第83話:深く悩めばこそ

 キャサリンの気持ちは分かる。私が同じ環境にあったら、同じように考えて同じ人生を生きたかもしれない。

 でもだからと、今この状況を仕方ないとは言えない。子どもの立場が親の価値観によって、どう決められてもいいなんて話はないはずだ。


「――ねえ。そんなにおばあちゃんの人形が嫌いだったの?」


 自分でも意識しないまま、私の口は問うていた。その先にどんな見通しがあるわけでなく、素直に聞いてみたかったのだなと我がことながら納得する。


「嫌いよ。決まっているでしょう」

「じゃあ、どうしてあの子たちを売らなかったの?」


 木箱の上に立って、じっと成り行きを見守っているビスクドールたち。他の人形が売れるなら、この子たちはもっと高値が付くはずだ。


「だから、それは――母さんからドロシーへって、贈り物だと分かったから」

「そうなんだ。じゃあ、あの子は?」


 今度は机の上のケイトを指した。糸の切れてしまった操り人形。古い物で、全くの他人が見ればゴミだと言われてもおかしくない。


「あれは母さんからもらったけど、母さんが作った物じゃないわ」

「やっぱり、おばあちゃんのことは嫌いじゃないのね。作った人形が怖いだけで」

「さっきから、そう言っているわ。なんだって言うの」


 聞かれても私も分からない。ドロシーのことを思うと、どうにかしなきゃと思っているだけだ。だからこれは、単なる時間稼ぎなのかもしれなかった。


「どう、っていうか……」


 言葉に詰まる。見通しなくアドリブ的に話しているだけだから、当たり前だ。

 沈黙した中を、ネズミたちが走る。彼らにも明確な意図はないのだろう。その時に気になったところへ、素直に向かうのが彼ら。集団の中に青いリボンを探してしまうのも、また同じだ。

 キャサリンの近くを通って、彼女は鬱陶しげに手で払いのける仕草をする。


「ねえ――」

「今度はなに」

「もしかするとそうかなって思ったんだけど、違ったらごめんなさい」

「これだけ好き勝手してるくせに、今さらね」


 仲間思いのネズミたち。ひょっとして、彼らと同じなのかも? それもまた、単なる思いつき。


「あなた。人形が怖いんじゃなくて、憎いんじゃないの?」

「……憎い? 人形が?」


 キャサリンの形のいい眉が、中央に寄せられる。そんな顔をしても、いかにもキャリアという感じの美人さんだ。ポーのママの、ふんわりした感じとは違う。

 ドロシーも将来は、こんな女性になるのかもしれない。


「おじいちゃんの態度とか。おばあちゃんもそれにかかりきりだとか。他にもきっとあった嫌なことを全部、人形のせいだと思ってるんじゃないのかな」

「はあ――?」


 なにをわけの分からないことを。そんな問いの形をした視線の槍で、キャサリンは私を突く。

 私としては、手当たりしだいに集めたはずの言葉を、積めば積むほど確信に変わっていった。

 まあこれを世間では、思い込みと言うのではある。しかし言ったところで、先に謝った以上の被害はないはずだ。

 そんな言いわけも自分に施して、ようやくそれを口に出せた。


「おばあちゃんが好きで、ドロシーも好きで。でも二人とも自分を見てくれなくて、それを人形のせいだと思ってるんじゃないの?」

「そんなこと……」


 反論は最後まで言葉にされなかった。キャサリンは強情に、首を横に振り続ける。

 いやたぶん、彼女としてはそれが本心なのだろう。自分がなにを考えているのかなんて、本当は誰も分かっていないのだ。

 でもそれでは、話がここで終わってしまう。ドロシーには、やはり居場所がない。ベネットの言うように物別れに終わるとしても、なるほどそういうことならとはとてもならない。


「え、と。ドロシーのママ?」

「キャサリンよ」

「ごめんなさい、キャサリン。私の友だちが」

「本当にね」


 急に言ったのはルナ。突然、私の保護者みたいなことを言い出して、キャサリンも思わず普通に応答をしている。

 本気で私の謝罪をするように、神妙な顔。そこから「でもね」と、すぐにいつものルナに戻った。


「私もヒナに教えてもらったの。本当に、本当に困って悩んだ時は、なにが正解か自分でも分からなくなるって。そういう時は、周りに居る誰かのほうが、正解に気付きやすいって」

「あなたも、あの子と同意見ってことね」

「勝手な決めつけだったらごめんなさい。でもキャサリンもそう決めつける前に、もう一度自分の心に聞いてみて」


 そうまで言われれば、キャサリンも撥ねつけはしなかった。「自分の心に――」と呟いて、静かに目を閉じる。


「誰かに無理やり引っ張り出してもらわなきゃ分からないことって、あるものだよ」


 控えめに笑ったルナの言葉に、キャサリンも静かに頷く。

 少しの間、誰もが沈黙していた。みんなキャサリンを見守っている。そんな空気を変えるのは、いつだって彼だ。

 最初はひとつ、中音が長く響いた。それが消えるころに、またひとつ。ゆっくりと優しくメロディーが奏でられていく。

 今度はさっきよりもリズム良く、けれどもとても柔らかに。それはさっきの舞踏会の曲。おもちゃの兵隊たちも、少しずつ演奏に加わっていった。


「私は、悔しかったのかもしれない……」


 キャサリンの零した、呻きのような声でさえ遮らない。静かで優しい演奏は、今度は止められない。

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