第一の頁:《花》の出産

 僕は呼吸をとめて、いまかいまかと待っている。

 膨らみきった莟がほどけ、すきまから差しだされたのはやくならぬ小鳥の觜だった。黄支子の觜が産まれてはじめて呼吸するようにひらかれ、薄紅の舌が震える。絹が拡がるようにひらひらと飾りのついた花瓣はなびらがめくれあがり、いまだに流れのそろっていない翼が垂れる。翼の根は青く、先端にむかうにつれて黄緑がかっていた。草の萌えたばかりの、春の野の、まぶしいほどに潤んだ青だ。

 されど雛ではない。風を覚えた翼が緩やかに羽搏き、花瓣はなびらから抜けだそうとする。もがく鳥の脚はあまりにも細く、頼りがない。なにかにあらがって、枝につかまり続けることなど、こんなに華奢な脚ではできないのではないかと想わせられる。されどそのいまにも折れそうな脚ががくを蹴りつけ、鳥はぽとりと、鉢植えの置かれた机に落ちた。

 小鳥はなめらかな白紙を転がり、翼を羽搏かせて舞いあがる。柔い翼にはたかれて、白紙が机からすべり落ちた。机と椅子、寝台に本棚があるだけの狭い部屋のなかを小鳥はそれでも嬉しげに飛びまわった。黄支子の觜は歌を教えられずとも囀り、歓喜の調べを奏でる。

 窓枠にとまり、觜で窓硝子をたたいた。

「いきたいのか」

 僕が尋ねると小鳥は言葉がわかっているようにぴいと鳴いた。

 金魚は水槽のなかで溺れてしまったし、蝶は虫篭のなかで蛹にかえってしまった。外敵も嵐もない鳥籠に閉じこめて大事に飼ってやったところで、花から孵ったこの鳥はそうそう長くはもたないだろう。

 窓を開けてやると、小鳥は翼を拡げ、都会の夜景に紛れていった。

 残された花には葯も花糸もない。香りすらなかった。二重の白薔薇のようなかたちに、蘭を想わせる厚い花瓣。花瓣の縁にはひらひらと襞がついているが、これは蝶や蜂を誘う為のものではなく子種を護る為のものだ。子を産み終えたこの花は朝を迎えずに枯れるだろう、いつものように。

 がらんどうの莟からは、いのちが産まれる。

 一昨日は蜥蜴だった。先週は金魚。十日前が蝶だ。どれも植物からは産まれるはずのないしゅだった。

 花瓣から縮れた蝶の翅が垂れてきた時には莟のなかにさなぎでもついていたのかとひとり考え、金魚がぽとりと落ちてきてやっと、異変に気がついた。産まれるものは、段々と進化を続けている。

 残りの莟は、いまあるだけでも八個。

 明後日には新たな花が咲くだろう。次はうさぎか、猫か。

 僕は、この花から、人間が産まれるのをおそれている。 



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※ 額縁 樹脂製の額縁 鈍い白銀

     内側の枠に細かな花の紋様が刻まれており、洗練された印象を受ける


  紙  上質紙

     誰かが書きかけていた原稿

     読まれることはなかったのか、紙はいまだに真新しい  

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