第63話:信頼を得るには

「ドロシー! 私はポーリーン! あなたのお友だちよ! 今からそっちへ行くわ!」


 精一杯の叫びに、返事はない。ふうっ、と息を吐いて扉をくぐろうとするポー。その手を、ルナが握って引き止めた。


「ルナ……」


 見つめる妹に、姉はなにも言えないでいる。唇を噛んで、視線をどこに置けばいいのかも分からないらしい。

 するとポーは、もう一度大きな声で叫ぶ。


「ドロシー! 私は、あなたの気持ちを知りたいの! どうしてこの世界を創ったのか。どうして人形を増やすのか。あなたが考えていることを知りたいの! 一つひとつ、どんな小さなことでも!」


 だから手始めに、そちらへ行っていいかという問いにどう思うのか、それを言えということだ。姉を安心させるために保証が欲しいなんて言ったとしたら、そこで全て終わるだろう。

 けれどもやはり、返事はなかった。

 ただし、言葉では。代わりにまたあの音がして、開け放った戸が消え失せた。これをどう捉えるか。うるさい黙れ、と。そういう意味ならば、出ていくべきでない。

 果たしてポーは――「早く来なさいって言っているわ」と、笑って言った。彼女のしなやかで弾力に富んでいそうな脚が、かくかくと揺れ続ける。


「ル――お姉ちゃん。私ね、ドロシーとは最高のお友だちになれると思うの。でも、今の気持ちを聞かなかったら、それは無理なの。あとでじゃダメなの。今なの」

「うん、分かる。分かるよ。分かってる。だけどね、ポーは私の妹なんだよ。こんな、いよいよってところで言うなんて、おかしいけど……」


 ルナの視線がポーから外れて、私を見た。

 やだな。そんな目で見るのは、またにしてよ。普段からどうってことない、平凡な私だけど。今はおサルさんなのに。


「ルナ!」


 きっぱりとした声で呼んで、妹の手を握るルナの手を強引に引き剥がした。そのまま両手でその手を包み、目を合わせて言う。


「大丈夫だから! 絶対に、大丈夫だから!」


 こんなことを言って、取り返しのつかないことになったらどうするのだろう。我ながら、そこに計算もなにもなくて手が震える。

 自信満々な風に言う当人の手が、いちばん落ち着いていないって。どんな冗談だろう。


「うん…………」


 それなのにルナは、私の右手をぐっと握り返した。一度、目を閉じる。それからまた開いた目は、いつものルナだ。


「ポー。自分さえも信じられない時に、それでも信じられる友だちはね、一度だって出会えない人も居るんだよ。だから」

「うん、ドロシーを信じる。そうすればきっと、ドロシーも信じてくれるわ」


 頷き合うと、ポーはすぐに歩き出した。様子を窺うような素振りは一切なく、行進でもするように扉を抜ける。


「ドロシー! 次はそこへ行くわ! 待ってて! 私が行くまで待ってて!」


 その方向に、ドロシーが居るのだろう。ポーは私たちに、横顔を見せた。それに対して、ドロシーはどうしているのだろう。ポーが足を踏み出すのと同時に、私たちもそちらへ移動する。

 私たちの。私の前を歩く小さな背中。幼いポーに、なにもかもを負わせてしまった罪悪感。

 ――違う、それぞれに出来ることと出来ないこととがある。

 振り払って遠くへ目を向けると、前に見た洋服タンスのまだ先へ、途方もなく大きなベッドがあった。以前、豪華客船が寄港しているのを見に行ったことがあるけれど、間近で見たそれにも匹敵する大きさをこの距離から感じる。

 ではそこに腰かける女性も、どれほどの巨体なのか。キャンベルとファッジに両脇から支えられつつも、魔法の杖をこちらに向けるあの老婆は。

 彼女の名は、一体なんだろう。

 この国の、女王なのか。

 この世界を統べる、ドールなのか。

 それとも優しい、ドロシーに戻りつつあるのか。

 私には分からない。分かるとすれば、本人とポーだけだ。


「また! 私は一人なのに、みんな誰かと連れ立って!」


 魔法の杖に、光が集まる。それを見ただけで凍てつくような、青い寒々とした光。


「違うわ! みんなあなたを心配しているの! みんながあなたの気持ちを知りたがってる! どうしたらあなたが、ドロシーに戻れるのか!」

「わけの分からないことを! 私はドール! ずっと! ずっと! 一人で生きてきた!」


 ポーは立ち止まって、両手と両脚を大きく広げて見せる。自分は無防備でここに居る。そう示すためだろうか。

 きっとそうではなく、ポーは見せているのではと思う。居場所はここにあると。


「ディル! アンジー! ソル! プレス!」


 この部屋に、ビスクドールたちは見えなかった。それが呼びかけられて、宙に姿を現した。

 嫌な予感がする。

 この世界の人形たちは、たしかに色々と不思議な存在だ。でも共通しているのは、人形としての実体を持っていること。

 もしもこれが全て、夢の中の出来事だとしても、それを見ている私にはそこに居るとしか思えない身体を持っていた。


「やつらを捕らえなさい!」


 女王が命じると、ビスクドールたちが飛ぶ。同時に女王も、ベッドから腰を上げる。キャンベルとファッジは、それを手伝うでなく止めるでなく、そのままベッドに残った。

 感情の見えない二人の顔に、なぜだか哀しみを感じた。

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