第58話:凍りつくココロ

 その日を境に、ドロシーはポーが来るのを楽しみに待つようになった。


「私にも、友だちがたくさん居るの。ほら、この子はマギーよ」

「可愛いウサギさん! 他にも居るのね。クマさんは居る?」

「そういえば、クマは居ないわね。でもライオンとかトラとか、カメも居るわ」


 互いに少しずつ、自分のことを話して聞かせた。しかしドロシーがなにを悩んでいるのか、それは話さなかった。


「悩みというか――うーん、うまく言えないわ。それよりあなたのことを、もっと教えて。そうすればそのことも、きっと関係なくなるから」


 正直な気持ちを言えば、パパとママを責めることになる。その原因は自分であるのも、分かっている。

 だからそんなことを言ったところで、仕方がない。それよりもポーに言った通り、彼女自身のことや、ドロシーの知らないあれこれを聞いたほうが気も紛れるというものだ。


「分かったわ。つらくて我慢出来なくなるようなら、それよりも少しでも前に言ってね。約束よ」

「ええ。必ず言うわ」


 本当に大丈夫なのかと心配しながらも、ポーは引き下がった。これまで頑なだったのが一転して、その時には言うと誓ったからだろう。

 もちろん、その約束を守る気はなかったが。

 ポーはその日に学校であったことや、前の晩に家族と話したことなども話してくれた。それが出来ないドロシーへの、自慢話とは思わない。なにしろ自分から、話してほしいと頼んだのだ。

 ただしポーの友だちに、自分のことを話さないでと頼んだ。気持ちが通じたのはポーだけで、他の子どもたちにまでそれは及ばない。


「お友だちが出来たのは結構ですが、あまり長い時間を話してはダメですよ」


 その交友は、住み込みの女性にはすぐに知られた。なんとなく知られたくない気がしていたが、掃除やらで表に出ることも度々あるのだから当たり前だ。

 だが意外にも、相手は誰かとか、そもそも話してはダメだとか、そういうことは言われなかった。

 認められた。嬉しくなって、夕食の席では、ドロシーからポーのことを話す機会が何度かあった。

 それにも女性は「明るくて、いいお嬢さんみたいですね」と好意的に返してくれる。それはポーの元気すぎる、お転婆な部分をトリミングして話した成果かもしれないが。

 そうなると、ドロシーにも欲が出てくる。自分が外に出られないなら、中に来てもらえばいいのだ。

 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか。早速に言うと、女性は即座に答える。


「それはダメです。そうするとドールは、舞い上がってしまうでしょう。それはあなたの身体に良くないですから」

「そんなこと――じ、じゃあ時間を決めるわ。一時間とか、三十分でもいいから」

「ダメです。どうしてもと言うなら、ご両親に言ってください。それで良いとなったら、私がどうこう言うことではなくなります」


 仕事である以上は、パパやママに言われた通りのことをしなければならない。女性の都合も、分からないではない。

 けれどそう言われてしまうと、ドロシーには手の打ちようがなくなってしまう。我がままを言うことも、なにかをねだることも、もうしないと誓ったのだ。

 日を変えれば返事も変わるかと、二度か三度ほど聞き直した。朝起きてすぐだったり、寝る前だったり。機嫌の良い時を見計らおうと思ったが、よく考えるとそんな姿を見たことがなかった。

 しかしそのうち、好機がやってきた。

 いつも頼んでいる商店が食材やらを配達してくれたのだが、注文し忘れていた物があったらしい。

 予備もなくなっているので、買い物に行ってくると女性は出かけた。車も自転車もないので、歩きでだ。

 今なら部屋に通すことが出来る。女性の指摘した通り、ドロシーはそれだけで舞い上がってしまった。軽く咳こみながら、ポーの来訪を待ちわびる。

 五分、十分と、時間の経つのがやけに遅く感じた。急に時計が壊れて、進んでいないのかと何度も振って確かめた。

 特に何時に来ると、約束していたわけでもないのに。

 結果としてポーは、二十分ほどで現れた。いつものように窓を見上げる彼女に、ドロシーは大きく声を張る。


「ねえ、私の部屋に来て! 今なら入れるから!」

「いいの?」

「あなたを、みんなに紹介したいの!」


 少しばかり逡巡する風ではあったが、ポーは「お願いするわ!」と玄関に回った。錠を開けるために窓から離れ、一階に降りる階段の上に立った。


「げほっ――げほげほげほげほ!」


 ひとつ咳が出たと思うと、続けざまにしつこいほど止まらなかった。喉の奥が、あっという間に腫れあがるのが分かる。

 咳止めの液薬を飲んで強引に治めると、玄関の扉を開けてポーを迎えた。人生で初めての、ドロシーの来客だ。

 すぐに自分の部屋に招き入れて、人形たちを紹介し始めた。もう一度マギーから、全員をだ。

 ドロシーの計算では、住み込みの女性が帰ってくるのには二時間ほどもかかるはずだった。

 しかし一時間を過ぎたころ、玄関の扉を開ける音が聞こえた。気配がキッチンやダイニングに移動して、すぐに階段を上がってくる。そのままドロシーの部屋の扉がノックされた。


「ドール? 咳が出るんですか?」

「え、ええ……」

「入りますね」


 ポーをクローゼットにでも隠してやり過ごそうとか、そんなことも思い付かなかった。ダメだと言われているのを知っているポーが、申しわけなさそうに肩をすぼめているのが悲しい。

 女性は部屋の中を見回して、軽くため息を吐いた。頭が痛いというように、額の端に指が当てられる。


「あ、あのね――」

「すみません、お嬢さん。ドロシーの身体に悪いので、帰ってくださいね。病気だと知っているんでしょう? どういうつもりですか」

「ごめんなさい……」


 ドロシーの言いわけは、聞く耳を持たれなかった。ポーに常識がなくて、全て悪いような言いかたをされて、彼女は身を小さくしてしまう。この上なくいたたまれない気持ちが、ドロシーを襲った。

 追われるようにポーが外に出されて、女性はそれ以上なにも言わない。どうしてかと考えているうちに、身体が熱く火照っていく。

 咳が出て、目まいがして、身体が震える。息を吸う間もないほどに続く咳で、喉が破れるかと思うほどだ。

 女性が慌てて薬を飲ませてくれ、医師を呼んだ。注射やらなにやら、途中から覚えていない。


「そうか……気持ちは分かるが、困ったものだな。君には負担をかけるが、しっかり見張っておいてくれ」


 目を覚ますと、自分のベッドで横になっていた。部屋は暗く、廊下の明かりが部屋の中にも伸びている。

 入り口には女性と両親が居るようだ。どうやら今日のことを聞いたらしい。


「どこの子かしら。ご両親に言ったほうがいいんじゃない?」

「まあ、次があるようならね。今回だけは目を瞑ろう」


 ああ。パパとママは、その人だけが頼りなのね。私がどうしてあの子を呼び入れたのか、どうでもいいのね。

 全ては自分の体調のせいだ。パパもママも、それを案じての言葉だと分かっている。

 だが。理屈で分かるのと、そう感じてしまうのは別のことだった。

 そのあとドロシーがベッドを出るには、数日を要した。回復しなかったからでなく、眠り続けていた。

 いつも目覚めた時にそうしていたように、まずはマギーの首にある時計を見る。日曜日の朝。リビングに行くと、お土産を用意したパパとママが待っているはずだ。

 なるほど、こうすれば良かったのか。これなら誰にも迷惑をかけることがない。パパとママにも、良い子の姿だけを見せることが出来る。

 それになんだか、とても楽しい夢を見ていた気がする。内容は覚えていないけれど、ずっとそこに居てもいいような場所だった。


「きっとあの子は、悪魔に憑かれ――」

「やはり仕事が回らなくてね。近くに仮の家を持つことにするよ」


 それは誰が言ったのだろう。聞いたのは現実だろうか、夢の世界だろうか。

 ドロシーが目覚めることを忘れ、ドールが優しさを忘れるには、現実の時間で二ヶ月を必要とはしなかった。

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