第44話:会いたい気持ち

「ねえ、パパとママは?」

「次のお休みには、会えるよ」

「お休みなんてないじゃない……」


 問うたのは、ベッドに入った少女だ。優しく宥めるように答えたのは、ネコのファッジ。


「二人とも忙しいから、仕方がないんだよ」

「せめて誰か、遊びに来てくれればいいのに」

「楽しくなっただけで、酷い咳が出てしまうでしょ? それだけでも良くならないと」


 今度はキャンベルが答えた。ぬいぐるみの声は、二人とも少年のように聞こえる。

 少女よりもほんの少し歳上で、聞き分けの良い兄が妹の我がままを聞いている、という雰囲気に思えた。


「そうね……私にお友だちなんて居ないもの」

「眠って。でないと、会える時間さえ逃してしまうからね」

「――無理よ。もう随分、夢を見ていないわ。知っていて、どうして同じ意地悪を言うの」

「ごめんよ。でも、前がそうで次もそうだったとして、その次がまた同じかは誰にも分からないんだよ」

「当たり前のことを言わないで……」


 それきり、会話は聞こえなくなった。少女は眠ったのだろう。その脇にファッジが添い寝をしているのが、ルナからも見える。キャンベルは反対へ居るに違いない。


「パパとママって? 会えないって言ってたけど」


 しばらくは静かにしておいたほうがいいと、マギーは言った。だからそれに従って、感覚的に十分ほども待ってから問う。


「あのベッドは、ドロシーがドールに、女王さまがドロシーに変わる、スイッチみたいなものらしいの。だからあそこで眠って夢を見れば、ドロシーはあちらの世界で両親に会える」


 二つの世界を行き来する扉と鍵が、あのベッドで眠ること。それもまたいかにもおとぎ話にありそうで、ルナは興味をそそられた。

 だが今は、それよりも気になることがある。これを聞かないでは、他のなにをすることも考えられない。

 ただ「うん」とだけ相槌を打って、マギーの次の言葉を待つ。


「……ええ、そう。ドロシーの両親は、ほとんど家に居ないわ。だから毎日、寂しくしていて、それでも日曜日だけは必ず会えた。ドロシーもそれを、とても楽しみにしていた。閉じこもったこの世界から、あのベッドを使って帰っていたのよ」

「でも、それも出来なくなった――?」


 マギーはルナから視線を逸らし、頷きだけで応答する。もう随分の間、夢を見ていない。つまり、ドロシー自身が現実に帰れなくなった。

 それはこの上ないほどに、良くないことだ。けれども元々の、日曜日にしか会えないというのはどういうことか。

 そちらをまず聞いてみる。


「なにか、事情があるんだよね。大人って、大変だもの」


 言ってはみたものの、これはそうでないと分かっていた。ルナがドロシーの家を訪問したのは、土曜日。その足で勤め先に行って、明日も仕事の予定だと聞いていた。

 もちろん大人からすれば、事情には違いない。けれども幼い子どもには、両親が揃って仕事で居ない。それが一度や二度でなく、ずっと続くというなら……自分よりも仕事とやらが大事だと考えるだろう。

 それでも聞いたのは、そこまでしなければ治療代が出ないとか、子どもは納得出来なくとも、やはり仕方がないのだと思いたかった。


「事情と言えば事情かもしれないけど――」

「そうだよね。自分の子がそんな状態で放っておくなんて、さすがにね」

「日曜日の夜から、次の日曜日の朝まで。ずっと眠り続けたままで、日曜日にだけ目覚める我が子。どう思う?」


 どう。

 もちろんなにか、それまでよりも重篤な症状でも発生したのではと考えるだろう。

 だがここまでの話の流れから、おそらく答えはそうでない。きっとこうなのだろうと頭に浮かびかけて、慌ててそれを振り払う。


「病気がってことじゃ――ないの?」


 マギーは静かに、首を横に振る。その言い方なら分かっているのだろうと、彼女が態度に出すことはなかった。


「最初はね、眠ったままのドロシーのところへお医者さまが来たりしたわ。大きな病院に行って、検査もしたみたい。でも異常は見つからない。それでも相変わらず、タイマーでも付いているみたいに、ドロシーは決まった時間に目覚めて、決まった時間に眠る」

「それでパパとママは……」

「ええ。自分の家に、なるべく帰らないようにし始めた。気味が悪くなったのね」


 酷い話だ、とルナは思う。

 ルナにはまだ、子どもは居ない。結婚をしていなければ、将来を誓うようなボーイフレンドも居ないのだから、当たり前だが。

 ルナがそういう子だったとして、自身の両親はどうするだろうと考えた。しかしそれには、結論が出ない。

 どんなことをもして、正常に戻してくれると信じたくはある。けれど親とて、自分ではない別の人間なのだ。あらゆる出来事にどう思うかなど、分かるはずもない。

 いや、そうだ。それならやはり、自分で考えればいい。自分の子ではないけれど、ポーがそうなったなら。

 そう思えば、相手が子どもでなくてもいい。パパかママがそうなったら、やはり自分はどう感じるのか。


「……私は。私なら、ポーにずっと付いている。パパでもママでも、私に出来ることなんてなくても、ずっと手を握っているわ」


 きらきらと人工的な光沢のあるマギーの目が、笑ったように見えた。縫い付けられた目も口も、動いたり配置が変わったりすることはないはずなのに。


「あなたがドロシーの本当のお姉さんなら、なにか変わったのかもしれないわね」


 その言葉が、とても悲しく思えた。

 そうであったら、ドロシーを悲しませずにいられたのかもしれない。だが事実は、そうでないのだ。

 それにポーの姉であり、パパとママの子である事実を、変えたくもない。

 それはルナがドロシーとは他人であると、強く認識し直す行為だった。


「まだ諦めちゃダメだよ。ドロシーはああやって、パパとママを求め続けてるんだもの。私はあの子のお姉さんになれないけど、友だちにはなれるよ」

「ありがとう、ルナ」

「それに私の妹だって。ポーはドロシーのことを、今も心配してる。私に書いてくる手紙は、半分以上もドロシーのことだよ」


 続けるルナの言葉をマギーは、うんうんと何度も頷いて聞いた。

 今からでも、ポーを連れてくればいいのだろうか。それともやはり、ドロシーの両親に会うべきか。そもそも両親はなんの仕事をしているのか、昨日も会いに行ったのに。

 そんな話をいくらも続けて、最後にルナは疑問を持った。


「マギーはこっちの世界のこともあっちのことも、どっちも分かるみたいだね」

「私だけじゃないけれどね。ドロシーが名前を付けてくれた子は、みんな出来ると思うわ」

「そうなんだ。じゃあマギーも、この部屋のどこかに居るの?」

「ええ、ドロシーの枕元よ。それが私の定位置だった」

「――だった?」


 無意識だったのだろう。マギーはなにを問い返されたのか、すぐには理解しなかった。


「枕元が定位置だったって、今は?」

「あ、ああ――今はね、窓際に居るわ。時計が目障りだって、投げつけられちゃって」

「時計なんて、持ってないみたいだけど」

「ドロシーに取り上げられてしまったわ」


 寂しそうに、マギーは首元を撫でる。


「目障りって、やっぱりパパとママが待ち遠しくて、時間を気にしちゃうのかな」

「分からないけど、そうかもしれないわ。日付けも曜日も分かる時計だったし」


 単に八つ当たりの話だ。まあまあないことでなく、気にするようなものではない。だがなにか、ルナには引っかかった。

 名前を付けられたこと。時間や曜日を気にするドロシー。それらと繋がるなにかが、そこにある気がした。


「ね。その時計を取り上げられたって、いつ?」

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