第5話:消えぬ罪
ゴツゴツとした岩山の轟山には、万象の森とは違い、全く木々は生えていない。
四方は断崖絶壁となっており、翼を持った魔獣の巣が点在している。
飛竜などの高位な魔獣はここにはいない。最大の個体でも、
山肌には、
地面から二十メドル程の高さにあった、比較的下に位置する巣穴の跡を発見し、一時的に体を休める場所として利用する事にした。
思えば何も食べていない。なのに、不思議と腹の虫は鳴らない。
これも魔族と呪力のおかげなんだろうか。今の状況からするとありがたいけど、同時に人間ではない事を再認識させられ、複雑な心境に陥る。
そして、陽が沈むのをただぼーっと眺めながら、ゆっくりと目を閉じ、深い眠りへとついた。
《憎いか?》
まただ。また、俺の魔族の部分が問いかけてくる。
《貴様は何を求める?》
力だ。
《ほう、それは……》
復讐のための力だ。
《貴様は何のために復讐を果たす?》
自分のため……
《他者を犠牲にしてもか? 自分の犯した罪から目を背け、自身に降りかかった災難を己だけの不幸だと考えてか?》
一体何を……
《いずれ理解するであろう。復讐は、時に他者をも救う。そして不幸は、貴様だけのものではない》
お前は誰なんだ? 何が言いたい?
《憎き勇者に復讐を》
「はっ⁉︎」
目を開くと、朝陽が万象の森の方角から登り始めていた。
今のは夢か? それにしてははっきりと声が聞こえていた。
終始一貫しない言葉の嵐。俺の中の魔族は、復讐を否定しながらも復讐を願った。
だがそれは、勇者に復讐を果たす事によって他者への救済にもなると言っているとも捉えられる。
何にしても、復讐は復讐でしかない。簡潔に言えば他者との利害が一致してるだけだろ? 個人的な恨みだって、集団での怨恨だって、どう言い換えても変わらない……
『きゃっ!』
誰もいない筈の山肌から、亜人の少女の声が聞こえた。
断崖絶壁とも言えるこの場所を容易に登ってこれると筈はない。
てことは雷鳴鳥か? でも、魔獣の声まで聞こえるのかどうかは不明だし……
不思議に思い、崖下を覗き込むと、そこには片手で岩にしがみついている、今にも二十メートル下に落下してしまいそうな餓狼族の少女がいた。
特徴的な灰色の毛並み、そして、他の獣族とは違う鋭く尖った耳の先ですぐに識別可能。
身長的にはフェリくらいか。まだ生まれたての子供だろう。
『たす……けて……誰か』
以前までは亜人を見た瞬間に殺していた。
だが今は……いや、それでも助ける理由がない。
命を救って、罪を浄化しようと考えている自分がどこかにいる。
復讐を誓う者として、背負わなければならない過ちはそう簡単には……
『やだよ、お母さん……きゃっ」
少女の捕まっていた岩が崩れ、そのまま自由落下を始めた。
同時に俺も。岩肌を蹴り、少女より加速しながら地面へと向かう。
何をしてるんだ、俺は。
足で激しい衝撃を受けきると共に、少女を抱えながら地面に着地した。
既に気絶している少女は、ボロボロの布切れを身にまとい、片手に黄色い実のついた植物を握っている。
だから片手だけで体を支えようとしていたのか。
しばらくの間、少女を抱えながらぼーっとしていた。
餓狼族と言うことは、万象の森にいた生き残りだろう。
俺が壊滅させた、あの集落。王は餓狼族が無差別に旅人を襲っていると言っていたな。
それが真実かどうかも確かめもせず、俺は無差別に殺戮を繰り返したんだよな……
俺の中の魔族の声は《復讐には理由がある》と言っていた。
亜人にも自我があると分かった今、餓狼族が旅人を襲っていたのも理由があるのかも知れないと思ってしまう。
『んん……』
すると、少女が目を覚ました。
俺の役目はここまでだな。
目を擦っている少女を地面に下ろし、立ち去るために背を向ける。
すると、少女の第一声は感謝の言葉ではなく、恐怖のどん底に落ちた者の声だった。
『に、人間……』
振り返って見えたのは、少女が手に握っていた植物を地面に落とし、逃げ帰っていく姿。
やはり、俺が亜人を助けたところで何も変わりはしない。
分かっていた筈なのに、俺は心のどこかで何かを期待していた。
「所詮そんなもんだよな」
自分に対する嫌味を吐き捨て、龍強化もなしに山肌をジャンプしながら登り始めた。
体の傷は癒え、昨日よりも呪力の質が高まっているのが分かる。
それに加えて、身体能力の向上。自分が亜人である事を自覚するごとに、勇者の時の自分を超える力が漲ってくる。
嫌われ者の俺が一人で復讐を果たすには都合がいいよな。
負の感情が込み上げてくるのと同じく、未だ登ったことのない山頂が近づいてくる。
上で修行でもするか。
山頂は、思っていたよりも広く、荒野のように荒れ果てた岩場となっていた。
岩陰からは、
どうやら魔獣たちにも、俺は望まぬ客として認識されているようだ。
なるほど、そのせいで俺がいる側の山肌には普段飛んでいるはずの雷鳴鳥が少なかった訳か……
『人間だ』
『勇者だぞ!』
『逃げろ!』
アァ、聞こえてしまった。戦場では亜人に付き従っているイメージしかない魔獣にも、きちんとした自我が芽生えている。
ここで俺はまた無差別な殺戮ショーを繰り広げるのか?
逃げ待とう二メートルほどの異形の生命体を、追いかけて追いかけて肉片に変えるのか?
……勇者だった時は、なんで無情に殺せたんだっけ?
王からの命令があったから? いや、それが正しいと信じていたから。
人族至上主義とも呼べる王国の風潮に染まりきっていたから。
そして俺は、その方針を掲げている猿どもを憎んでいる。
魔獣を殺すべきではない……いや、違う。
俺はあの腐った国のために魔獣を狩るんじゃない。
自分のため。いち早く力をつけるために、犠牲を払って成長するために。
《殺せ》
殺す。
《視界にいる者全てを皆殺しに》
……あぁそうだ。俺は、俺の目的はアイツらを殺すことだけ。
目の前の異端はただの生贄に過ぎない。
フェリに貰った漆黒の剣を引き抜き、まずは五十メドルほど前方で背を向けながら逃げている角蜥蜴を狙う。
【
確実なオーバーキルになるだろう。だが、身体強化のスキルに体を馴染ませるのは重要だ。
それは、剣を鍛錬するときと同じ原理。使い込めば使い込むほど、そのスキルの質は向上する。
『兄ちゃん、こっち来るよ!』
『お前は先に逃げてろ。ここは俺が……』
「黙ってろ」
スパンっ、と聖剣並みの切れ味を持って、左手に握った漆黒の剣は角蜥蜴の頭と胴体を切り離した。
『……あ、兄ちゃん…………ぐぁっ』
「だから黙れって言ってるだろ!」
俺は今、角蜥蜴の兄弟を殺した。
自分の成長のため……っくそ。これじゃあ私利私欲で俺を切り捨てたアイツらと変わらないじゃないか。
思わず剣を地面に突き立てた。二メドルもある、俺より大きな体をもつ二匹、いや、二人の角蜥蜴から流れる紫色の血を見つめながら。
《殺せ》
うるさい!
《皆殺しにしろ》
「黙れって言ってんだろ!」
なんなんだよ、この感情は。
夢の中で言ってたことはなんだったんだよ。お前の目的はなんなんだ?
俺を追い詰めてそんなに楽しいのかよ。
お前の矛盾した考えを、俺に押し付けるのはやめてくれって……
本当に、本当に頼むから……
《憎き勇者に復讐を》
「ァァァァッッ!!!!」
虚しい。俺の全ては、虚無によって埋め尽くされた。
何もないはずの右腕から、熱が発生している。なのに、急激な悪寒に襲われた。
視界を埋め尽くすのは誰のものか分からない赤い血。そして次第に溢れてくる黒い魔力。
「憎き勇者に復讐を……」
俺は何を言ってるんだ? なんで、なんで勝手に口が動く。
「目の前の敵を皆殺しに」
地面に突き刺さっている筈の剣がひとりでに持ち上がり、俺の手に収まった。
いや違う、俺が自分で手に取った……
「殺す」
足が前に進み始めた。それも速く。俺よりも速く。
『やだ、こっちに来るよ。ママ!』
『飛んで! いいから飛ぶの!』
『でも僕まだ……ぎゃ……』
また一人。今度は雷鳴鳥の子供を殺した。
殺したくない。俺はもう……
なのに、俺の左手は剣を握り続ける。
ありったけの呪力を剣刀に乗せ、漆黒の炎にも見える呪力を持って、その威力を最大限にまで高める。雷鳴鳥ごときにこんな事しなくてもいい筈なのに。
『よくも、私の息子を! 【
雷鳴鳥最強の魔法。まるで鉄槌を落とされたかのように見える、巨大な雷を天より呼び寄せる攻撃魔法。
集束する黒雲の中から、巨大な鉄槌が俺に向けて落とされる。
【
頭上に現れた紫色の鱗盾。魔法での攻撃を吸収したかのように、雷を全て受け切り、その力を俺のものとする。
このままだとこの雷鳴鳥も……
『ギャー』
響かせたのは雷鳴ではなく、ただの悲鳴だった。
巨大な雷鳴鳥から吹き出す紫色の血が、俺の頭へと降り注ぐ。
なんで、なんで俺はこんな事を……
そんな俺に、コイツはさらに追い討ちをかけてくる。
《貴様は何を求める?》
……力だ。
《なんのために?》
……復讐のため。
《貴様は何のために復讐を果たす?》
……自分の為だ。
《それは他人を……》
したくない。犠牲になるのは、俺だけで十分だ。
自分の事は自分で片付ける。関係ない奴らを巻き込むなんて、それこそ意味がない。
《ならば守るのか?》
……俺には、その資格がない。今まで散々殺したんだ。
関係ない奴らを殺さないことが、俺にできる精一杯の事だよ。
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