第85話:帰るべき場所へ

 気が付くと、私はドロシーの部屋に寝転んでいた。床板へ直接だったので、触れていたところが突っ張った感じがする。

 窓の外はまだ薄暗い。けれどももう、夜明けが近い時間だ。ピンク色のウサギは、今日からまた正確な時刻を教えてくれるのだろう。


「ルナ――ポー?」


 ぼんやりとする頭で、部屋の中を見回す。

 ベッドにはドロシー。その脇にはベネットとキャサリンが眠っているようだ。でもいくら探しても、私の友人たちが居ない。

 いや人形たちはみんな居る。もう動くことも話すこともないだけで。


「外に行ったのかな」


 部屋を出て、玄関に向かおうとした。物音に気付いたらしい、ダイアナと出くわす。


「あっ、ねえ。ルナとポーを見なかった?」

「あの可愛らしい金髪のお二人ですか? いえ誰も外には出ていないはずですが」

「えぇ……?」


 聞けばダイアナも気を失っていたらしく、目覚めた時にはまだ真っ暗だったそうだ。朝食の準備などをするためにすぐ部屋を出たけれど、誰が居るのか居ないのかは確認しなかったらしい。

 まさか、またどこかへ消えてしまったの?

 その想いが、背中に冷たいものを走らせて、ぞぞぞっと身震いを誘う。探すのを手伝うと言ってくれたダイアナと、家の中を探しても見つからない。


「やはり外でしょうか」

「外って言ったって――」


 私だけを置いて、家に戻ったとは考えにくい。だとすれば、他にどこへ行ったのかなんて見当もつかない。

 そう悩みながら玄関の扉を開ける。


「居た……ルナ!」


 玄関を出てすぐ先に、ルナが倒れていた。慌てて駆け寄ってみると、普通に息をしているし、ただ眠っているだけに見える。


「ルナ! ルナ!」

「――ん。んん? ああヒナ、おはよう」

「もう! どうしてこんなところで寝てるの!」

「こんなところ?」


 ルナはあくび混じりにも周囲を見回して、「うーん?」と考え込んだ。当人もどうしてここに居るのか分からないらしい。


「……ああ。もしかして、私があっちの世界に行ったのが、ここからだったからかな?」

「そうなの?」

「うん。ケイトとここで出会ったんだよ」

「じゃあ、きっとポーも同じね!」


 湖畔に降りる小道を回って、ベンの空けた穴のところへ行った。ドロシーの家の下にある、崖だ。

 思った通り、そこにポーも倒れている。ルナが心配して抱え起こしても、しばらくむにゃむにゃと起きなかった。


「大丈夫みたい」

「驚いたでしょ? 私もさっき、同じ思いだったんだよ」

「うん、ごめん。ありがとう」


 苦笑を浮かべるルナに、私は肩を竦めて返した。

 それにしても、あの世界は結局なんだったのだろう。穴のあった斜面を眺めて考える。

 ドロシーの創った世界。それは分かるし、疑っていない。そうではなくて、あれはあれで現実だったのか、それともドロシーの夢を覗いていたようなものなのか。

 夢の世界だとすれば、痛みとか寒さとか、あれほどリアルだったのが変に思える。

 真相を知りたくても、もう森の主もおばあちゃんも答えてはくれない。たぶんドロシーに聞いたところで、分からないだろう。

 ただ私には、おそらくこうなのだろうなという推測は立っている。さっき目覚める前に、夢を見たのだ。


◆◆◇◆◆


 どこからが夢なのかは、はっきりしない。

 みんなが踊るドロシーの部屋から、ドールの城までが地続きになった。崩れたはずの城は元通りになっていて、周りの庭も、町も、森や草原も明るく輝いていた。

 集まっていた人形たちもみんな無事で、こちらに手を振っている。それが一人、また一人と、光の球になってどこかへ飛んでいく。

 やがて最後の一人も居なくなると、みるみる景色が縮んで水晶の球のようになった。

 きらきら光るそれを両手に受け取るのは、ドール。真っ赤なドレスを着た彼女は、水晶の球を自分の胸にそっとあてがう。するとそのまま、泉に沈むように球は消えた。

 そのドールもベッドのドロシーに寄り添って、すっと姿が見えなくなる。まるで大きく翼を広げた白鳥が、優雅にそれを畳むようだった。

 あの世界は、ドロシーの理想を詰め込んだのかとも思ったけれど、きっと違う。あれはドロシーの心の中、そのものだったのだ。


◇◇◆◇◇


「だからあの世界を揺り動かしたのは、きっとポーだね」

「そう思うよ」

「えっ?」


 夢のことは口に出していないのに、ルナが同意してくれた。驚いた私に、さらに頷いてもくれる。

 どうやらあの夢を見たのは、私だけではないらしい。そうなると夢でもないということだ。


「う、ううん……あれ、ルナ? ヒナも?」

「おはよう、ポー」

「ヒーローがいちばん最後なのは、お約束ね」

「なんのこと――?」


 ようやく目覚めたポーは、まだ状況を理解していない。彼女が意識をはっきりさせるよりも、遠くから声をかけられるほうが先だった。

 それはキャロル家のパパとママの声。

 昨夜からずっと探していた長女と、家で待っているはずの次女と客人。そんな三人を同時に見つけて、戸惑う声だ。無事なのかと問いながら、駆け寄ってくる。


「ねえ、ヒナ。なんて謝れば、叱られずに済むと思う?」

「そんなの、私が教えてもらいたいわ」


 どうやらこのピンチには、なんの対策を用意する猶予もないらしかった。

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