第64話:女王にささぐ唄

 ひと際大きな揺れと音。間違いなく、大規模な崩落が起きたのだろう。今この城は、どれほど姿を留めているのか。

 残ってくれたジョー。集まっていた町の人形たち。女王の支配下に置かれたみんな。誰も怪我をしていないといいけれど。

 なんと言っても、この世界では絶対のはずの女王でさえ、足元をふらつかせたくらいなのだから。


「あのね、まず謝ろうと思うの。あなたの部屋に入れてもらったあと、私はあなたに会うのを諦めてしまった。言いわけにしかならないけど、あなたの迷惑になるんだと思ったから」


 一歩ずつ、足の裏で罠でも探しているかというくらい慎重に、ポーは進んだ。そうしながら話すことは、どう聞こえているのか。

 女王はしかめ面で、魔法の杖をこちらに向け続けている。ただそこに集まった光を、今すぐに放とうという気はないらしい。


「ポー、続けて!」


 四人のビスクドールたちが、まさしく四方からポーへと飛びかかる。邪魔をさせるわけにはいかない。それにこちらも、四人を捕まえるのが目的なのだ。

 打ち合わせたわけでもなく、私とルナ、マギーとハンスは別々の相手に向かった。それからネズミたちも、だいたい等分くらいに四人を応援してくれる。


「あなたたちを、ドロシーの心に戻したいの! お願いだから、おとなしくして!」


 そう言ってしまってすぐに、はっと気付いた。

 これではダメだ。こんなことを言ってはドロシーの気持ちを察しろなんて、誰に言えたものか。

 案の定、と言うべきか。目の前の赤いビスクドールは、身体をびくっと仰け反らせるように一旦離れた。


「▲▲△!」


 なんだか分からないけど、怒りとか悪意とかしか感じない言葉が投げかけられて、猛然と私に突っ込んでくる。

 転ばせようというのか、足元をすごい勢いで右へ左へ。

 つかまれないように、避けた拍子に蹴飛ばさないように。そう思って動くと、なおさらバランスを崩してしまいそうだ。


「任せて!」

「ソーダ!」


 ドロシーから名前をもらったネズミの一人。ソーダが仲間たちと一斉に、赤いビスクドールにのしかかっていった。

 一人ずつの力はそこまででなくとも、腕一本を二人ずつくらいで押さえていて、かなり動きを制限した。

 そこへ私も手を貸せば、さすがに逃れることは出来ないようだ。


「ごめんなさい、無理やりにするつもりはないの。でもこうでもしないと、話を聞いてもらえないから」

「▲▲▲! ▲▲▲!」


 ちらと周りを見る。ルナもうまくネズミたちと協力して、赤いビスクドールを押さえている。マギーとハンスは、もう少しだろうか。


「私を離せぇっ!」


 女王が叫ぶ。

 と同時に、つかんでいた人形の姿が消えた。たしかにあった硬い感触が、そんな物は最初からなかったというように。


「そうよ。それは見失ってしまった、あなたの一部。心の欠片なの。だからドロシーが持っていなきゃ」

「うるさい! 私はドール。この世界で生まれ、この世界を守ってきた。私は最初から今まで、なにも変わっていない。なにも失っていない!」

「思い出して! あなたは、好きな気持ちを忘れたくなかったんだわ。私だって叱られた日は、繰り返し唱えるもの。私はママが好き。ママは私が好きって」

「思い出すことなんて……」


 急な頭痛を耐えるように、女王は額に手を当てた。顔も少し伏せられて、視線がこちらを向いていない。

 チャンスだ。取り押さえるのだとすれば、だけど。

 でもそんなことを、私たちは望んでいない。ここまでと変わらず、一歩ずつをゆっくり近付いていくだけ。


「来るな!」


 持ち直した女王は、空いている左手を突き出した。すると消えたビスクドールたちが、再び姿を現す。

 黒い二人がまた、例のセロハンのような壁を作る。赤い二人は威嚇するように、両手をこちらに向ける。

 女王がまだそれ以上の命令をしていないからか、その態勢のままだけれど。


「――ねえ。マギー、ハンス。あなたたちは、なにかない? ドロシーがなにか思い出すようなこと」

「私は時計を抱えてただけだから……」

「僕も特にないねえ。僕に出来るのは、歌うだけだよ。ドロシーはいつも、僕の歌を聞いて眠ってたんだ。それだけさ」

「なに言ってるの、それだよ!」


 ハンスの賑やかな歌声が子守唄代わりなんて、想像もしていなかった。でもそれが事実なら、素敵な思い出だ。


「それ! 歌って!」

「構わないけど、ビウエラが――」


 それを歌うとどうかするのか、ハンスはぴんときていないらしい。でも楽器もないと言いかけて、「いや」と思い直した。


「そうだ、歌は僕の命だ。どうかしていたようだよ」

「うん、聞かせてあげて!」


 では。と前置いて、ハンスはビウエラを弾く格好を取る。エアギターならぬエアビウエラをじゃららんと、鳴らす仕草をした。


「ハンス、聞こえるよ。ビウエラが!」

「アラロロニーノ――アラロロジャ――」


 優しい歌声だ。なぜだか聞こえるビウエラの音色と合わさって、似たような言葉が繰り返される歌詞。似たような音節の繰り返されるメロディー。

 ゆっくりと、夜の海で静かに打ち寄せる波に耳を傾けているような。

 うっかり私まで眠ってしまいそうな、柔らかな子守唄。

 四人のビスクドールたちは宙に浮いたままふらふらと不安定に漂い始めて、ついには音を立てて床に落ちた。

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