第55話:森の主のすがた

 部屋の広さはちょうど、小学校や中学校にある図書室くらい。壁は全て本で埋まっていて、中央は背中合わせにした書架が三列、島状に設置されている。


「本が、いっぱいだね……」


 司書でも配置されているのか、入った扉の正面奥に立ち机があった。そこには持ち手が木で出来ている年季の入ったペンやインクが置かれ、足元にはやはりくたびれた木製のクズカゴが。


「これを全部見てる時間はないよね」

「うん。きっと見つける方法はあるから、考えないと」


 時間がないとルナの言った通り、これだけの本を一冊ずつ調べていては、時間がどれだけかかることか。

 現に言っている傍から、なにか大きな物の崩れる音が聞こえた。


「前に見た時は、難しそうな、分厚い本の形をしていたわ」

「うん、そうだったね」

「女の子の心が形になった物――絵本かな」

「ああ、それもありそうだね」


 ポーが言ったのは、森の主が水の形を変えた時の話だ。型から外したゼリーみたいで、かっちりとしていたわけじゃない。でも私の目にも、ハードカバーの古書のように見えた。

 絵本というルナの意見にも、説得力がある。心を示すのなら文字だけでなく、絵や写真のある絵本のような物が相応しい気がした。


「日記、とか?」


 ドロシーの気持ち。それがそのまま記されているのだとしたら、エッセイとかそういう物かとも思った。でもそれならいっそ、その時の気持ちを自分の言葉で書きつけた日記ではと考えた。


「なるほどね。でもそういうことなら、しっかりした装丁の絵日記というのはどうかな?」

「そうかもしれないわ。それも、錠をかける金具があるようなね」


 二人も賛成のようだ。

 部屋を見渡しても、特にこれと変わったところはない。まずは探して、ヒントになることに気付いたら、また話せばいい。

 探し方が決まって、ハンスとネズミたちを振り返った。


「あれ、どうしたの?」


 もう手近な書架を眺め始めているポーの脇に、ハンスも居る。けれどもネズミたちは、開けたままの扉の外に並んで、一歩も部屋に入っていない。


「どういうわけか、オイラたち入れないみたいだ」


 パインはそれを実証するように、足を踏み出そうとする。けれども、むぎゅっと。ガラス板にでも押し付けたみたいに、顔が歪んだ。

 ――こう言っては悪いけれど、ぶさいくな感じになって可愛い。


「そうなんだ……じゃあ悪いけど、そこで待っててくれる?」

「手伝えなくて悪いな!」


 ポーとハンスは、書架の低いところしか見ることが出来ない。ルナは奥から見てくると言った。

 だから私は入り口に近い壁際の書架の、最上段から順に調べる。

 とは言っても背表紙を目で辿って、さっき話したような本を探すだけだ。そのまま壁の端まで一気に確認した。そこからまた折り返して、二段目を。

 ――見ていくと、本の種類がてんでばらばらなことに気付く。料理のレシピ本があればコミック誌があって、なんだかタイトルを読んでもよく分からない学術書のような物まである。

 試しに、経済学と書いてある一冊を取ってみた。表紙を開けると、中は白紙。次のページも、その次も、そのまた次も。

 それではと隣にあった薄い絵本を見ると、これはきちんと中身があった。


「そういうこと、ね」

「どうしたの、ヒナ」

「ううん。ここもドロシーのイメージで創られた場所なんだなって思っただけ」


 ちょうど私の後ろの書架を見ていたポーは、その答えに「ふうん」と、それほど納得していない顔で頷いた。

 どういうことだか知りたくはあるのだろうけど、今はそれどころでない。彼女はそれを、よく分かっている。きっとこの中で一番、焦ってもいる。


「この部屋そのものがドロシーの心っていう可能性もあったけど。そうじゃないみたいね」


 独り言のように呟いた。しかしもちろん、これは森の主に言ったのだ。

 それから四人で、一通り調べた。時間としては、十分もかかっていないだろう。でも予想したような装丁の本は、錠の金具を抜きにしても一つもない。


「ああ、ドロシー。ドロシー……」

「推理が間違っていたのかな。それともそもそも、ここにそんな物はないとか」


 ドロシーの名を繰り返し唱えて、ポーはまた最初から書架を調べ始めた。ルナはその妹を痛ましげに見つめつつ、両手をこめかみに当てて思案顔だ。


「ううん、きっとここにある。ネズミたちを入れてくれない理由は分からないけど、あれは森の主がそうしてるんだよ。だとしたらヒントもちゃんとあって、私が見つけられていないだけなの」

「――私が、じゃないよ。私たちが、だよ」


 ルナの手がすっと伸びて、私の頬をぐいっとつかむ。「いたた」とは言ったものの、実際にちょっと痛いけれど、気持ちに少し余裕が出来る。


「あっ!」


 突然に、ポーが大きな声を上げた。どうしたのか聞く間もなく、彼女は走ってどこかへ向かう。

 すぐに行き着いたのは、立ち机。正確に言うと、その下にあるクズカゴの前へしゃがみこんだ。


「やっぱり……」

「どうしたの、ポー。なにか気付いたの?」

「ポー?」


 ポーは両手で、中から何かを取り出して胸に抱いた。私たちの問いには答えず、小さくなにやら呟いている。


「ダメだよ、こんなの。ドロシー、こんなことダメだよ……私がきっと助けるから。きっと」


 喉に詰まったようなポーの声が、悲しく響く。ルナと目を合わせると、そっと彼女の傍に行って手にある物を覗き見た。

 ほつれにほつれた布張りの糸が、とうもろこしのヒゲのよう。雨ざらしにしていたような、強ばってかさかさの紙面。

 きっと元は、本の体裁をしていたのだろう。今にもそのまま崩れ去ってしまいそうな、ボロボロの紙の束がそこにあった。

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