第6話:無殺の覚悟

 手に収まっていた漆黒の剣は、脱力感と共にに紫色の血溜りに落下した。

 身体中に付着した雷鳴鳥の返り血。それを洗い流したのは、皮肉な事に、【雷神之鉄槌トールハンマー】によって発生した黒雲からの雨だった。

 

 俯き、ただ自分の犯した罪を悔いているだけでも、周囲の魔獣たちは絶望の悲鳴をあげながら去っていく。

 轟山の頂上には、木もなければ、山肌のような縦穴などもない。

 隠れる場所などないのに、角蜥蜴と雷鳴鳥は必死に岩陰に身を潜め、命乞いをしている。

 

 魔獣にとって、今の俺は殺人鬼にしか見えないだろう。

 俺が無力で、奴らと同じような状況にいたらそう感じる。

 ランポとかいうフレイの仲間を殺した事に、今更罪悪感を覚えてきた。


 俺は勇者と言う称号のために、万象の森の誰もが知っている人気者を無情に切った。

 記憶にも残らない程、昔の俺にとってはちっぽけな出来事だったのだろう。

 覚えてさえいれば、あいつらに謝罪できたかも知れない、とは思わない。

 巨額の富を贈与したって、頭を地につけて謝ったって、誰も罪人は許さない。

 俺が、マサト達を永遠に許さない事となんら変わりないのだから。


 雨に打たれながら、重い剣を持ち上げ、鞘に収める。

 それだけの動作でも、魔獣達は一斉に警戒態勢に入る。

 一応攻撃はしない旨を伝えておくか。


「俺はもう去る。山肌にある縦穴はまだ使わせてもらうが、ここには来ない。安心しろ」


 だが、そんな穏便に事が済むはずも無い。

 俺が復讐の炎に支配されているのと同じく、魔獣達だって……


『ま、待て! この……人殺し!』


 俺が背を向けた瞬間に、小さな雷鳴鳥が怒鳴り声をあげた。

 少し振り向き、直ぐに崖の方へと向かうと、何やらバチバチと小さな音が背後から鳴り始めた。


『コウ君たちをよくも!』


 見なくても分かる。このチビは、俺に復讐しようとしている。

 無理だとわかっていても、何もせずにはいられない。


『や、やめろ。殺されるぞ?』

『うるさい! 僕はコイツに……こんな人間に親友を奪われたんだ……』


 雷の音と共に、段々と涙声になっていく少年の声が聞こえてくる。

 フレイもこんな感じだったよな……


小雷リトルサンダー


 バチバチバチ、と激しい音がなり、振り続ける雨を蒸発させながら、俺の背中に直撃した最低級の雷光魔法。

 今回は、俺の中の魔族は何も手出しをしてこなかった。

 フェリのくれた服を貫通もせず、ただ少しシワを作っただけの弱者の一撃。

 まるで俺がマサトに放った一撃みたいだな。


 そして俺は雷鳴鳥へと再び振り返り、自分に言い聞かせるように一言放った。


「強くなれ。復讐のために」


 そのままゆっくりと歩いて縦穴まで戻り、体を横にした。

 黒雲は未だに雨を降らせ続け、俺はただ無気力にそれを眺めているだけ。


 するとまた、あの声が聞こえてきた。

 

《貴様はなぜ復讐を願う?》

 

「だから自分の為だって言ってるだろ。それ以外何があるっていうんだよ。フェリだって、フレイだって。何かしらの理由があって、復讐を願っている。俺だって同じだよ。マサトと三英雄、それに王を殺したい。俺を裏切ったアイツらを……」


 イライラしているせいか、こんな意味の分からない存在の言葉に長々と返事をしてしまった。

 だが、俺の中の魔族はそれだけでは物足りないらしい。


《貴様はなぜ……》


「あー、もう黙っとけ。お前がどんな回答を求めてるのかは知らないけど、それ以外に答えられるもんはねぇよ」


《…………》


 するとようやく沈黙した魔族。同じ質問を永遠と繰り返し、俺の精神を崩しにきているとしか思えない。

 俺に命令するときもあれば、こんな感じで問いかけてくる時も多々ある。

 その時その時で、まるで別人格なのでは無いか、と感じる事もある程だ。


「いてて……」


 岩の地面に寝ころがろうとした矢先、先の雷鳴鳥の件で何故か軽く出血し始めた右腕の傷口が邪魔をした。

 食事も取っておらず、ろくに水も飲んでいない。そんな状況で、失った腕が出血しているとなれば、普通なら死亡だろう。

 なのに、俺はかなり平常だ。血が流れ出ることによって、逆に頭が冷えている。

 

 それでも、睡魔には敵わない。空は暗く、大体の時間も分からないまま、俺は惰眠を貪るように、眠りについた。


 その筈なのに、辿り着いたのは暗闇の中。

 いや、夢か? でも俺の横には紅の髪をもつ少女、フェリがいるし……


「カイザー、もう諦めるのじゃ! 戦力差がありすぎる。妾も憎いが、復讐はまたいずれ……」

「黙れ、フェリ。死んでも、我は兄上を奪った奴らを呪い殺す。貴様は先に逃げておれ!」


 なぜ勝手に口が動く? それになんだこの喋り方は?

 思えば、体が自由に動かない。それに、いつもより大きい感じが……


「……嫌じゃ! カイザーが死ぬなら妾が代わりに……」

「待て、突っ込むな、フェリ!」


 フェリを追いかけた俺、いや、カイザーか。

 真っ正面から突き進んでくる光の矢とも呼ぶべき攻撃が、フェリに直撃する直前に俺が割って入った。

 

 そこで夢は途切れ、その後フェリがどうなったかも分からない。


 慌てて飛び起きると、何故か目から涙が溢れていた。

 ほんの数秒間の悪夢かと思いきや、外から太陽光が差し込んでいる。

 腕の傷口は塞がり、痛みは治ったが、どんよりとした気分は治らない。

 

 今日は何をするべきなのか。力をつけない事には何も始まらない。

 でも、その術が…… 


『おーい!』


 聞いたことのある声が、外から聞こえた。それも、かなり近くから。


『おーい! おじさーん! いるんでしょ〜?』


 次第に大きくなってくる声。その正体を確認すべく、崖下を覗き込むと、昨日助けた餓狼族の少女がボロボロの麻の布袋を持ちながら壁を登ってきてるのが見えた。

 

『あ! やっぱりいたんだね。昨日はごめんなs……きゃっ』

「おい、ばか」


 気を緩めたのか、笑顔を見せた少女はそのまま落下していった。

 手を伸ばして届く距離だった。でも、片腕がない以上、左手だけで少女を引っ張りあげるのは難しい。

 寝起きのまま、昨日と同じく縦穴から飛び降り、少女を片手で抱えながら地面に着地した。


 昨日感じた筈の衝撃も、慣れのおかげかいくらかマシになっており。少女も落下になれたのか、手に持った麻袋を掲げながら、笑顔を見せた。


『また助けてくれてありがとう、おじさん!』


 灰色の狼が、人の形をしているような容姿の餓狼族。

 こうして喋っている姿を見ると、人間であると錯覚してしまってもおかしくはない。


 ゆっくりと少女を地面へと降ろし、一応周囲を見渡す。

 俺は亜人からの嫌われ者だ。復讐すべき相手に、関わっていると知ったらこの子は勿論、俺は折角見つけた隠れ家を失ってしまう。

 まぁ、近々移動しないといけないのは変わりないのだけど……


「毎日毎日あんな所登ってないで、さっさと帰った方がいいぞ? 亜人なら、俺の事くらい知ってるだろ?」

『うん! 極悪非道な隻腕の悪魔ってみんなが噂してたよ!』


 少女はその言葉を理解していないのか、笑顔で衝撃の事実を俺にぶつけてくる。

 

「お前は万象の森の餓狼族だよな?」

『そうだよ。隻腕の悪魔に滅ぼされた村ってママがいってたけど、おじさんはそんな事しないのアズキ知ってるもん! 昨日はびっくりしちゃったけど、助けてくれたから……』


 そう言って、少女はごそごそと持っていた麻袋を弄り始めた。

 アズキ……生き残りの子供か。俺の事を噂程度でしか聞いたことがないんだろう。

 ただ、人間は怖いものだと知っている。そして、俺の事を誤解している。


『はいこれ! ミナの実だよ。甘くて美味しいから、おじさんにあげる!』


 小さな両手いっぱいの、黒くて硬そうな初見の木の実。

 木の実と言われなければ石と間違えてしまいそうな外見で、とても食べられるとは思えない。

 それに、ここでお礼を受け取ってしまえば、この子はまた俺に会いに来てしまうかも知れない。

 自分の為にも、この子の為にも、ここは冷徹に対応しなければ。


「悪いが受け取れない。それに俺は本当に餓狼族を皆殺しにした。ついでに、ランポって言う奴も俺が……」

『アズキはそんなの知らないもん。何があっても、おじさんはアズキにとって命の恩人なの。だから、はい。これ食べてみて』


 そう言って、隻腕の悪魔に木の実を押し付けてきた餓狼族の少女。

 流石に片手では持ちきれず、数粒地面に落下してしまった。

 それを慌ててアズキは拾い上げ、また満面の笑みを浮かべて差し出してくる。


 ボロボロの服かどうかも分からない布を着て、一族の恨みの対象である俺に接触してくる。

 こんなリスクを負ってまで、貴重な食べ物であろうミナの実を献上してくる子供の気持ちを、無下にしていいものなのだろうか?

 いや、それは人間だった頃の俺が持つべき感情であって、亜人の罪人が有していていい想いではない。


「俺は……hぐっ」


 口を開いた瞬間に、見た目通りの石が入ってきた。

 反射的に咀嚼を始めようとしたものの、硬すぎて食べられそうにない。

 なのに、急に腹の虫が鳴り始めた。


 バキンっ、と石が砕けたような音が口内に響き渡ると、食べたことのない苦味が口いっぱいに広がった。

 噛んでも噛んでも、アズキの言う甘味が姿を現すことなない。

 それでも、左手一杯に乗ったミナの実を完食するまでに、そこまでの時間はかからなかった。


 そんなアホみたいな俺を、餓狼族の少女は期待の眼差しを向けてじーっとみていた。


「美味しい?」

「いや、不味かったよ。今まで食べたことないほどに、な」


 アズキが涙目を浮かべて、亜人特有の怪力で俺の腹を連打したのは言うまでもない。『せっかく持ってきたのにー』と、礼の品の筈なのに、きちんとした感想を求めてくる始末。

 やはりまだ何も理解していない、ただの子供。人間のような、亜人の子だ。


 そして俺は、また無駄な命を殺さない為に、ここを離れる事を決意した。

 餓狼族の連中がこの事を知ったら。いや、フレイにでも知られたら、流石に反撃しないで逃げ切るのは難しいだろう。

 いつかくる復讐の日まで、俺は死ぬわけにも、殺すわけにもいかない。

 殺すのは、奴らマサト達だけと決めたのだから。


 

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