第77話:運命を繋ぐもの

「あなた――あなたには、ミントが見えるの?」

「もちろんですとも。私はあるじさまに雇われた、ただのお手伝い。けれどもずっと、傍に居たのですから」

「おばあちゃんに?」


 お手伝いさんは、こくりと頷く。夫妻は知らなかったらしく、驚きの声と顔を向けていた。


「でも今は、そんなことを話している暇はありません。そのビスクドールやフォトブックが必要なのでしょう? あちらに居るドロシーを助けるのには」

「え、ええ。そうだと思うけど……」


 こちらの世界で、ベッドに眠っているドロシー。あちらの世界で、床に倒れた女王。なにがなにやら分からずに立ち尽くすベネットと、座り込んだキャサリン。それぞれに素早く視線を走らせた。

 指示されていたとは言え、ポーを追い返したのはこのお手伝いさんだ。信用して、いよいよという時に妨害されては困る。


「ひとつだけ答えて」

「なんでしょう」

「あなたは今、どうしてここに居るの」

「それはもちろん、主さまに頼まれたからです。自分が死んだあとも、ドロシーを守ってほしいと」


 言い放つ表情には、笑みの欠片もない。古い物語に出てくる騎士たちがそうであったように、主君とその命令を守るためならば、どこまでも非情になれる。そんな顔だ。


「……分かった。手伝って。あなたの名前は?」

「ダイアナと申します」


 ああ――。

 すうっと息を吸って、私も彼女に大きく頷きを返した。すると彼女はひらりと翻って、テーブルの木箱を運んでくる。


「しかしどうすれば。このまま落としたのでは、壊れてしまいます」

「うん、そう。慎重に下ろせるように、長いロープでもあればいいんだけど」


 タンスを覗いて、ダイアナは高さを確かめる。でもすぐに、首を横に振った。


「十ヤードほどの物ならばありますが、これほどの高さは、繋げても間に合いません」

「そうだね……」


 ルナたちの居る床まで、五十メートルはあるだろうか。そんなに長いロープなんて、一般家庭に常備してあるはずもない。

 ロープでなくたっていい。服やカーテンを結んで――いや、それでは時間がかかり過ぎる。

 なにか、長い紐のような物。そんな物が都合良く……あった。


「これはどうかな!」

「これと言いますと?」


 背負っていたリュックを下ろして、中身を床にばら撒いた。そこにはポーの、釣り竿がある。これなら強力なナイロンの糸が、何十メートルも巻かれているはずだ。


「釣り糸ですか。長さは十分でしょうが――」


 なんだろう。まだなにか問題があるのか、私には分からなかった。ダイアナは数拍ほどを沈黙して、「少々お待ちください」と部屋を出ていく。

 と思ったら、すぐに戻ってきた。手にはロープと金槌と、なにか金具のような物が見える。


「このロープで、木箱を括ってください。出来ますか?」

「出来ると思うけど、それは?」

「見てのお楽しみです」


 そんなセリフを言うなら、少しは笑ってほしいものだ。まあもちろん、そんな余裕はないのだけれど。

 言われた通りに、木箱に蓋をしてロープで括った。吊り下げてもバランスが崩れないように。

 ダイアナは持っていた金具を、壁に打ち付けているようだ。家主の許可はないようだけど、大丈夫だろうか。


「出来た!」

「こちらもです」


 見るとそこには、小さな滑車が二つ。それになんの意味があるのか、私にはまだ分からない。


「釣り糸を通してください。糸にかかる負荷を減らします」

「あっ、そういうことね」


 木箱はそれなりに大きくて重い。私では、持てなくもないというくらいに。そんな物を釣り糸に提げれば、重さで切れてしまう可能性が高い。

 理解すれば納得だし、すぐに気付いたことも対処を考えたことも、すごいと思った。現役で学生をやっている私なんかより、よほど頭の回転が速い。


「そうです。竿のしなりも利用しましょう」

「こうね……いけそう」


 試しに床から十センチほどの高さで、吊り下げてみた。重くはあるけど、なんとかなりそうな気がする。


「じゃあ今度は本番。ゆっくり離してね」

「心得ております」

「お、オイラも行っていいかな――」


 私に付いているという役目を放り出していいのか、案じたのだと思う。ミントは遠慮がちに言った。

 彼にとってなにより大切なのは、やはり女王さま。ドロシーなのだ。それは痛いほど分かる。だから止める理由はない。


「そうだね。せっかく下ろしても、気付いてもらえないと意味がないから。頼める?」

「お、おう! 任せとけ!」


 ダイアナが抱える木箱に、ミントは勢いよく飛び乗る。

 お願いだから、下ろしている間は動かないでね。


「ダイアナ、いいよ」

「いきます」


 木箱はタンスの底を通り抜けた。慎重に、でも速やかに、切れないことを祈りつつ、私はリールを動かした。

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