第74話:世界を繋ぐカギ

 ページをめくる。どうやらこれはスクラップブックのように、元々は無地のページばかりの物らしい。

 今はそこへ、一ページに一枚ずつ、写真が貼られている。台紙のほうに二箇所の切り込みが入れられて、そこへ写真の角が差し込まれて。その裏から小さな紙を貼って、固定してある。

 写真には糊を付けないように、とても丁寧に作業してあることが窺えた。

 最初の写真は、私やルナよりもう少し歳上っぽい長い髪の女性。たぶんキャサリンだ。ちょっと照れたような困ったような顔で、大きなバッグと共にどこかへ出かけるところらしい。背景はまだ、この家ではないらしい。


「私が大学を出て、就職した時だわ。こんな写真、まだ残ってたのね」


 そのページにはひと言、娘が巣立ったと書いてある。次のページを見るとやはり同じ位置に、成長とあった。どうやら一枚ずつに、タイトルがあるようだ。

 でも、これが成長?

 写っているのは、やはりキャサリン。一枚目とは雰囲気が違う。長かった髪がバッサリと短くなっていた。問題は、どう見たって泣き腫らした顔ということ。拗ねたところを無理に笑わされたのだろうか、ひきつった表情がなんとも言えない。


「いやだわ。それ、仕事を辞めた時のじゃない。そんな写真、撮ったかしら」

「撮ったみたいね」


 そうだ。しかもそれを、おばあちゃんは娘の成長と捉えたのだ。きっと当人としては、一刻も早く忘れたい出来事のはずだけれど。

 たった一枚で、込められた気持ちが溢れるような写真だ。いま目の前にある、キャサリンの苦笑いも含めて。

 その次も、その次も、キャサリンのちょっとした出来事の写真だった。また新たな職に就いた時、そこでベネットと出会ったころ。

 興味深くはあったけど、このままゆっくり眺めている暇はない。ドロシーの呻き声は、いよいよ叫びと呼べるほどになってきた。顔色も、ビスクドールに近付いていく印象だ。


「――あっ、ドロシーが産まれた」

「そうね。一ヶ月くらいだったかしら」


 写真にドロシーが登場してからも、しばらくはベネットもキャサリンも、まんべんなく写っていたように思う。

 けれどもどこからか二人が写らなくなって、逆におばあちゃんとドロシーが写るようになった。キャサリンとは、あまり似ていないかもしれない。柔らかそうなほっぺがふんわりと笑う、優しそうなおばあちゃんだ。


「これは誰が撮ったの?」

「さあ――」

「キャサリンも知らないなら、オートシャッターだろうね」


 四、五歳だろうか。幼いドロシーとおばあちゃんが、この本を傍らに写真を見ている姿があった。どうやらとうとう、写真の撮り手としても親二人は登場しなくなったらしい。

 そのあとに数枚ほど、きっと近い日付けで撮った写真があって、ページは終わっている。最後の写真は、ドロシーがお裁縫をしているのだろうか。手元を真剣な顔で見つめている。おばあちゃんはやっぱり愛おしそうな、優しい顔でそれを眺めている。


「これ、あの布じゃないか?」

「うん、そう思う。ビスクドールたちのドレスだよ」


 ミントも気付いたようだ。ドロシーが縫っているのは、チェッカー柄の布。

 おばあちゃんの真似をしたかったのか、それとも大切な人形にプレゼントをしたかったのか。


「あの人、同じところから持ってきてたよ」

「ビスクドールと同じ場所に、ドレスもあったの? おばあちゃんは、とても大切に思ってくれてたのね」

「あ、あなた。本当にどうしてそんなことが分かるの。誰と話してるの」

「――ドロシーの友だちよ」


 あちらの世界が、たった今どうなっているかは分からない。でも少なくともミントは、ドロシーが自分で創った世界に住まわせたいと思った住人の一人だ。

 その時点では、この二人よりもよほど信頼が厚いのだろう。でも結局ドロシーが心の底で得たいのは、この二人の愛情だった。

 それはきっと正しい。子の求愛に本来答えるべきなのは、親なのだ。

 でもその二人には、ミントの姿が見えない。あちらの世界のことも、なに一つ知らない。そしてドロシーが目覚めたとしても、なにも知らないままに新たな時間を過ごしていくのだ。

 それがどうということはない。見えないことそのものは、二人のせいではないのだから。

 でもどうしてだか、分かりきった理由で、苛立ちを隠せない。


「それで? そのフォトブックが、どうかするのかな」


 これだ。もう責任は全て私にある、みたいな言い草。

 私だって、なにも分からないままここに居るのに。ドールの国へ行ったことも、そこで出遭ったことも、ここへ来たことも。確証なんてないままに、体当たりしてきただけなのに。

 そんなことを言われても、答えられるはずがない。


「分からないわ。本はまだ三冊あるもの」


 そちらになにか、あるのかもしれない。でもそれなら、この本を森の主が示したのはおかしい。

 疑念に駆られながら、最後のページをめくった。そこにはもちろん、裏表紙の裏、見返しがある。


「私の家族。私の全て。私の可愛い子どもたち。どうかいつまでも、笑っていて。どうかいつまでも、手を取り合って。ずっと見守るから、どうかドロシーに楽しい時間だけが訪れますように」


 やはりサインペンで、ひと言ずつ書いたのだろう。段々と字が崩れては、また戻る。そんな文章を読み上げると、バタンと大きな音が響いた。

 この現実のドロシーの部屋で、ひとりでに洋服タンスの扉が開いたのだ。

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