも今は王都に近づかない方がいいかもな」

「は、はぁ」


 その話がどこまで真実なのかは分からない。ただ、餓狼族の件よりも俺は今すぐに自分の目の色を確認せねば……


「そんじゃ、俺はもう行くわ。なんかあったらソナーの街にある商館を訪ねてこいよ。荷車でもなんでも売ってやっからさ。じゃあな〜」


 名前も告げずに、どうやって訪ねてこいと言うんだ。こんな初歩的な部分を見落とすなんて、商人と言うのは嘘かも知れない。

 だとすると、この太った男のくれた情報は偽か? 俺が元勇者だと気づいて何かを企んでいるとか……


 まぁ、それよりも、今は自分の目のことだ。

 商人が遠く離れるまで警戒し、去った直後に湖の水面に自分の顔を映してみると、そこには見事に血色に染まった眼があった。

 右腕は生えてこないのに、目の色が変わったってなんの意味もない。

 少しだけ、姿を偽るのに好都合なだけ。だがそれも然程効力はなさそうだ。


《何を言っている。自慢の眼だったはずだろう?》


 そうだ、確かに赤い眼は俺の……って今のは誰だ?

 周囲を見渡しても魔族の姿は見えない。てことはカイザー、なのか?


 …………


 そう心の中で問いかけても誰も返事をしない。

 ただ分かるのは、今聞こえた声はいつもの憎しみに満ちた囁きの声とは違うと言う事だけ。

 可能性だけで言うならば、二人の魔族が俺の中にいると考えられるな。

 いや、もしくは……


『おじさ〜ん!』


 不覚にも聞き覚えのある元気な声が、段々と接近して来た。

 この湖は森からも轟山からも相当離れている。そして何より、昨日の夕方、俺は目的地を持たずにここまで辿り着いた。

 アズキが俺の居場所を知る術なんてない……はずだよな。


『やっと見つけたよ〜! なんで何も言わないで引っ越しちゃうのさー!』


 引っ越しって言うのか、これ?

 

「なんでここが分かったんだ? と言うか、お父さんに心配かけてるんじゃ……いや、父親を殺されたいのか?」

『んふふ! おじさんは優しいから大丈夫! だって優しい匂いがするんだもん!』

「もしかして、お前はその匂いを辿って……」

『そうだよ!』


 満面の笑みで尻尾を揺らしながら両手をあげているアズキ。

 正直鬱陶しいが、よく考えてみると餓狼族に直接話を聞くチャンスか。

 

「お前の仲間達は最近人間の王都に近づいたりしてるのか?」

『オート? 何それ?』

「人間の街だよ。大人達がなんか言ってなかったか?」

『んー…………あ! そう言えば、森からはぜーったいに出るなって言われたよ!』


 だったら来るなよ。ったく。


「それはいつも通りの事なんじゃないのか?」

『ううん。いつもは人間に気をつけろって言われるだけだよ。森の外でもフレイ様が守ってくれるから大丈夫だって、パパは言ってたんだけど……なんか最近はいつもより怖くて。それで……』

「あぁ、分かったわかった。だけど俺を森の友人の代わりとして認識するのはやめてくれ。お前にとっても良くない事しか起こらないぞ」

『うぅ……』


 いくつかの可能性が考えられるが、万象の森が緊迫状態にあることは確かなようだ。

 にしてもフレイの目がここまで届いてるって言うのは、どうにも迷信くさい。

 現に俺が森の住民と接触しているのに、俺を攻撃してこない。あれだけ嫌われているんだ。昨日俺がアズキを崖下に落とした時点で不意打ちを食らっていてもおかしくはなかった。


 そんな思考を巡らせている俺に、少女の小さな獣の手が触れた。


『ねぇ、おじさん?』

「ん? なんだ?」

『もし、私たちが人間に出会ったら殺されちゃうって本当なの? おじさんは優しいし、でも人間でしょ?』

「なんか色々と勘違いしているようだが、俺は人間でも優しくもない。だけどお前たちが人間に遭遇したら殺されるのは間違いない。人間はそれが正しい事だと認識しているからな」

『そんな……』


 先ほどのしょぼくれたアズキの顔が、より一層暗くなった。

 子供なりにも、森の異常について何か感じる部分はあるのだろう。

 そして亜人特有の危機察知能力。とある王国の有名学者は、亜人の危機察知能力は軽い未来視と言っても過言ではないと言っていた。

 今、少女が体を震わせ始めたのは、それが原因だろう。


『おじさん、私……今日は帰るね。なんだかパパの事が心配になって』

「あぁ、そうしてやれ」

『うん。ありがと。じゃあまたね』


 どちらかと言うと、あの父親の方が心配だろう。

 昨日娘が人間と接触している場面を目撃したばかりだ。今頃探し回っていてもおかしくない。

 でも、餓狼族は嗅覚で個人の居場所を特定できるほどの能力を備えている。だとすると、親父に何かあったと考えるのが妥当か。もしくは、娘以上に大切な何かがあるか、だが……


 まぁどちらにせよ、アズキからの情報ではあの商人の安全性が分からなかったか。

 仕方ないと言えばそれで済むが、俺の所在が割れてしまった可能性があるのは見過ごせない。

 このままさらに北上して逃げるか、情報を得て対策を練るか……


《逃げるなど、男として言語道断。そんなことも忘れたのか?》


 またさっきの声だ。一々俺の意思に介入してこないと、どうにも満足がいかないらしい。

 そして不思議と、「ああ、そうだったな」という反応が、自分の中に第一に現れる。

 自分がカインであるのかどうかが不安になってきたな。


《案ずるでない。貴様はカインだ》


 ……え? じゃあなんでフェリは俺をカイザーだと誤認したんだ?



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元勇者の俺は、全てを奪った異世界からの新勇者に復讐を誓う 朝の清流 @TA0303

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