第84話:人形の家の女王
何小節かで作られた旋律が繰り返される。時に違う旋律を挟んで、時に音程を変えて。早くも耳に馴染んだメロディーと、弾き手の性格そのままに気ままな道草のようなメロディー。
脇に逸れては戻ってくる。どこまで行くのかと外れては、いつの間にか元へ。それはまるで人生そのもののようで、キャサリンのトラウマの記憶のようで。
穏やかな曲を聞いていると、深く沈んだ気持ちも落ち着いてくる気がした。それはもちろん、私が当事者でないからだ。でも――いつまでもそこで立ち止まっていても仕方がない。まずは立ち上がって、足を動かして、とりあえず一歩を踏み出さなければ。
そのために、誰かの手を借りたっていい。いまここには、そんなお節介の出来る子たちがたくさん居る。狼が、おサルさんが、カメさんが、ブタさんが、トラさんが、ネズミたちが、「僕と踊ろう」なんて言いながら手を差し伸べる。
それを困ったように見つめるキャサリン。けれどももう、慄いて撥ねのけるようなことはない。
「キャサリン。あなたと交わす言葉が足らなくて、ごめんなさい。なにを言っても、言いわけになってしまうけれど……」
おばあちゃんの声は弱々しい。申しわけなさそうに、今にもぱちんと弾けて消えてしまいそう。
「私にとって、家族はなにより大切なものだわ。あなたのことも、ドールのことも、夫のことも。あなたが私と同じに感じているとは限らないなんて、当たり前のことに私は気付かなかった。人形を作り続けることが、家族を大切にすることだと私は考えていたのよ」
「人形を作ることが? そんなの、さっぱり分からないわ……」
子どものように、べそをかきながら。キャサリンは反論する。それもまた、だだをこねているようにしか見えない。
「無責任な言いかたになるけれど、きっとあなたの言う通りよ。私は夫の世話に疲れていたのよ。人形作りに逃げていたんだわ」
「そう、ね。きっとね」
「覚えてる? あなたに人形を作ると、とても喜んでくれたの。最初にあげたのは、ウサギさんだったわ」
「覚えてるわ。ピーターラビットみたいで、とても可愛かった」
私の目が、どうかしたのだろうか。キャサリンの視線の先に、淡く光る人影が見える。柔らかそうなショールを掛けた、全身で微笑んでいるような温かな雰囲気のおばあちゃん。
静かに床に座って、両腕をキャサリンに向けて広げている。
「そうよ。それからあなたは、お裁縫も習いたがったわ。ファッジのしっぽを直したのも、あなたなのよ」
「覚えてる。縫い目を隠すのが難しくて、何度もやり直した」
「次はなんの人形を作るのって、あなたはいつも聞いてくれたわ。あなたに予告をして、その通りに作れるのがとても嬉しかったの」
「だって母さんの手は、魔法みたいだと思っていたの。素敵な人形が、たくさん生まれる。童話の魔女が、私のお願いを聞いてくれているみたいだったもの」
二人は楽しそうに、想い出を語り合った。二人の思う光景が、その間の宙に浮かんで見えた。
「そうやって、あなたはずっと楽しんでくれていると思っていたの……」
「ごめんなさい。私がひねくれてしまったのかもしれないわ。いつごろからか、私がそうしてほしいからじゃなくなっていた。おねだりして母さんを喜ばせるのを、義務のように思っていたわ……」
一転、互いの懺悔。
それぞれが、どうしてその時にもっと深く考えなかったのか。想いがずれていることを、どうして確かめなかったのか。
そうしていれば、すれ違わなくて済んだのにと言葉を重ねる。
「でもね、キャサリン。たった今、あなたと同じに思っている娘が居るわ」
「自分の気持ちじゃなく、母さんを喜ばせるための言葉?」
「そうね。ドールはあなたの娘。自分よりも、あなたやベネットの気持ちを生かそうとしている。優しい子よ」
「……ええ。優しくて可愛い、私の娘よ」
「愛しているわ、キャサリン。ドールを大切にしてあげて」
おばあちゃんの腕の中に、キャサリンは飛び込んでいった。「もちろんよ」と。「私も愛してる」と。
光の人形のようだったおばあちゃんの姿は、煌めく粒になって消えていった。そのあとには抱き合ったキャサリンと、ドロシーの姿が残る。
「ママ、ごめんなさい。私、寂しかったの」
「ドロシー、悪いのはママ。あなたが謝ることなんて、なにもない」
二人は泣いて笑う。その脇にベネットもしゃがみ込んで、覆いかぶさるように愛する家族を抱きしめた。
人形たちはその周りを、ぐるぐると回り始める。メロディーは陽気に変わって、私もルナと視線を合わせて頷きあった。踊りなんて知らないけれど、楽しく手足を動かした。
いよいよハンスが歌い始める。驚いたことに、マギーとビスクドールたちまでも。
「踊れ私の娘たち。いつまでも手を取り合って。家族の誰かが笑っていれば、みんな釣られて笑い出す。それが私たち、それがドールの家。可愛い我が子は、我が家の女王」
人形たちの
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