第69話:感情を封じた匣
「本当にどこで嗅ぎつけるのだか……」
「あの家はまったく。自分たちの娘だけでなく、その友人まで利用するのか。彼らに恥ずかしいという感情はないのか」
私を見据えて言っているけれど、どうもそれは私にでなくキャロル家のパパとママへの当てつけらしい。
どうしてそういう話になるのか……。
「ポーリーンというのは、前に我が家へ忍び込んだ子ね」
「そんな、ポーは忍び込んでなんか――!」
「その時にうまいことを言って、調べてでもいたの? 小さな子だと思って、大目に見ていたのに」
キャサリンは怒りを隠さずに、罵る言葉を吐き出していく。ベネットもそれを窘める気はないらしい。うんうんと頷いていた。
「母はこの町に来てから、人形作りなんてしていないはずよ。どこで聞いたの」
「母――あなたのお母さん? 人形作りなんて、知りません」
「ビスクドールのことだけ聞いたの? あれがいくらで売れると聞いたのか知らないけど。そういう情報を流してる誰かが居るのね!」
「見せしめにするようで悪いが、君の迎えはポリスに来てもらうとしよう。罪にはならなかったとしても、厳重に注意をしてもらえるからね」
なにを言っているのだか、理解出来ない。
どうやらあのビスクドールには、金銭的な価値があるらしい。それを私が不当に手に入れようとしていると考えて、非難している。
それは分かる。
でも、どうしてそうなるの? 私はそんなことをひと言も言っていない。私はただ、ドロシーが死んでしまうのを止めたいだけなのに。
「……今さら泣いても遅いわ。それとも、それも演技?」
「お、おい。キャサリン」
視界がなんだかぼやけると思ったけど、そうか私は泣いているのか。
これはなんの涙だろう。
伝わらなくて悔しい、からじゃない。ポーやキャロル家のみんなが貶されたから、でもない。
「どうして?」
「んん?」
「どうしてあなたたちは、そんなことが言っていられるの?」
「おかしなことを言うね。こんな時間に、犯罪まがいの被害を受けているのは、こちらのほうだよ」
そうじゃない。やはりあなたたちは――
「娘が。ドロシーのことが、心配じゃないの?」
「そんなことでごまかそうとしてもムダだよ。いい加減に私たちの娘の名前を利用することだけでも、やめてもらえないか」
「嘘。そんなこと、あなたたちは考えてない。自分たちの理屈に合わないことに、腹を立てているだけよ」
私はひどいことを言っている。でもたぶんこの人たちは、真実を指摘しないと認められないのだ。
他人の真実を自分の都合に捻じ曲げられるのだから、自分を欺くのなんて息をするようにやっているのだろう。
言いわけも勘違いもしようのない、ずばりそのままを言うしかないのだ。
「なかなか大胆な子だね。自分の立場を分かっているのかい? 電話をすれば、ポリスの一人や二人はすぐに来るんだ」
「もういいわ! 電話しましょう!」
せめても私は、言葉に感情が乗らないよう話している。それをキャサリンは明らか威圧的に、ベネットは声を低く威圧するように、押さえ込もうとする。
「すればいい。そうしたらあなたたちは、満足するんでしょう? でもさっき言った通り、ドロシーはもう危ないわ。きっとあと数時間も――」
しまった――。
そうだ、ドールの国では時間の進み方が違う。たしかこちらで一日経つ間に、向こうでは一年が過ぎると言っていた。
するとええと、向こうの一日はこちらの四分? そんな時間が過ぎているのなら、ドロシーはもう……。
「急に黙って、どうした」
「ドロシーは、もう死んでしまったかもしれない――」
「滅多なことを言わないで。そりゃああの子は……病弱だけど」
ああ、どうしてこの二人はこうなってしまったのだろう。私が信用出来ないこととそれとは、別の話だろうに。
「ねえ。どうしてドロシーの様子を見に行かないの? 私はさっきから、ドロシーの命が危ないと言ってる。今なんて、死んでしまったかもとまで言った。なのにどうして、二階に居る我が子の様子を見に行かないの?」
涙が勝手に、はらはらと流れていく。頬に出来た川が、喉から胸元に流れ込んでくるのが分かるほど。
理解という言葉のない親子が、こんなにも虚しいものだとは知らなかった。そんな中を死んでいく子が、こんなにも哀れだとは思わなかった。
「それは、どう考えても君の言い分が嘘だからだ」
「そ、そうよ!」
さすがにハッとした表情はしていた。しかしそれだって、親としてどうなのかと世間的に通じる常識的行動を問うたからだ。そうとしか思えない。
「じゃあ見に行けばいいでしょう。私は逃げたりしない。二人のうち、どちらかが行けばいいんだし」
「あ、ああ、そうするさ。見てきてくれキャサリン」
「え、私が? 分かったわ――」
キャサリンはためらう様子を見せたものの、渋々という感じに部屋を出た。でもその扉の向こうには、あのお手伝いの女性がずっと様子を窺っていると、ミントが教えてくれる。
「オイラには、音と臭いで分かるんだ。今二人で、上がっていったみたいだな」
待っている間、ベネットは私を睨みつけたままだ。ミントは二人の女性がどこを歩いているのか、実況してくれる。
「お。降りてきた。けど、向こうに行っちゃったな。なにかの扉を開けて、木の箱でも触ってるらしいなぁ」
このタイミングで木箱。となると考えられるのは、ビスクドールの様子を見に行ったくらいしかない。
それもすぐに終えて、お手伝いさんは扉の外に、キャサリンは部屋に戻ってきた。
「どうだった――ん?」
妻は夫に、なにやら耳打ちした。聞いたベネットの表情が曇る。
「まさか、ドロシーになにかしてから来たんじゃないだろうね」
「えぇっ、どういうこと?」
「娘はひどく苦しんでいるようだ。それこそ君の言うように、死んでしまうのではというほどね」
この人は一体、なにを言っているの。そんなこと、あるわけがないのに。
「キャサリン、やはりポリスに」
「なにを言ってるのバカ親! お医者さまでしょう!」
生きてる。ドロシーはまだ生きてる。それなら急げば、間に合うかもしれない。
「あなたはそっちの部屋にある、ビスクドールを早く持ってきなさい!」
「ど、どうしてそれを!」
「説明はあと! 今ならまだ間に合うかもしれないわ、私をどうこうするのはあとで考えなさい!」
「待て、君が嘘を吐いて」
「まだ言ってるの!? どうしても嘘だと思いたいなら、私の言うようにしてみればいいじゃない! 今あの子を助けられるのは、私しか居ないわ!」
そこまで言っても、二人は動かない。どうしたものか葛藤してはいるのだろう。唇を噛んで、視線が互いを見たり天井を見たり。
「早く! 人形を持ってきなさい!」
先ほどの扉を指さして、行けと命令する。それでようやく、キャサリンはおたおたしながら走っていった。
彼女はすぐに戻ってきて、後ろにお手伝いの女性が大きな木箱を抱えていた。
「君が嘘を吐いていないか、見届けさせてもら」
「うるさい! あなた仕事でも馬鹿にされるでしょう! 理屈なんて、あとからなんでも考えればいいのよ!」
我ながら余計なことまで言ったものだ。でもおかげで、ベネットは黙ってしまう。後悔は全くしていない。
木箱はテーブルの上に置かれた。私は蓋を外して中身を確認する。
「あれ――ビスクドールは、これだけ?」
「そうよ。我が家にあるのは、その四体だけ」
「そうなんだ、じゃあこれでいいのかな……」
「なにか?」
「私が見たのは、チェッカー柄のドレスを着ていたから。赤い子と黒い子」
目の前にあるのは、いかにもアンティークという感じの豪奢なドレスを着た子たち。顔は似ていると思うけど、服が違うと自信が持てない。
「赤と黒のチェッカー柄のドレスね?」
「あるの?」
「ええ、すぐに持ってくるわ!」
どうしたのだろう。急にキャサリンの話し方が変わった。人形たちを見ていて気付かなかったけど、今どこかへ行くのに一瞬見えた表情も、とても驚いていたように思う。
「奥さま、私が!」
「お願い!」
お手伝いの女性が代わりに行くと言って、キャサリンは戻ってきた。ベネットも様子の違う妻に戸惑った様子だ。
「ベネット。この子の言うことを信じてみましょう」
「え、えぇ?」
「ドロシーの様子は、ただごとじゃなかった。もしもあれを、おまじないでもなんでも治せると言うなら、やってもらえばいいわ」
ベネットは不承不承、「君がそう言うなら」と受け入れる。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったわ」
「雛子です。ヒナと」
「そう、ヒナ。私はキャサリン。これでもドロシーの母親なの」
ほんの少し前までの、あのピエロ姿のケイトと同じヒステリックな姿。そんなものはもうどこにも見えなくて、救いを求めるような濡れた瞳が、私を見つめる。
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