Chapter 07:夢の世界へ

第79話:むすめとむすめ

 時に身悶えし、時に手足をバタつかせたこれまでと違って、見た目にそれは静かなものだった。

 低く。地の底から滲み出るような、薄い唸り声。それはドロシーの声帯を震わせたのでなく、弱った肺や喉の悲鳴であるらしい。空気をやっとのことで啜るような呼吸。吸っているのは毒気なのかと思うほど、一瞬ごとに顔をどす黒く塗り替えていく。


「ねえ、お医者さまは!?」


 居たところで、このドロシーの症状をどうにか出来るとは思えない。でも専門知識のある人ならば、私たちの気付かないなにかが出来るかもしれない。

 それは神頼み的な責任転嫁なのだろうけれど、だから言わないというのも無理だった。


「あ、え? お医者さま?」

「呼んでって言ったじゃない!」

「――君も見ていただろう。私たちは、どこへも連絡していない。医者も来るはずがない」

「なに言ってるの? あなたたちの娘でしょう?」


 とは言ったものの、そうだったと認めるしかない。いくら腹を立てても、やっていないことに結果は着いてこないのだ。


「連絡はしています。しかしこの町にお医者さまは居ないので、まだ時間がかかります」

「――そっか」


 ダイアナが独断で、やってくれていたらしい。それでも時間がかかるのだけは、どうしようもない。やはり私たちでどうにかしなくてはいけないのだ。

 とりあえず、ルナとポーにこちらの様子を伝えよう。そう思って、大きく息を吸い込んだ。


「……みんな、母さんがいけないのよ」


 子どもみたいにぐすぐすと泣く声が、急速に膨らんでいく。見えない風船を押し付けられるような息苦しさが、部屋を満たす。

 手で、腕で、何度も目を擦りながらキャサリンは泣く。


「おばあちゃんのせい?」

「そうよ。最初はペンのカバーを作ってくれるくらいだった。それがいつの間にか、ちゃんとしたぬいぐるみを作るようになって。家の中が、布と木とプラスチックで溢れていった」

「それはあなたに使ってもらおうってことじゃないの? あなたが喜んだから、もっと作ろうって」

「ええそう。私だけじゃなく、父さんにもね」

「だったら――」


 私の母は、それほどこまめではなかった。そんなでもお弁当や体操服を入れる袋はなんだか暖かくて、ずっと大切にしていた。

 そういうものではないのだろうか。


「なんにだってね、程度ってものがあるでしょう」

「作りすぎってこと?」

「そうね、それもある。父さんと母さんの部屋は人形で埋もれて、父さんが亡くなった時にはどれが父さんだか見失いそうだった」


 それはまあ、度を越しているとは思う。でもそれとこれとは関係がない、と返す前にキャサリンの言葉が続いた。


「けどそれも、今となっては可愛いものよ。母さんの人形は生きているって、評判になり始めた」

「それほど上手になったのね」

「とてもね――だって母さんの人形は、本当に生きていたんだもの!」


 突然の絶叫。堪えていた感情が、急に絶頂を迎えたようだ。

 でも、本当に生きていた? それはまるで、私がドールの国で出会った人形たちのように聞こえる。


「生きているって、まさか歩いたり歌ったり?」

「その通りよ。誰も居ない部屋の戸を開けると、人形たちが歌ってる。お喋りしてる。踊ってる。それで一瞬、目を疑って、見直すとなにごともなかったかのよう。一度や二度なら、夢でも見ていたのかと思うわ。でもね、毎日なのよ……」


 今また目の前にその光景でも見えたのか、キャサリンは両手で顔を覆ってしまった。

 それが現実から逃亡する手段となったのかもしれない。声をかけても、返事をしなくなった。


「そこからは僕が話そう。妻がまだ同じ家に住んでいるうちは良かったんだ。独り暮らしを始めて、お父さんが亡くなり、僕と結婚してドロシーが産まれた。きっとそういうことが、お母さんは寂しかったんだろう。人形を作るペースが加速度的に上がっていった」


 森の主。おばあちゃんは、聞いているのだろうか。私のことを言われているなら、なにか弁明でもしているところだけど。

 気持ちが分かる、と言えば嘘になる。私はまだ、親しい誰かが居なくなったという経験がない。実家は出ているけれど、子の立場とすればいつでも戻れると気楽なものだ。

 ただ、寂しいだろうなと想像するのは難くない。新しい肉親の、幼いドロシーへその気持ちが向くことも。


「お母さんは、ドロシーと人形とを遊ばせていた。人形で遊んでいた、のでなくね。実際に動いたりしたのを見たことはないが、妻の言っていることが本当だとは僕も信じたよ」


 それなら。おばあちゃんの気持ちを考えないならば、ドロシーを連れて行かない。自分たちも会わないという方法もあったはずだ。

 少なくともあの写真が撮られるまで、五年間くらいは、ここへドロシーを連れてきていた。

 やっていることが、ちぐはぐだ。


「じゃあどうして、あの写真があるの。連れてきてたんでしょ」

「ああ……妻が妊娠する直前に、僕は事業を起こしていてね。妻も手伝ってくれていて、忙しい時に預けていた」

「なるほどね、よく分かったわ」


 本当に、実にとても大変に理解出来た。


「あなたたち夫婦は、自分のことしか考えてないってことがよく分かった」

「な、なにを言い出すんだ」

「自分たちがなにを言ったのか、理解してないの? だからそんなことが言えるんでしょうけどね」


 この二人はダメだ。こんな話をしていても意味がない。そもそも、そんな余裕もないのだ。

 さっきの予定通りルナとポーを呼ぶために、洋服タンスの中を覗く。するとこちらにも、泣き声が響く。「パパ、ママ――」と。

 しとしとと、全身を濡れそぼさせる霧雨のように。

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